Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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フレッド・ホイノレ卿 現代天文学のパイオニア

随筆 世界交友録Ⅲ(池田大作全集第124巻)

前後
1  地球は宇宙へと「開かれた箱」
 宇宙というと、遠い世界のようだが、「いやなに、すぐそこなんですよ」と、フレッド・ホイル卿は言う。
 「一時間も車でドライブしたら、もう宇宙なんです。車を、まっすぐ空に向かって走らせたらですけどね」
 たしかに、地上から五十キロも上れば、大気らしい大気のある層(対流圏・成層圏)は抜けだしてしまう。
 八十キロか九十キロ行けば、人工衛星やスペースシャトルが飛ぶ世界(熱圏)に入る。
 そこは、もう宇宙だ。
 地球の直径は一万三千キロほどだから、地球と宇宙空間の問には、いわば「うす皮」一枚しかないわけである。
 「だから、地球の出来事が、宇宙の影響を大きく受けるのは当然なんです。つまり、地球は宇宙へと『開かれた箱』です。『閉じた箱』ではありません」
 なるほど。納得できる。
 たとえば「月」。いちばん近い天体なのだから、影響力も大きいはずである。
 ホイル卿に聞いてみた。
 「月の引力で起きる『満ち潮・引き潮』と『人間の生き死に』が関係していると、東洋では、よく言います。たとえば『人は満ち潮の時に生まれることが多く、引き潮の時に死ぬことが多い』とか。イギリスでも、かつて月を『偉大なる助産婦』と呼んだそうですね。潮の干満をはじめ、月の力は人間に、なんらかの影響をおよぼすでしょうか?」
 「たしかなことはわかりませんが、事実かもしれません。もし漁師に話を聴けば、『魚だって、潮の満ち引きに影響されてるさ』と言うでしょう。『ある魚は、きまって秋のいちばんの満潮の日に産卵する』と聞いたことがあります」
 カキは、満潮になると殻を開くそうだし、人間の犯罪が満月の時に多くなるという研究もある。人体のほぼ八〇パーセントは水分で、その大部分は成分が海とそっくりなのだから、海の生物が影響を受けるなら、人間が月に影響を受けても不思議ではない。
 それどころか、「そもそも地球上の生命は、宇宙から来た」というのが、ホイル卿が、愛弟子のウイツクラマシンゲ博士とともに主張した学説なのである。
2  「ビッグ・パン」説の名づけ親
 天文学に興味をもっ人で、英国のホイル卿を知らない人はいないだろう。
 あの「ビッグ・パン」説の名づけ親でもある。BBC(英国放送協会)のラジオ番組でホイル卿が「つまり、宇宙が、ドカンと大爆発(ビッグ・バン)してできたという説ですよ」と紹介したのが始まりで、印象的な命名だったので、たちまち普及した。
 卿は、この説に反対していたのだから、皮肉な結果だったが、そとはイギリス人らしいユーモアで、「あのとき、名前の商標登録をしておけば、もうかったのになあ!」。
 人間くさい方だった。しゃがれ声に、赤ら顔、あけっぴろげの話し方。尊敬を込めて言うのだが、職人さんとか、町工場で働く方のような実直な感じがあった。
 あまりにも独創的で独立不羈だったからだろう、世間では「傍若無人の人」のように言う向きもあったが、ぜんぜん違う。お会いしてみると、じつに丁重で、礼儀正しい方であった。
 ロンドン郊外のタプロー・コート。イギリスSGIの文化センターである。ここに、ウイツクラマシンゲ博士と一緒に来てくださったのだ。(一九九一年六月二十八日)
 青空が遠くまで澄んだ目だった。
 「天文学の革命児、ようこそ!」と、お迎えした。当時、ホイル卿は七十六歳だったが、足どりも声も若々しかった。
 質問に答えて、端的に語ってくださった。
 「宇宙には生と死が一回かぎりと言う学者もいます。しかし私は、宇宙は、生と死を繰り返すと考えています」
 「数学とは(フランスの数学者ポアンカレも定義しているように)『凝縮された言葉』です。日本の俳句のように、短い言葉で、たくさんのことを表現できます」
 「よく『流れ星』と言いますが、小さな粒子を入れれば、地球には毎年、『1の下に0が14個つく』くらい降り注いでいるんです」
 息子さんでSF作家のジェフリー・ホイル氏も、ご一緒だった。お父さんのホイル卿はSF作家としても有名で、作品がテレビドラマのシリーズにもなった。父子の共著で、小説『第五惑星』『最深宇宙へ』などを出しておられる。
 ホイル卿が小説を書いた動機はよくわからないが、専門の宇宙物理学では許されない奔放な想像力を発散させる必要があったのかもしれない。と言うのも、ホイル卿は、妥協を許さない実証主義者で、〈それまでの常識に合わなくても、自説に不利であっても、とことん事実のデータを尊重する〉という信条だったからである。
 ウイツクラマシンゲ博士の話では、ホイル卿が厳しく仕込んでくれたのは、「科学においては、正確さ、厳密さ、そして自己批判が、どんなに大切か」ということだったという。
3  宇宙を成り立たせる根源の法を直観
 そのホイル卿が、首をかしげて「宇宙には、首尾一貫した『計画』があるとしか思えない」「事実を素直に解釈したら、『超知性が、生命を生みだすように仕組んだ』としか思えない」と言うのだから、ただごとではない。
 卿によれば、生命が生まれるためには、とてもありそうにないほどの偶然が何回も繰り返されないと無理なのだそうだ。
 地球という限られた場所で、生命が自然発生したと考えることは、「竜巻が、廃品置き場を通り過ぎたとき、そこにある材料から、偶然、ボーイング747ジェット機が組み立てられる」くらいの低い確率なのだという。(”Holye on Evolution”, Nature, Vol. 294)
 そこから「地球上の生命の起源は全銀河中に広がる生命系にある」(ホイル、ウィックラマシンゲ『生命はどこからきたか』大島泰郎監訳、潮出版社)という主張になるわけだが、この学説以前から、ホイル卿は不思議な事実に気がついていた。
 一九五〇年代のことである。
 当時、ヘリウムなどの軽い元素は、「ビッグ・パン」で作られたとされていた。
 では、水素やヘリウムより重いほとんどの元素は、どうやってできたか? 酸素、炭素、窒素、カルシウム、リン、硫黄、ナトリウム、カリウム、塩素……それらこそ生物に不可欠の元素なのだ。
 たとえば、生物は焼けたら黒くなる。炭素でできているからだ。その炭素などは、どこでできたのか?
 「恒星の内部でできたのだ」と、これを解明したのがホイル卿なのである。恒星内部という超高熱の核合成炉で、そして星の爆発で作られたのだ。星が、元素製造工場だったのである。
 だが――ホイル卿は戦慄した。驚くべき事実に気づいたからだ。
 少なくとも三種類の原子核(ベリリウム8、炭素12、酸素16)の持つ特性(安定性やエネルギー状態)が、それぞれ、ほんのわずか、極微小でも現状と違っていたならば、生命体をつくるための元素はできなかったことを突きとめたのである。
 奇跡のような「微調整」が行われている! これは偶然か? 偶然が、これほど連続するものか?
 ああ、宇宙というものは、なんとよくできているのだろう。絶妙だ!
 ホイル卿は、宇宙が「生命を生む」ために準備してきたと考えるようになった。なんらかの「超知性」によって。
 ウィックラマシンゲ博士によると、ホイル卿の直観した「超知性」とは、創造神のようなものではなく、「宇宙の根元をなしている論理構造」にほかならない。
 つまり、宇宙を成り立たせている法則のことだという。「ホイル卿の考えは、仏教に近いのです」とも言っておられた。
4  人の誕生に宇宙が協力
 「星が作る」元素は、「星が死ぬ」とき、宇宙に吐きだされる。
 その「星のかけら」を使って、地球もでき、私たちの体もできているわけである。
 つまり、人も、花も、鳥も、虫も、木の葉の一枚一枚までも、星々の苦労の結晶なのである。
 一瞬のように短く見える人間の人生に、少なくとも百五十億年もの宇宙の歴史が込められている。
 あなたを生むのに、宇宙が力を合わせたのだ。あなたの中に、星の光が燃えているのだ。
 肉体面だけを見ても、だれもが小宇宙であり、いわば「歩く銀河」なのである。なんと尊い人生か。傷つけあったり、殺しあったりすることが、どれほど宇宙の意志にそむいていることか。
 しかも、ホイル卿は言っておられた。
 「人間の体は、たんなる『原子の集まり』としてだけでは、とらえきれません。たとえば簡単な例ですが、歯を抜いたとき。いったん抜いてしまえば、歯は自分の一部ではないわけですが、その歯と自分の間には”何か”があるはずだと、人は感じるものです。『原子の集まり』の背後にある”何か”を信じ、究明していくのが宗教者であると思いますし、それを探究しているという意味では、私も同じです」
 宗教者と科学者は〈真理への旅〉の同行者だというのである。
 卿は謙虚な方であった。真理の前に謙虚だった分だけ、それ以外の権威には、頭を下げようとしない人であった。その結果、卿を傲慢に思う人もいた。
 ウィックラマシンゲ博士は、そのあたりの機微を、こう書いておられる。
 「ホイル先生は時おり、『論争のための論争』を好む人のように誤解されました。まったく根拠のないことです。本当に心の温かい人でした。そして、先行する研究や研究者に対し、決して恩義を忘れない人でした。先生が、多数派とは違う意見を主張した場合は、ただ単に『論理が導く』ままに、その道を突き進んだだけなのです」
 「先生は、固い決心と、恐れを知らない独立心で、『われわれが住む宇宙を理解する』ために、生涯を捧げました。巨大な困難をものともせずに、取り組みました。物理学、化学、生物学の間の人為的な境界線など、ちっとも気にしませんでした。『宇宙のほうでは、そんな境界線など気にしてないからね!』と」(英国・カーディフ大学宇宙生物学センターのホームページから)
 巨視的な目を持った方だった。人類社会を見るにも、千年、万年単位で見ておられた。
 冷戦時代には「共産主義と反共主義陣営間の対立は、鳥の間の”身ぶりディスプレイ”の現象と同じにしか見えません」(『人間と銀河』鈴木良治訳、みすず書房)と言つてのけた。
5  必要なのは偉大な思想
 「権威に従うな。理性に従え」という生き方。
 ホイル卿は、不屈の精神をもった快男児であった。
 きかん気の、いたずらっ子が、そのまま大きくなった」ような、はつらつたる魂をもっておられた。
 お生まれは一九一五年というから、第一次世界大戦の二年目である。ウール商人のお父さんが出征したために、お母さんとの親密な幼年時代を過ごした。
 三歳になる前に、お母さんのひざの上で、九九を覚えた。四歳で、「12×12=144」まで暗算していたそうだから、五歳で入った学校で「幼稚な授業がつまらなかった」のは無理もない。
 九歳か十歳のころには、一晩中、望遠鏡で星を見ていた。
 学校はさぼりがちで、映画館に入りびたっては、一人で本を読んだりしていた。やがて苦労して奨学金を受けられるようになり、ケンブリッジ大学に入学をされた。
 「どうして天文学を選んだのですか?」と聞くと、「初めは物理学の方面に行くつもりだったのですが、その分野での研究成果は、ほぼピークに達していました。『それなら天文学の分野で』と思ったのです。今なら、生物学を選んだかもしれませんね」。
 根っからのパイオニアなのだろう。
 卿が言うとおり、二十世紀初めの一二十年間は、相対性理論や量子力学など、それまでの世界観を根底から変えるような理論が、次々と生まれた。
 しかし、その後は、いささか停滞しているように見える。
 なぜだろう。
 ホイル卿は「それは、科学と哲学が離れてしまったからです」と言う。
 「二十世紀初頭には科学と哲学は不可分の関係にあった」のに、今は「科学者は哲学することを、ますます嫌うようになり、旧来の概念を評価しなおしたり修正したりすることを、ますますいやがるようになっているのです」。
 確定した既成の線にそってデータを集めることに熱心になり、「科学的事実の探究が、切手収集に似てきているんですね」。
 つまり、実験の装置も予算もチームも巨大に、なり「ビッグ・サイエンス」となったが、中身のほうは「ビッグ・アイデア」が少なくなったと指摘されたのである。
 アインシュタイン博士は、「科学が発見し、哲学がそれを解釈する」(ウィリアムス・ヘルマンス『アインシュタイン、神を語る』雑賀紀彦訳、工作舎)と言った。
 ホイル卿は言う。
 人は、自分の哲学の枠を超えては考えられない、思想の「囚人」なのだから、必要なのは数百年、数千年を導く「偉大な思想」なのです。
 そして「創造的精神は金では買えない」のです――と。(前掲『人間と銀河と』、引用・参照)
 卿が「ビッグ・パン」説に賛同でき、なかったのも、哲学的に満足できないからだった。
 「爆発から始まったというが、じゃあ、その前はどうなっていたんだ?」
 観測できるこの宇宙が「膨張を続けている」ことは事実だとして、その解釈となると、ひととおりではないはずだと。
 「ビッグ・パン」説は、ユダヤ教・キリスト教的な「天地創造」の思想が背景にある解釈ではないかとされたのである。
6  「祈り」は宇宙との対話
 ホイル卿は、真理の高峰によじ登り続けたが、実際の山登りも大好きだった。スコットランドの千メートル級の山、二百八十峰を、すべて踏破したそうである。
 山頂に立って、卿は、何を思っておられたのだろう。
 大空と語りあい、星々と語りあいながら、無辺にして永劫の宇宙のなかで、われわれ人類が、いずこより来り、いずこへ行くのかを思索しておられたのだろうか。
 お会いしたあの日、卿は、祈りということについて、それは「宇宙との対話」ではないかと言っておられた。
 「現代では、祈りの力を、そのまま信じることは簡単ではありません。しかし私は、祈りの本質とは『宇宙へのメッセージ』ではないかと思うのです。果てしなき宇宙に向かって、自分のメッセージを送り、そして宇宙の声に耳を澄まして、その返事を聴くということです」
 仏法の祈りとは、「内なる宇宙」を「外なる宇宙」と交流させる挑戦とも言える。宇宙につつまれている人間が、宇宙を自己の一念の中につつみ返そうとする行為とも言えよう。
 二〇〇一年八月二十日、「真理の旅人」は安らかに逝かれた。八十六歳だった。
 大好きな宇宙空聞に、ちょっとの間、戻られたわけである。
 そろそろ、どこかの星に生まれてこられるころかもしれない。
 その星でもふたたび、宇宙と生命の研究をされるのだろうか。

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