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日蓮大聖人・池田大作

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大正八年~九年  

若き日の手記・獄中記(戸田城聖)

前後
2  奮闘をもって飾るべく誓いし八年度の歴史は汚点と化した。兄上様に対して申し訳ない、許され給え。
 兄上様、九年度八月よりの奮闘を以って許させ給え。しこうして志の為、社会の為、高等学校へ入らしめ給え。高等学校入学試験受験資格を得さしめ給え。戸田城外は生まれ代わった心で兄上様、奮闘です。何とぞ、この微意りょうされて、君国の為、兄上様意志果たす一部として得さしめ給え、一高入学試験受験資格を。
   (大正八年一月三日)
 ☆高等学校入学試験の受験資格を得るべく、戸田は日夜、勉学に励んだ。
3  恩人の為、満身の厚意を捧げて身の人格不足の故に、大事まさにいたらんとするきざしあり。
 つつしむべきは口なり、軽率に友として友にあらざる者を待遇して恩人に迷惑及ぶ。吾人心中九回す。
 我れ場合により教職を去るべし、職を止めて郷里に帰るか。
 ……渋谷へ行くか。
 ☆静かな真谷地の生活のなかで、彼はしだいに煩悶を重ねていく。このまま、この地にとどまることは、大望を果たさずして人生を終わることになるからだ。
4  出京ここに一月一月の光陰は人生。
 五十年に比すれば短少なれども、その精神的変化においては過去二十年も遠くこれに及ばざるなりし、深思せよ。
 我れは男子なり、生は日本帝国にうく……男子として日本帝国に生をうけし自己の責任やいかん。
 責任し大任を授かるべく心身を練らざるべからず。大任を果たすべく心身を磨かざるべからず。即ち国家の材、世界の指導者としての大任を授かるべく練り、果たすべく磨かざるべからず。小なる我が身その質たるやいかん。知らず我れには奮闘あるのみ。一切を捨てて修養あるのみ。
 今日の人のそしり、笑い、眼中になし。最後の目的を達せんのみ。ただ信仰の力に生きんと心掛けんのみ。
5  修養
  勉学せしか
  父母の幸福を祈りしか
  世界民族日本民族の我れなりと思い、小なる自己の欲望を抑えしか
  大度量たりしか
  時間を空費せざりしか
  誠なりしか
 過去の悪事はわびよ。許されん。力とするは神あるのみと知れるか。
   (大正九年四月一日)
 ☆約二年間、真谷地小学校にいた戸田は、大正九年三月、小学校教員をやめ、希望に満ちて東京に出た。苦学することが目的だった。東京では、早稲田鶴巻町に下宿した。
6  明日は二十日だ。過ぎた時間。不思議と言う語は俺は知らん。
 が、人が使うから俺はこれを使う。不思議の世だ。俺が不思議な世を知る時、俺の志望は達せられる時だと俺は思う。
  有より無に帰る
  一切を捨てて有を得、有を捨て無に帰らん
  悪と善と区別できる時、俺の初めて笑う時だ
   (大正九年四月十九日)
 ☆これは「馬鹿の俺」第一号と墨字で書かれた、封書の中に秘められていたものである。
7  愛妹ナッ子心尽くしの文と、ひじ付きを送付せり。感謝の念、胸中にあふるるの思いあり。
 ねがう。幸福に暮らしてくれ。戸田は、万事を捨てた。汝が思う如く成功もせず名誉も得ぬかも知れぬ。汝等の愛着も捨ててあるが如く、功も誉れも捨ててある。大臣も大将も私の欲するところでない。要は犠牲の一あるのみ。お前も幸福に、変な希望を起こさずに暮らして下さい。東京で祈る。
  愛着の きづなは何か いけにえの
    玉となる身の 今のうれしさ
  
  暮らせかし 千代も八千代も 松の色
    変わらぬ顔と 我れは祈るそ
   (大正九年四月二十四日)
 ☆これも「馬鹿の俺」第二号の中のものである。ひとりの女性との{清冽*(せいれつ)な別れがしのばれる。

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