Nichiren・Ikeda
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フレッド・ホイノレ卿
現代天文学のパイオニア
随筆 世界交友録Ⅲ(池田大作全集第124巻)
前後
5 必要なのは偉大な思想
「権威に従うな。理性に従え」という生き方。
ホイル卿は、不屈の精神をもった快男児であった。
きかん気の、いたずらっ子が、そのまま大きくなった」ような、はつらつたる魂をもっておられた。
お生まれは一九一五年というから、第一次世界大戦の二年目である。ウール商人のお父さんが出征したために、お母さんとの親密な幼年時代を過ごした。
三歳になる前に、お母さんのひざの上で、九九を覚えた。四歳で、「12×12=144」まで暗算していたそうだから、五歳で入った学校で「幼稚な授業がつまらなかった」のは無理もない。
九歳か十歳のころには、一晩中、望遠鏡で星を見ていた。
学校はさぼりがちで、映画館に入りびたっては、一人で本を読んだりしていた。やがて苦労して奨学金を受けられるようになり、ケンブリッジ大学に入学をされた。
「どうして天文学を選んだのですか?」と聞くと、「初めは物理学の方面に行くつもりだったのですが、その分野での研究成果は、ほぼピークに達していました。『それなら天文学の分野で』と思ったのです。今なら、生物学を選んだかもしれませんね」。
根っからのパイオニアなのだろう。
卿が言うとおり、二十世紀初めの一二十年間は、相対性理論や量子力学など、それまでの世界観を根底から変えるような理論が、次々と生まれた。
しかし、その後は、いささか停滞しているように見える。
なぜだろう。
ホイル卿は「それは、科学と哲学が離れてしまったからです」と言う。
「二十世紀初頭には科学と哲学は不可分の関係にあった」のに、今は「科学者は哲学することを、ますます嫌うようになり、旧来の概念を評価しなおしたり修正したりすることを、ますますいやがるようになっているのです」。
確定した既成の線にそってデータを集めることに熱心になり、「科学的事実の探究が、切手収集に似てきているんですね」。
つまり、実験の装置も予算もチームも巨大に、なり「ビッグ・サイエンス」となったが、中身のほうは「ビッグ・アイデア」が少なくなったと指摘されたのである。
アインシュタイン博士は、「科学が発見し、哲学がそれを解釈する」(ウィリアムス・ヘルマンス『アインシュタイン、神を語る』雑賀紀彦訳、工作舎)と言った。
ホイル卿は言う。
人は、自分の哲学の枠を超えては考えられない、思想の「囚人」なのだから、必要なのは数百年、数千年を導く「偉大な思想」なのです。
そして「創造的精神は金では買えない」のです――と。(前掲『人間と銀河と』、引用・参照)
卿が「ビッグ・パン」説に賛同でき、なかったのも、哲学的に満足できないからだった。
「爆発から始まったというが、じゃあ、その前はどうなっていたんだ?」
観測できるこの宇宙が「膨張を続けている」ことは事実だとして、その解釈となると、ひととおりではないはずだと。
「ビッグ・パン」説は、ユダヤ教・キリスト教的な「天地創造」の思想が背景にある解釈ではないかとされたのである。
6 「祈り」は宇宙との対話
ホイル卿は、真理の高峰によじ登り続けたが、実際の山登りも大好きだった。スコットランドの千メートル級の山、二百八十峰を、すべて踏破したそうである。
山頂に立って、卿は、何を思っておられたのだろう。
大空と語りあい、星々と語りあいながら、無辺にして永劫の宇宙のなかで、われわれ人類が、いずこより来り、いずこへ行くのかを思索しておられたのだろうか。
お会いしたあの日、卿は、祈りということについて、それは「宇宙との対話」ではないかと言っておられた。
「現代では、祈りの力を、そのまま信じることは簡単ではありません。しかし私は、祈りの本質とは『宇宙へのメッセージ』ではないかと思うのです。果てしなき宇宙に向かって、自分のメッセージを送り、そして宇宙の声に耳を澄まして、その返事を聴くということです」
仏法の祈りとは、「内なる宇宙」を「外なる宇宙」と交流させる挑戦とも言える。宇宙につつまれている人間が、宇宙を自己の一念の中につつみ返そうとする行為とも言えよう。
二〇〇一年八月二十日、「真理の旅人」は安らかに逝かれた。八十六歳だった。
大好きな宇宙空聞に、ちょっとの間、戻られたわけである。
そろそろ、どこかの星に生まれてこられるころかもしれない。
その星でもふたたび、宇宙と生命の研究をされるのだろうか。