Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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ムカパ大統領 タンザニアの「ミスター・タフガイ」

随筆 世界交友録Ⅲ(池田大作全集第124巻)

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2  向き合う人自身を映し出す「鏡」
 十六世紀から「奴隷貿易」の犠牲者は、なんと推定で一千万人から数千万人。
 奪われ尽くした大地を、十九世紀からは植民地支配が襲った。かつて食べるのに不自由しなかった人々が、大国の要求する作物だけを無理やり作らされ、自分たちが食べる主食にさえ、こと欠くようになった。トインビー博士と対談したとき、博士は私に言われた。「他人種であったなら、おそらく、そのほとんどが、この悲惨な体験によって滅んでしまったことでしょう!」
 そう、つまり、アフリカは「暗黒大陸」ではないのだ。「暗黒」は外からもたらされたのだ。
 アフリカは「貧しい大陸」なのではない。強奪されて「貧しくさせられた」のだ。
 「発展が遅れている」のではない。手足を切断するように、独自の発展を、へし折られたのだ。
 そして冷戦の時代には、東西の代理戦争の舞台となり、大国の武器商人がもうけた。
 飢餓の背景には、食糧の流通を独占する企業の影がちらついた。
 作られた貧困が、さらに暴力を誘発した。
 こうして疲れはてた人々に対して、かけられた言葉は、「だからアフリカは、だめなんだ」であった。なんという傲慢か。
 こういう歴史を知れば、人類は断じて結束すべきである。「いちばん苦しんできたアフリカ」の人々を、「いちばん幸福なアフリカ」にするために。同じ人類家族が、苦しんでいるのだ。みずからの尊厳のために戦っているのだ。
 しかし、ある学者は言う。
 日本がアフリカに強い関心を示してきたのは、国連の常任理事国入りが現実味を帯びてきたころからだ」と。国連で三〇パーセント近い「アフリカ票」ほしさに動いているという指摘である。もちろん、それだけではないだろうが――。
 アフリカの人たちは、長い間、苦労し、差別されてきたせいだろうか、人の心に敏感である。口先の偽善や、利用の心であれば、ただちに見すかされ、軽蔑されるだけであろう。
 その反面、もともと「人間大好き」の人々である。こちらが、誠実に徹すれば、必ず心は通じる。その意味で、アフリカは、向きあう人自身を映しだす「鏡」かもしれない。
 それだけに、タンザニアのムカパ大統領ご夫妻が、私との語らいの後、見送る青年たちの輪の中に飛び込んで、ともに手を振り、ともに体を揺らして歌っておられた光景が、私はうれしかった。(一九九八年十二月十四日、東京の聖教新聞本社で)
 気取りなど全然ない、ご夫妻であった。
 国民にも「大統領と呼ばず、同志と呼んでほしい」「大統領だからというだけで、新聞などで大きく取り上げられたくはない」「皆、平等だし、指導者といっても、どれだけ謙虚に国民に尽くしたか、それだけが尊敬に値するかどうかを決めるのだから」と語っておられる。
3  ニュー・アフリカへ「午前六時の太陽」
 大統領は六十歳。「ミスタークリーン」と呼ばれて汚職と戦い、「ミスター・タフガイ」と呼ばれて、ともかく仕事熱心。数字にも強く、ユーモアがあり、哲学がある。アフリカには、こういう洗練された指導者が各国に現れつつあるようだ。
 一九六〇年代の各国の「独立」から三十数年。失敗もあった。天災、人災、試行錯誤。しかし、何百年間の痛手から立ち上がるのに時間がかかるのは当然である。
 私はムカパ大統領に言った。「中国の毛沢東主席は『午前八時の太陽』と言いましたが、アフリカは『午前六時の太陽』ではないでしょうか。夜明けの光が差し始めました!」
 大統領によれば、アフリカの GDP(国内総生産)の伸びの推定は、一九九八年が三・七パーセント。九九年は四・七パーセント。アジア、南北アメリカを抜いて、「アフリカは初めて『世界で最も成長が見込まれる地域』になりました」。
 また、「日本で、アフリカがどんなイメージで見られているか、それはわかりません。他の先進国では、文章でも写真報道でも、アフリカへの不公平で紋切り型の報道は、後を絶ちません。往々にして偏見に満ちています。
 しかし、今、『ニュー・アフリカ』が生まれつつあります。民主的なアフリカ。自由で公正でオープンな選挙。憲法で保障され、実際にも尊重される人権。集会、結社、言論の自由。こういう新生アフリカの助産婦の一人になれたことが私は、うれしいのです」と。
 アフリカには大いなる未来がある。
 何よりの資源は「人間」である。
 タンザニアは「建国の父」ニエレレ初代大統領が教育に力を入れ、アフリカで最も識字率の高い国である。独立当時、大統領が「勉強せよ!」と訴えているポスターが町中に張られていたという。国内の武力紛争もなく、クーデターもない。
 初代大統領の教師時代の教え子であるムカパ大統領も”人間教育とそが平和の武器”という信念。こんなドイツの箴言言を引いておられた。
 「富を失っても、何もなくしたことにならない。健康を失ったら、幾分かなくしたことになる。人格を失ったら、すべてをなくしたことになる」
 日本にとっても、耳が痛い言葉かもしれない。
 離陸しつつあるアフリカには、今こそ援助が必要である。しかし、世界経済の不況のせいで、アフリカの輸出は伸びず、直接投資もODA(政府開発援助)も減少しているらしい。
 日本も、やがて「自分たちの年金さえ心もとないのに、他国に援助なんて、とんでもない」という声が出てくるかもしれない。
 しかし、援助を「金持ちが、余ったものを恵んでやる」ように考えるのは誤りであろう。そうではなく、「人類のだれもが幸福を追求できる世界共同体」を創れるかどうかが、日本人の将来をも決める根本課題なのである。それが創れずして、二十一世紀に日本だけが安定していられると思うことは幻想である。
 大統領も言われた。「国内であれ、国家間であれ、『すべては自分のため』という政策は、結局のところ、不安定を招くのです」
 仏典には「人のために火を灯せば、自分の前も明るくなる」とある。
 同じ人間として、他国の人に共感し、分かちあい、「虐げられてきた人々とともに生きる」人格をもてれば、それこそが日本人自身の自己解放になるのではないか。援助には、そういう意味もあると思う。
4  自然の根源と通いあう「生命の文化」
 「アフリカはいつも何か新しいものを持ってくる」(アリストテレス)
 管理社会の日本が”黒ずくめの制服の一団”を連想させるとしたら、アフリカは”色とりどりに原色が跳ねる”カラフルな世界であろうか。
 そこには、近代文明が失った「生命の躍動」がある。傷つけられでも、搾取されても、侮辱されても、はつらったる〈人間讃歌〉を歌い続けた人々の心臓の鼓動がある。
 「人と人のつながりとそ人生だ」と信じる温かい文化がある。
 貧しくとも分かちあい、何もなければ微笑みだけでも分かちあおうとする心がある。
 さまざまな矛盾や多様性を、ゆったりとしたくつろぎのなかに包みこむ広がりがある。
 自然の根源のリズムを肉体に感じとる感受性が生きている。
 そういうアフリカの〈生命の文化〉は、二十世紀の音楽と美術に衝撃を与え続けてきた。芸術の世界は、いつも社会総体の先駆けである。二十一世紀の地球文明は、アフリカに学ぶ世紀かもしれない。
 トインビー博士の確信に満ちた声を私は思い出す。
 「われわれ人類の祖先は、東アフリカのどこかで、初めて人間として出現したと信じられています。したがって、東アフリカに生まれる未来の世代は、もう一度、人間生活における中心的役割を演じることになるかも知れません」

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