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ツェンドアヨーシ モンゴル文学大学学長… ”文学の復興”に挑戦する

随筆 世界交友録Ⅲ(池田大作全集第124巻)

前後
2  内陸国モンゴルには、二つの海があるという。
 「草の海」と「星の海」だ。
 ツェンドアヨーシ先生も、幼いころから、この海のまっただなかで育った。わんばくだった。家庭の事情で、お母さんはいなかった。
 その分、「おばあちゃん子」になった。毎日、「おばあちゃん」の仕事を手伝う。大変だった。なにしろ、羊が二百頭もいるのだ!
 ほかに、馬が六頭、牛が二十頭、ラクダが九頭。
 毎日二回、羊の乳をしぼる。羊の向こうに、おばあちゃん、こっちに自分が座る。二百頭だから、六、七歳の子どもにとっては重労働である。
 羊の放牧もした。燃料用に、牛の糞も集めた。
 夜は、ゲルに寝ころぶと、天窓の向こうに、きらめく光の海原が見えた。
3  「心の復興」をどうやって
 「私が小学校に入ったころです。祖母は、タバコを吸うようになりました……」
 小学校は寄宿制である。遊牧している家族と離れて勉強するのだ。一九五三年だった。五月。楽しみな休みがきた。お金はない。そのかわり、成績優良で表彰されて、「ごほうび」に、ノート、インク壷、ぺン、色鉛筆をもらっていた。少年は、それを友だちに売った。
 そのお金で、じつを言うと、店にある飴や、お菓子がほしかった。しかし、全部、タバコの葉を買うのに使った。
 七十歳くらいだったおばあちゃんは、涙を流して喜んでくれた。
 「モンゴルの子どもは、すごくがまん強かったんです。でも、今の子どもたちは、お金があればあるだけ、たった一日で、飴や、お菓子に使ってしまいます」
 ツェンドアヨーシ先生が心配するのは、愛する祖国の「心のゆくえ」である。日本も、人ごとではない。
 モンゴルでは、九〇年代に入って、民主化とともに、自由の反面、商業主義の波が押し寄せてきた。
 貧富の差。福祉の低下。家族の崩壊。
 「お年寄りは疲れ果て、母子家庭が増え、少年たちはマンホールで生活する。こんな現状に、私の胸は痛むのです」
 先生は、十九歳で小学校の教師になった後、国立師範大学を卒業。モスクワのゴーリキー記念文学大学でも学んだ。九〇年まで十二年間は、文化省の副大臣を務めた。
 「若者が都会に憧れ、田舎を捨てて行ってしまう。そんな状態を改善するために、『田舎にも文化を』と努力しました」
 二週間に一回、遊牧民のために文化奉仕をした。
 映画、舞踊、健康診断。スポーツを奨励し、伝統の祭典ナーダムを盛りたてた。モンゴルの貴重な文化遺産の保護にも全力を尽くした。移動図書館も。
 「しかし、今の子どもたちは、読書よりも、テレビ・映画です。遊牧生活では、電気がゆきわたらないので、だれでもというわけにはいきませんが……」
 そして、先生が、「心の復興」のために始めたのは、「文学の復興」への挑戦であった。
 「文学こそ、人間の心を温め、社会と生活に『光』を贈るものです。人生の目的、心の問題などを掘りさげ、『人間を高めていく文学』が必要です」
4  「賢者ミャタブ」のごとく
 先生自身、十カ国以上で作品が翻訳されている作家である。文学評論、テレビや映画の脚本も手がけてきた。
 たとえば、「賢者ミャタブの物語」。(”Адтай Мятав”)
 アパートが火事。五階の坊やを、はしごも無しにどう救うか? 池で人がおぼれている。泳ぎが苦手の自分に何ができる? 岩山から襲いかかるヒョウ。どう素手で立ち向かう?
 主人公のミャタブは、どんな窮地も、あっと驚く機転と勇気で切り抜けていく。人助けに動かないでいられない「男のなかの男」である。
 ミャタブは、学長自身の分身なのかもしれない。
5  一九九四年、モンゴル文学大学の創立とともに、初代の学長に就任された。大学の方針は「一人の作家が、一人の学生を育てる」である。青年を”人の心を打つ作家”に育てることをめざしている。
 多くの文学コンクールで、同大学の学生はつねに上位を獲得。九八年には一期生が巣立った。ジャーナリストに、教員に、全国の文化関係の職場に ――”心の宝石”を社会へ送りだす”鉱山”のような大学なのである。
 「世界や宇宙のことも、人間に近づけて書くんだよ。人間が根本だよ」――学長は、そう教えているという。
 学長は、もったいなくも、私を大学の「名誉学長」としてくださり、創価大学での式典では、あいさつを、こう結ばれた。
 「世界が、子どもやお年寄りの歓喜の声で満ちあふれますように! 頭上には、いつも金色の太陽と紺碧の空が輝いていますように!」
 それは、そう、「おばあちゃん」と暮らした、あの幼き日の光景そのものだったのかもしれない。
 学長の姿に、私は思った。草の海、星の海。モンゴルには、もう一つ海があるのだ。どんな障害も、怒濤のごとき人間愛で乗り越えていく「心の大海原」が!

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