Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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あとがき  

小説「新・人間革命」

前後
1  新しき歴史の扉は開かれた。日蓮仏法の太陽は21世紀の大空に燦然と輝き昇り、創価の人間主義の旗は、世界192ヶ国・地域に翻った。
 創価学会は、「一閻浮提に広宣流布せん事も疑うべからざるか」とのに日蓮大聖人の御言葉を現実のものとし、末法万年を潤す世界広布の悠久の大河を開いてきた。その広布誓願と平和建設の歩みを綴った、前作の『人間革命』(全12巻)、さらに、続編の『新・人間革命』全30巻がここに完結し、出版の運びとなった。
 1964年(昭和39年)12月2日の『人間革命』執筆開始から54年、『新・人間革命』の筆を執ってから25年――弟子が心血を注いで認めた、創価の広布の「日記文書」に、恩師・戸田城聖先生は、目を細めて、頷いてくださっているにちがいない。
 小説『人間革命』は、太平洋戦争の敗戦が間近に迫っていた45年(同20年)7月3日、軍部政府の弾圧によって投獄された戸田の出獄から始まる。彼は、軍部政府の弾圧と戦い、獄死した初代会長・牧口常三郎の遺志を受け継いで、壊滅状態にあった学会の再建に着手し、第2第会長として立つ。弟子の山本伸一と共に、生涯の願業とした会員75万世帯を達成し、日本の広宣流布の基盤を築き、1958年(昭和33年)4月2日に逝去する。そして、後継の伸一が第3代会長に就任するところで終わっている。
 私が戸田先生の伝記小説として、『人間革命』の執筆を決意したのは、世間の誤解や中傷の矢面に立たされた先生の真実を明らかにし、世界に宣揚するとともに、「創価の精神の正史」と「真実の信仰の道」を後世に止めたかったのである。
 65年(同40年)元日付から、「聖教新聞」紙上で始まった『人間革命』の連載が、93年(平成5年)2月11日に終了すると、全国の会員の皆様から、続編の連載を望む声が数多く寄せられた。
 師の本当の偉大さは、あとに残った弟子が、いかに生き、何を成したかによって証明される。さらに、恩師の偉大さは、あとに残った弟子が、いかに生き、何を成したかによって証明される。さらに、恩師の精神を未来永遠に伝えゆくには、後継の「弟子の道」を書き残さねばならない。また、聖教新聞社からも強い要請があり、執筆は、私の使命であると心に決めて、お引き受けした。
2  続編となる『新・人間革命』の筆を起こしたのは、その年の8月6日、長野研修道場であった。研修道場のある軽井沢は、1957年(昭和33年)8月、戸田先生と共に最後の夏を過ごし、先生の伝記小説の執筆を、深く決意した思い出の地である。また、8月6日は、世界で最初に原子爆弾が広島に投下されて48年となる日である。私は、この地で、この日に、『新・人間革命』を書き始めることにした。
 前作の『人間革命』は、64年(同39年)12月2日、太平洋戦争で凄惨な地上戦が展開された沖縄で書き始めることにした。
  「戦争ほど、残酷なものはない。
   戦争ほど、悲惨なものはない」
 一方、『新・人間革命』は、次の一文から始めた。
  「平和ほど、尊きものはない。
   平和ほど、幸福なものはない。
   平和こそ、人類の進むべき、根本の第一歩であらねばならない」
 世界広宣流布の目的は、全人類の幸福と平和の実現にこそある。この二つの書き出しの言葉に、私は、恩師の精神と思想を受け継ぎ、断じて、「戦争」の世紀から「平和」の世紀へ歴史を転じゆこうとの、弟子としての誓いを永遠に刻印したかったのである。
 『新・人間革命』を起稿したのは65歳の時であった。完結までに30巻を予定した。日本国内はもとより、世界を東奔西走しながらの仕事となる。”限りある命の時間との壮絶な闘争”と、覚悟しての執筆であった。
3  連載は、1993年(平成5年)の11月18日付から開始された。
 一日一日が、全精魂を注いでの真剣勝負となった。全国、全世界の各地で、健気に信心に励む宝の同志を思い浮かべながら、生命の言葉を紡ぎ出し、一人ひとりに励ましの便りを送る思いで推敲を重ねた。それはまた、わが胸中の恩師と対話しながらの作業でもあった。「創価の精神を伝え残せ! この世の使命を果たし抜くのだ!」――脳裏に先生の声がこだまする。疲れが吹き飛び、勇気が湧いた。
 第30巻の最終章(第6章)となる「誓願」を書き終えたのは、執筆開始から、ちょうど満25年にとなる2018年(同30年)8月6日であった。場所も起稿と同じ長野研修道場である。新聞連載の終了は、この章の執筆が始まった時から、戸田先生が1957年(昭和32年)に「原水爆禁止宣言」を発表された、9月8日と決めていた。この日こそ、創価学会の平和運動の原点となった日であるからだ。私は、先生の平和への遺訓を実現するために、全世界を駆け巡り、同志と共に創価の人間主義の潮流を起こしてきた。その後継の歴史を綴った小説の連載を締めくくるには、この日しかないと思った。
4  小説『新・人間革命』は、1960年(昭和35年)5月3日に第三代会長となった山本伸一が、5ヶ月後の10月2日、初の海外訪問へ出発する場面から始まる。日本国内に民衆凱歌の広布城を築くとともに、世界54ヶ国・地域を訪れ、妙法という「平和の種子」を蒔き、教育・文化交流の橋を幾重にも架ける。そして、学会が大きな目標としてきた、新世紀の開幕の年である2001年(平成13年)の11月まで描いている。
 その間に、世界を二つに分断してきた東西冷戦にピリオドが打たれた。さらに、東西両陣営の一方の中心であったソ連も崩壊した。冷戦の渦中、伸一は、人類融合の道を探ろうと、アーノルド・J・トインビー博士をはじめ、数多の世界の知性と対話を重ねた。中ソの対立の溝が深まるなかで、訪中、訪ソを繰り返し、ソ連のコスイギン首相、中国の周恩来総理と会見した。訪米し、キッシンジャー国務長官とも会談した。さらに、ソ連のゴルバチョフ大統領とも何度も語り合い、友誼を育んできた。
 万人が「仏性」を具えていると説く仏法は、「生命の尊厳」と「人間の根本的平等」の大哲理である。また、仏法の「慈悲」は人道の規範となる。まさに仏法こそ、「不信」を「信頼」へ、「憎悪」を「友情」に変え、あらゆる戦争を根絶し、恒久平和を実現しゆく大思想である。この仏法の法理から発する人間主義を時代の精神とし、世界を結ぶための挑戦が、伸一の平和旅であった。
5  世界広布に邁進する学会にとって、飛躍の大転機となったのが、腐敗、堕落し、形骸化していった宗門から、「魂の独立」を勝ち取ったことである。
 学会は、ただただ、大聖人の御遺命である広宣流布の推進のために、信徒を睥睨する僧らの非道な仕打ちに耐えながら、僧俗和合を願い、宗門に外護の赤誠を尽くしてきた。しかし、宗門は教条主義化し、衣の権威を振りかざして、人類の遺産である文化・芸術を否定し、「謗法」と断じていった。また、権力化した彼らは、法主を頂点とした僧による信徒支配、理不尽な僧俗の差別を進め、大聖人の御精神に違背し、仏法で説かれた「生命の尊厳」も「万人の平等」も、踏みにじっていったのである。
 これでは、大聖人の仏法の根幹が歪められ、人類の幸福と世界の平和を実現する教えとは、ほど遠いものとなってしまう。学会は、「大聖人の御精神に還れ!」と、宗教改革に立ち上がり、諫言した。すると、宗門は、仏意仏勅の団体である学会に、「解散」を勧告し、さらに「破門」を通告してきたのである。
 彼らが、その文書を送った1991年(平成3年)11月28日は、創価学会が宗門の鉄鎖から解き放たれた、「魂の独立」記念日となった。創価の前進を阻む暗雲は払われ、豁然と世界広布の大道が開かれたのである。真実の世界宗教として、21世紀へ晴れやかに飛翔しゆく朝の到来となったのである。
6  小説『人間革命』も『新・人間革命』も、その主題は、ともに「一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする」である。
 では「宿命の転換」は、いかにしてなされるのか――。
 その方途を示したのが、戸田先生の「獄中の悟達」である。先生は、牢獄にあって、法華経の真理を知りたいと、精読と唱題を重ねた。そのなかで、法華経に説かれた虚空会の会座に、自身も日蓮大聖人と共に連なり、末法広宣流布の付嘱を受けた地涌の菩薩であることを悟達する。その大歓喜のなか、生涯を広宣流布に捧げることを誓う。
 御聖訓に、「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか」と仰せのごとく、大聖人の御遺命のままに、広宣流布に生きる私たちは、まぎれもなく地涌の菩薩である。しかし、広布の聖業を果たす、その尊貴な菩薩である私たちが、なぜ、さまざまな苦しみの宿命をもって生まれてきたのか――。
 法華経法師品には次のようにある。
 「薬王よ。当に知るべし、是の人は自ら清浄の業報を捨てて、我滅度して後に於いて、衆生を愍れむが故に、悪世に生まれて、広く此の経を演ぶ」(法華経357㌻)――善業を積んで善処に生まれるべき人が、仏の滅後に衆生を哀れんで、あえて、願って悪業をもって悪世に生まれ、法を弘めるというのである。妙楽大師は、この文を、「願兼於業」(願、業を兼ぬ)と釈している。
 まさに、この原理のままに、私たちは、苦悩する人びとを救うために、誓願して、病苦、経済苦、家庭不和、あるいは孤独や劣等感等々、さまざまな宿命をもって悪世末法に出現したのである。しかし、南無妙法蓮華経と唱え、自行化他にわたる信心に励み、広布に生きるならば、地涌の菩薩の満々たる生命が、仏の大生命が、仏の大生命が涌現する。いかなる苦難、困難の障壁も乗り越える智慧が、勇気が、力が、希望が、歓喜が、わが生命にみなぎる。そして、「宿命」の嵐を敢然と勝ち超えることで、仏法の正義と偉大なる功力を証明し、広宣流布を進めていくことができるのである。いな、そのためにこそ、勇んで苦悩を担ってきたのだ。
7  つまり、「宿命」と「使命」とは表裏であり、「宿命」は、そのまま、その人固有の尊き「使命」となる。ならば、広布に生き抜く時、転換できぬ「宿命」など絶対にない。
 皆が、地涌の菩薩であり、幸福になる権利がある。皆が、人生の檜舞台で、風雪の冬を陽光の春へ、苦悩を歓喜へと転ずる大ドラマの主人公であり、名優である。
 小説『新・人間革命』では、この「『宿命』は『使命』である」ことを基調に、物語を展開してきた。仏法の精髄の教えは、物事を固定的にとらえるのではなく、「煩悩即菩提」「生死即涅槃」「変毒為薬」等々、一切を転換しゆく生命のダイナミズムを説き明かしている。そして、苦悩する人間の生命の奥深く、「仏」すなわち、人間のもつ尊極の善性、創造性、主体性を覚醒させ、発現していく道を示している。その生命の変革作業を、私たちは「人間革命」と呼ぶ。
 社会も、国家も、世界も、それを建設する主体者は人間自身である。「憎悪」も「信頼」も「蔑視」も「尊敬」も「戦争」も「平和」も、全ては人間の一念から生まれるものだ。したがって、「人間革命」なくしては、自身の幸福も、社会の繁栄も、世界の恒久平和もあり得ない。この一点を欠けば、さまざまな努力も砂上の楼閣となる。仏法を根幹とした「人間革命」の哲学は、「第三の千年」のスタートを切った人類の新しき道標となろう。
 「不滅の魂には、同じように不滅の行いが必要である」とは、文豪トルストイの箴言である。小説『新・人間革命』の完結を新しい出発として、創価の同志が「山本伸一」として立ち、友の幸福のために走り、間断なき不屈の行動をもって、自身の輝ける『人間革命』の歴史を綴られんことを、心から念願している。
 この世に「不幸」がある限り、広宣流布という人間勝利の大絵巻を、ますます勇壮に、絢爛と織り成していかねばならない。ゆえに、われらの「広布誓願」の師弟旅は続く。
 結びに、装画を飾ってくださった故・東山魁夷画伯、25年間の長きにわたって挿絵を担当していただいた内田健一郎画伯、聖教新聞社の編集・出版担当者をはじめ、すべての関係者、そして、全読者の皆様方に、心から御礼、感謝申し上げたい。
                  著者
  2018年(平成30年)9月8日
  小説『新・人間革命』新聞連載完結の日に
  東京・信濃町の創価学会総本部にて
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