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日蓮大聖人・池田大作

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ジャン=ポール・ベルトラン社長 フランスの出版社・ロシェ社

随筆 世界交友録Ⅲ(池田大作全集第124巻)

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2  「一人立つ者にとって人生は流刑なり」
 地上に、人は多いが、語りあうべき人は少ない。
 書物は多いが、読むべき良書は少ない。
 ベルトラン社長は、どう考えておられるだろうか。
 「出版という仕事は、崇高なる『聖職』です。なぜなら出版は、その時代、その地域の文化が、どんなものであるかを『証言』するものであり、出版人には、その自覚が求められているからです」(九十年四月、創価大学での講演から)
 その国の文化レベルは出版人が担っているのだ、と言うのである。決然たる覚悟である。
 本は人なり。人で決まる。どんな本を出しているのか。どんな本を残そうとしているのか。それは、著者だけでなく、出版人自身の「魂の表現」であろう。
 一冊の本が世に出るには、著者とともに出版人の努力が不可欠だからである。いわば、共同作業の結晶である。
 どんな優れた書き手がいても、それを見いだす出版人がいなければ、日の目は見ない。
 出版人が「目先の利害」に目を曇らされ、もうけ主義に転落したならば、悪書が良書を駆逐し、社会は「魂の栄養失調」におちいってしまうにちがいない。
3  ロシェ社は、パリ六区にある。
 近くには、上院議院のあるリュクサンプール宮殿や、オデオン座、ソルボンヌ大学、たくさんの出版社がある。学生の街、カルチェ・ラタンもすぐそばで、文化の香気あふれる場所である。
 私の著作のフランス語版も、多くを同社から出していただいた。すでに十数点にもなる。
 ロシェ社と、ベルトラン氏の誕生は、ともに一九四三年。しかし、氏が経営にたずさわり始めた70年代の後半、同社は長い停滞を続けていた。
 それを、新しい企画を次々に打ち出して蘇らせ、大発展させたのが氏の情熱であった。
 力を振りしぼれば、道は開ける――氏は、人間の可能性を信じている。
 「人間は、本当に自分が望むものにだけなっていくのです」と。
 若いころは体操の選手で、フランスのジュニア選手権大会で優勝したこともあるという。
 少年時代から大変な読書家で、ヴィクトル・ユゴーも熟読されている。
 「愛するユゴーの言葉は?」とうかがうと、「一人立つ者にとって、人生は流刑なり」。
 即答であった。
 だれに理解されなくとも、どんな悪口罵詈の嵐があろうとも、一人、信念を守って、戦い続けよう! そんな人間像を理想としておられるのである。
 社長のとの信念ありて、ロシェ社の品格がある。
4  「未来」を確信し、今、樹を植える
 かつて、出版は、圧政との戦いであった。
 「言わねばならぬ」ことのために、命さえ捨てた。ユゴーも、十九年の流刑に耐えた。
 今、出版は、商業主義との戦いかもしれない。「売れさえすればいい」との戦いである。
 先人が命がけでもたらしてくれた「自由」を乱用し、低俗と嘘の腐臭のなかで、文化への「志」が死滅しかけている。
 それは読者の責任か。出版人の責任か。
 「日本は高度情報化社会だ」と胸を張ったところで、情報の中身が貧困なら何になろうか?
 氏は、ユゴーのエピソードを語ってくださった。
 「ユゴーがガンジー島に亡命したとき、島に柏の樹を一本、植えました。この樹がやがて大きくなるころ、彼の信条であった『ヨーロッパ合衆国』が実現する日を目撃するだろうと。それから百数十年がたちました。かつて夢であった『欧州共同体』は実現しつつあります。ユゴーは、正しかったのです! どんなに人が反対しても、未来を展望し、確信し、勇気をもって戦ったのです」
 語る氏の声のなかに、氏自身の人生への思いが宿っていた。
 出版もまた、後世を信じて”樹を植える”作業であろう。
 「表現における『質』の絶えざる追求――出版という仕事は、私の人生そのものなのです」
 こういう方がおられるかぎり、やはりフランスは「文化対置」だと私は思う。

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