Nichiren・Ikeda
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井上靖氏
”烈日の生”を求めた詩人の魂
随筆 世界交友録Ⅲ(池田大作全集第124巻)
前後
10 「この人だ」と決めた人が人生の師匠
「君の師匠は、池田先生だろ?」。ある青年が、井上さんから聞かれた。
「はい。池田先生が、どう思われるかわかりませんが、私は、そう決めてます」
「そうなんだ!」。井上さんは目を、かっと見開いた。
「人生の師匠というのは、お稽古ごとの師匠とは違う。学校で習ってるから師匠――そんな平板なものでもない。自分が『この人だ』と決めれば、その人が、自分の人生の師匠なんだよ」
”青年は無限の可能性の泉だ”と、つねに励ましを惜しまない井上さんであった。
日中友好の先駆者として、中国の友人との信義のためには、身を危険にさらすことも厭わない井上さんであった。
売らんがために学会を中傷する週刊誌の関係者に会うと、「池田さんは大事な人だ。あんなことやめろ! 社長に言っとけ!」と語気を強める井上さんであった。
人生の最後まで、「烈日」のごとく、皆を照らし続けた井上さんであった
『孔子』発刊の翌々年(一九九一年)の一月二十二日、入院。一週間後の二十九日、八十三歳の太陽は空を茜に染めながら、静かに山の端に融け込んだ。
入院前にしたため、最後の詩となった「病床日誌」(前掲『井上靖全集』1所収)の一節。
「一日、端座して、
顔を庭に向けている。
樹木も、空も、雲も、風も、鳥も、
みな生きている。
静かに生きている。
陽の光りも、遠くの自動車の音も、
みな生きている。
生きている森羅万象の中、
書斎の一隅に坐って、
私も亦、生きている」
かけがえのない生――。
静かに燃える命のその風景に、あの庭の「松」もあったのかと思うと、どこかでまた、その話題から、井上さんと対話を始めたい気持ちが湧いてくる。