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大正十年~十一年  

若き日の手記・獄中記(戸田城聖)

前後
8  教員をやめた後、渋谷道玄坂で、下駄屋をひらいた。下駄屋といっても露天商のようなもので、下駄の緒は、夜なべで彼自身がつくった。その後、八千代生命の外交員になり、大いに成績をあげた。当時の同僚に野村、川瀬兄弟がいる。戸田を交じえてこの四人は、かたい友情で結ばれていた。関東大震災にあうが、そのとき、つた子夫人の実家の新潟から米を運んで売り、金をもうけた。
 八千代生命は、時代の不況を受けて廃れた。戸田は八千代生命に勤めるかたわら、目黒・日の出幼稚園の一室を借りて、私塾をひらいて補習授業をおこなっていた。これが『時習学館』のはじまりである。大正十二年、江原氏の後援により、現在の国電目黒駅のすぐそばに『時習学館』を開設した。多くの子女が集まり、秀才教育をほどこすので名高かった。

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