Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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ニコラエフ初代大統領 シベリアの大地溶かす”サハ共和国の熱き心”

随筆 世界交友録Ⅲ(池田大作全集第124巻)

前後
1  日本人に親愛の情を寄せる北の隣人
 お会いしたとき、ミハイル・ニコラエフ大統領が言われた。
 「サハ(sakha)と、ソウカ(soka)は似ていますね」
 ウィットと親愛の情こもる言葉だった。
 いっぺんに、場が和やかになった
 会見には、サハ共和国のヤコブレフ対外関係大臣も同席された。
 大臣は、創価大学に留学した経験があり、創大を「第二の故郷」と呼んでくださっている。
 サハの人々と日本人は、顔もよく似ている。サハでは、日本人を「母方のおじ」と呼んで、親しみを感じてくださっているという。
 サハ共和国は、日本の「北の隣国」ロシア連邦の一部。
 来る年も、来る年も、日本との聞に渡り鳥が飛び交う”いと近き国”である。
 しかし私たちは、この隣人を、あまりにも知らない。
2  世界一のダイヤの国が、なぜ貧しい?
 シベリアの大地――サハ共和国には、こんな伝説がある。
 「昔、神さまが、シベリア上空を飛んでいた。ところが、あまりの寒さに、手がかじかんで、持っていた大きな袋の口をゆるめてしまった。そこから、ぼろぼろと黄金がこぼれ、ダイヤがこぼれた。こうして、豊かなサハの大地が生まれた」
 サハの「ダイヤモンド」は埋蔵量で世界一。生産量で世界の四分の一を占める。
 天然ガスや石油もすごい。
 共和国のヴラーソフ首相にお会いしたとき、「探鉱が進めば、ガスは今の百倍、石油は千倍の量が見つかると言われています」とのことであった。(一九九九年三月)
 しかし、これほど豊かな「宝の大地」の人々が、長い長い間、生きることもままならぬほどの貧しさに縛られ続けてきたのである。
 なぜか? すべてを奪われてきたからである。
 昔は、ロシア帝国に。近年は、ソ連の中央権力に。
 天然資源も、毛皮も、マンモスの牙も、高級魚も、高価な民芸品までもが、ことごとく共和国から持ち出されていた。
 「白昼堂々と、略奪行為が行われていた」と表現する人もいる。
 長い間、サハの人々は、”自分の国土で、どれほどのダイヤモンドが採掘され、それがいくらするのかさえ知らなかった”のだ!
 「わが共和国は、ユニークできわめて豊かな天然資源を抱えながら、このまま永久に貧しいままでありつづけ、寒さに凍えながら施しを待ち、ばかにされる運命にあるのだろうか」(ヘコラエフ『自由と人間の選択』佐藤哲雄訳、創現社出版)
 ニコラエフ大統領の胸には、極寒の地で、黙々と耐えに耐えて生きてきた民衆としての「怒り」が、煮えたぎっていた。
3  ”母が「助けあう心」を教えてくれた”
 一九九八年十月、東京で大統領をお迎えした。
 私はきいた。
 ――政治の舞台に進まれたのは、どなたの影響ですか。
 即座に答えが返ってきた。
 ――母です。
 大統領は著書で振り返っておられる
 「子供の頃の思い出といえば、いつも酷い困窮に苦しみ、貧しい暮らしをしていた。父が死んだ時、私はまだ五歳にもなっていなかった」(同前)
 残されたのは、お母さんと、幼い四人の子どもたち――。
 小さな村だった。お母さんは農業消費組合の清掃作業員として働いた。
 組合の売店を掃除し、他の二つの部屋を掃除し、ペチカを焚く仕事だった。組合の小部屋に、母子五人が暮らした。
 「母がどう知恵をしぼって私たちに食べさせ、着せていたのか、いまだに想像を絶する。母は自分の生涯のすべてを私たち子供に注ぎこんだのだった」(同前)
 生まれてから一度も学校へは通えなかった母だった。
 しかし母は、すべてを教えてくれた。
 粘り強く耐える力を!
 正直を。誠実を。温かな心を。
 人々と「最後のパンの一切れまで分けあう」心を!
 「私にとって母以上の人は存在しない。私にとって母は神聖である」(同前)
 ――お母さまは今?
 ――九十歳になります。
 そう答える大統領の愛情ともる声の調子に、私は直覚した。
 大統領が「わが民衆」と呼ぶとき、そこには、いつも、お母さまの「苦労ずくめの人生」が重ねられているのだと。
4  なんと厳しき国土、なんと残酷な政治
 サハ共和国の生活は、日本では想像もできない。
 国土の四〇パーセントが北極圏。「北半球で最も寒い」地域である。冬は、時としてマイナス六〇度。
 一方、夏はセ氏四〇度にもなる一年で寒暖の差が百度もあるのだ!
 しかも天候が急変するので、夏にも突然、コートが必要になることもある。
 酷寒のなか、薪をたくわえ、干し草を運び、毛皮を取る人々。
 短い夏の間に、長い冬に備えて、朝から晩まで、家畜の餌の準備をする農民。
 蚊と吸血蝿が群れるツンドラの荒原を、トナカイの群れを追っていく男たち――。
 苦しい生活を強いられている人々を、大統領は、つぶさに見てきた。
 サハの国民の痛みは、そのまま母の痛みであり、自分の痛みであった。
 大統領は書いた。
 人が生き残るために信じがたい努力をし、機転とひらめきを働かせ、年がら年じゅう休みなく働いていなければならないわがヤクート(サハ)のような土地は、おそらく地球上のどこにも存在しないだろう」(同前)
 こんな、ぎりぎりの暮らしをしている人々を、さらに「政治の暴力」が襲った。
 十六世紀、帝政ロシアの時代から、ロシア人が、毛皮や豊かな資源を求めて、この地を”開拓”し始めた。
 ソ連時代は中央から役人が送り込まれ、人々の生活を支配した。
 役人の多くは、サハの暮らしも、文化も理解しようとはしなかったらしい。そこには、サハの人々への民族的蔑視もあったのかもしれない。
 「海を一度も見たことのない狩猟民族を強制的に移住させて、漁業をやらせる」というむちゃが行われたこともあった。
 北極地域への強制移住では、まともな小屋すらなく、多くの人が命を落とした。
 住民には知らせずに、地下核実験を行ったこともあるという考えられない暴挙である。
 抑圧は文化にもおよんだ。サハの人々が心から尊敬を寄せる詩人や文化人が、「民族主義者」という罪を着せられ、糾弾された。
 ヤクート語を知らない役人は、その作品を読んだことすらなかったのである!
5  政治家よ、約束を「結果」で果たせ
 政治とは何?
 それは戦いである。民衆の生活を良くする戦いである。民衆の苦悩を救う戦いである。
 「何も変わりはしない」と、あきらめてしまった民衆に対して、「違う! 自分たちの暮らしは、自分たちの力で変えられるんだ! われわれの人生の主人公は、われわれ自身なんだ!」と励まし、未来を指さし、障害の山また山を乗り越えて、「希望を現実に変えていく」戦い――それが政治であろう。
 不可能を可能にする戦い。そのための技術――それが本当の政治だとしたら、ニコラエフ大統領の行動こそ、まさに、それをめざしたものであった。
 運命のなすがままにされてたまるか! と。
 その信念は、ダイヤのごとく固かった。
 ぺレストロイカが始まった。永久に動かないかと思われていた「氷」が動き始めた。
 一九八九年、共和国――当時はヤク―ト自治共和国――の「最高会議幹部会議長」に就任した。
 チャンスだった。
 クレムリンに向かって、声をかぎりに「サハの思い」を訴えた。対話した。協議した。他の共和国とも連携をとった。
 そして、九〇年九月、ついに「国家主権宣言」を採択。念願の主権を獲得したのである。
 ダイヤモンドなどの地下資源の権利も、少しずつ勝ち取っていった。
 九一年、初めて行われた大統領選挙に勝利し、初代大統領に就任した。
 命を捧げる――これがニコラエフ大統領の覚悟であった。
 「最後に休みをいつ取ったか忘れた」ほど、働きに働き続けた。
 「大統領は自分を犠牲にする覚倍がなければならない。象徴的に言うと、大統領は毎日十字架を背負う覚悟でいなければ‘ならない」と。(同前)
 大統領は幼いころから、「地位が人を美しくするのでなく、人が地位を美しくする」¥ことを教え込まれてきた。
 大統領だから偉いのではない! 政治家だから尊敬されるのではない!
 政治家として、何をなしたか。国民にした約束を、どれだけ「結果」で果たしたのか――それが自分の立場を尊敬されるものにしていくのである。
 ヴラーソフ首相も言っておられた。
 「自分を選出してくれた国民を代表して、『国民の利益を将来まで展望し、開いていける人』が、本当の政治家だと思います。しかし、初めは、そういう思いでいても、世間の荒波に飲まれて消えていく政治家は、サハでも枚挙にいとまがありません。人々のことを考えない政治家は、政治家ではなく、いずれ消えてしまう運命にあります」
6  未来の人材を! そのために教育を
 大統領は叫ぶ。
 「指導者は、手にマメを作って働け!」
 みずから、どとにでも出かける。工場へ、飼育場へ、野営の場へ。
 腰が軽い。こまめに人と会い、問題への答えを一緒になって見つけていく。
 大統領は、徹底した現場主義なのである。
 共産主義の悲劇。
 官僚主義の悲劇。
 それは、「現場から遠く離れた」指導者が、もたらしたことを骨身にしみて知っているからだ。
 から回りする議論また議論!
 住民のことなど考えず、自分たちの出世のことしか頭にない党のエリートたち!
 「私は、書斎や図書館で生まれた空想的な考えに反対であり、抽象的な設計やプランに反対であり、現実の生活を犠牲にするイデオロギーに反対である。
 それとは逆に、つまり人間から出発した国の政治は、この具体的な必要、需要、関心、問題から出発すべきであると信じている」(同前)
 人間から出発せよ!――この大統領の言葉に、だれもが喝采を送るだろう。
 私は大統領に申し上げた。
 「いかなる国も流転します。『永遠の栄え』もないし、反対に『永遠に小国』ともかぎらない。
 今、どんなに栄えていても、傲りたかぶった国は、いつか必ず堕ち、衰退していきます。反対に、今、謙虚に、まじめに苦闘し、建設に向かう国は、将来、必ず栄えていきます。
 貴国が、このまま行けば、何十年か先、二十一世紀の中ごろには、どれほど偉大な国となっておられるか。そのときに、大統領は、祖国の発展をもたらした『象徴』と輝いてください!」
 大統領は、にこやかに、うなずきながら聞いてくださった。
 ニコラエフ大統領がサハ共和国の発展のために、最も必要だと考えているもの。それは「資源」だけではない。それよりももっと大切なのは、「人材」だと確信しておられる。
 共和国の予算の何と三二パーセント以上を、教育にあてているという。
 こう語っておられた。
 「人間は『教育』を通して、初めて自分が人間であることを認識します。
 『教育』を通して、初めて各民族が、独自性、伝統・習慣を維持できるのです。
 私たちは、サハ共和国の新しい発展の枠組みをつくるうえで『人道的価値の創造』を重視します。われわれの未来は『人間』で決まります。それも教育を受けた、調和と教養のある人間によって――。
 何百年もの間、しいたげられた人々に、「さあ、頭を上げよう! 自分たちの力を証明しよう!」と呼びかけておられるのだ。
 「十年間で学生を二倍にする」という目標を、二年も早く達成したこともうかがった。
7  民衆の力は大音響の流氷のごとく
 「民衆の力は、流氷のごとし」と言う。
 五月ごろ、広大な大河に張っていた厚い氷が、一気に流氷となって流れ始める。
 そのとき、巨大な氷の塊が大音響を響かせるという。
 大挙して氷が流れゆく圧巻のドラマ――それは、だれ人にも止められないエネルギーである。
 そして今、民衆の時代への奔流が動き始めた。
 ニコラエフ大統領は、自分の「夢」と「希望」について、こうつづっておられる。
 「人びとが喜び、笑う顔をぜひ見たいものである。
 どの家も満ち足り、各人が気に入った仕事を持つ時、人が自分の労働の成果に満足し、明日が信じられ、子供たちが自分の暮らす土地に誇りを持てる時、その時こそ、私の希望はかなったと言える」(同前)
 地上で最も寒い地に生きる人々――しかし、そのハートは、やけどするほど熱いのである。

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