Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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ローゼル デラウェア大学学長 「教員養成プログラム」を実施するアメリカの名門校

随筆 世界交友録Ⅲ(池田大作全集第124巻)

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2  「ことの大小を見極めるセンス」
 学長は「大学の価値は、大きさや歴史の長さで決まるのではありません! どんな『理念』『哲学』をもっているかで決まるのです」とも語っておられた。(一九九九年三月、東京)
 その基準から見たとき、日本の大学は、どう評価されるだろうか。
 そもそも「日本人は『センス・オブ・プロポーション(ことの大小を見極めるセンス)』が不足している」と、よく言われる。哲学なきゆえか、感情的すぎるのか、何が「大きなこと」で、何が「小さなこと」なのか、見定めるのが苦手なのである。
 だから、個人も、国家も、小さなことにこだわっているうちに、大事なことを見逃してしまうことが、しばしばある。
 本来、そういう「理性的センス」を身につけるのが、大学という場であろう。しかし、そのためには、教師自身が謙虚に自分を見つめる「理性的風土」がなければ不可能ではないだろうか。
 学生に対し「あなたの人生にとって『優先すべきこと』は何でしょう?」。そう問いかけるとき、教師自身が、自分が人生で何を最大に大切にしているのか、胸に手を置いて、問い直さなければならない。同じ「一人の人間」として――。
 権威主義では、それはできない。差別があっては、それはできない。教授も学生も、先輩も後輩も、人間としての「平等で自由な関係」がなければできない。そういう人間主義こそ、大学の発展にとって決定的に大切なことだと私は思う。
3  「学生のための教育」を教師に訓練
 教師自身がみずから学ぶ――デラウェア大学では「大学教員養成のプログラム」を実施している。全米でもめずらしいとされる。「学生が安心し、喜んで勉強できる環境」を創造するための訓練を、教員を対象に行っているのである。
 「大学の教員は、どうしても『専門家』としての意識が強いので、『学生のために自分が学び、成長しよう』と努力できない傾向があります」
 そう語るのは、ローゼル学長とともに来日されたメアリー・ノートンさん。同大学で創価教育学を研究した哲学者、故デイピッド・ノートン教授の夫人である。
 「そういうなかで、五〇パーセントもの教員が、このプログラムに参加しているのです。これは驚くべきことなんです」と。
 教師のために学生がいるのではない。学生のために教師がいるのだ。
 ゆえに、教師は権力者であってはならない。権力は必ず腐敗するからだ。そもそも、傲慢な人間に、人を育てることはできない。
 教師が学生を「手段」にするとき、大学から「教育」の火は消える。
4  ローゼル学長は「何にもまして学生を大事にする学長」として有名である。
 学生がキャンパスを歩いているとき、呼びかける声に振り返ると、そこにローゼル学長の姿がある。
 「勉強はどう?」
 「何か問題はない?」
 大学の食堂で働いている若者にも声をかけ、励ます。
 「私は、学生に安心と信頼感を与えたいんです」
 学生から寄せられる手紙や電子メールにも、まめに返事を出す。学生は驚く。
 少しでも、みんなが喜ぶように、充実した学生生活が送れるように――学長は言う。
 「重要なのは『すべての教師が、学生に大きな影響を及ぼす力をもっている』という事実です。だから、積極的に、学生に『プラスの影響』を与えていくべきです。私も、そう心がけています
5  ”逆境の学生には「勇気」を贈るべき”
 学長は「家系のなかで初めて大学教育を受けた」方である。
 「私の父は『半孤児』でした。早くに父親を亡くし、母親とたくさんの子どもが残されたのです。母親は生活に困って、子どものうち三人を施設に入れるしかありませんでした。私の父も、その一人でした。
 当時の施設では、子どもを働き手として、外に貸していました。父たちも、ニュージャージー州のその施設から、となりのペンシルベニア州の農場に出されていました。父は、小学校には三年間しか行けませんでした」
 しかし、学長のお母さんと結婚した後、お父さんは夫人に励まされて、努力の末に、高校卒業の資格を取った。聡明なお父さんであった。
 「私は父から、逆境を乗り越えてみせるという『努力』を学びました。母からは、すべて必ずよくなるんだという『確信の一念』を教えられました。
 それは、学長自身の体験から生まれた信念であった。
 困難なことばかりでしたが、両親は明るく振る舞い、乗り越えていきました。私は、そういう家系のなかで、初めて大学教育を受けたのです」
 こうしたことから当初、学長は、大学を卒業すれば十分だと思っていた。経済的にも、ゆとりはなかった。
 その考えを変えたのは、思師の「大学院に進んだらどうか」という励ましであった。自分の可能性を信じてくれた!――恩師の一言を抱きしめて、数学の博士号を取り、学長にまでなられたのである。
 私は美しい「師弟の紳」に感動し、言わずにおられなかった
 「学生が順調なときはいい。逆境のときにこそ、『勇気』を贈るべきです。その慈愛こそ、教師の魂です。逆境のなかを、どう強く生きぬくか、勝利するのか。これを教えていくのが、教育者の使命だと思うのです」
 デラウェア大学の創立者、フランシス・アリソン博士のことをたずねたときも、学長の答えには、”教育者の心”が熱く燃えていた。
 「アリソン博士の『遺産』は何でしょうか?」
 「それは、最初のクラスの生徒たちです」と。
 同大学の淵源は古い。一七四三年。なんと、「アメリカの独立の前」である。
 若きアリソン博士は、たった十人の生徒から始めた。この「第一期生」は八歳から十六歳。博士の家が、そのまま「校舎」だった。教科書も満足にない。しかし、そんなことは問題ではなかった。
 博士は「理想の新世界」を築とうという情熱を、生徒の若き血管に注ぎ込んだ。当時としては画期的な「民主主義」の思想や、「三権分立」の理念も語った。
 そして十人の中から、州知事、国会議員、医師、学者らが育ち、そのうち三人が「アメリカ独立宣言」の栄誉ある署名者に、「合衆国憲法」の署名者になったのである。
 学長も「私が『最高にうれしいこと』は、卒業生の成長を見ることなんです!」。
 私も創価大学・学園の創立者として、まったく同じ心境である。卒業生は、創立者にとって「わが生命」である。
 メアリー・ノートン夫人も「教育の根本は『わが子のごとく、学生を思う心』にあります」と。
 学長に同行して来日された歴史学のカラハン教授も、数々の学問的業績を残せた喜びにもまして「いちばん、うれしかったのは、学生たちと触れ合い、心を通わせることに成功したことです」と言っておられた。
 カラハン教授は、学生が選ぶ「最優秀教育者賞」を受賞しておられる。
6  「アメリカでは教授も採点される」
 アメリカの大学をよく知る人によると、日本の大学との決定的な違いは「教授に対して、勤務評定と業績の評価が行われる」ことだという。一定期間の学問的業績と教育内容が、公式の場で厳重に審査にかけられるのである。
 これに対し、日本のシステムについて「教授になるまでは、指導教官に気に入られることに専念し、いったん教授になったら、十年一日の講義でも一生安泰」とまで酷評する人がいるが、そういう面が今もあるのだろうか。
 アメリカでは、講義内容について、学期ごとに、学生たちが無記名で「教授への評定書」を出す大学もある。
 これらを、そのまま日本で行えと言っているわけではない。
 しかし、大学も、教師も、何らかの客観的な審判を受けなければ、特権的な「ぬるま湯」につかってしまいかねない。それでは「自己変革」はできないと思うのである。これが多くの識者の意見である。
 そして、最高学府が変わらなければ、教育界は変わらず、日本は変わらない。
7  カラハン教授に、うかがった。「興隆していく社会・国家の条件は何でしょうか。衰亡していく社会・団体は、なぜそうなるのでしょうか」
 答えは明快だった。
 「時代の変化に対応できるかどうかです。大事なことは、つねに『変化』を受け入れていくことです。『自分のやっていることは、すべて正しいんだ』と思ったとたん、危機におちいるものです」
 世界は変わる。劇的に変わる。今の一年は、昔の十年である。
 二十一世紀。国家の枠など無意味になる時代が、すぐそこまで来ている。
 そんな時代に、日本国内でしか通用しない。「一流大学卒の肩書」とか、偏差値とかに、いつまでこだわり続けるのだろうか。
8  「世界市民」を育てる教育を
 たとえばアメリカの大学では、実力があれば、転校したり、他の大学院に進むことが普通になっている。そこで問われるのは、「あなたは、どこの大学の出身か?」よりも「あなたはいったい、何ができるのか?」なのである。
 日本の大学は「入るのはむずかしいが、出るのはやさしい」と言われる。これを逆にしなければ、”新しい時代に対応できる実力”は鍛えられないのではないだろうか。
 ローゼル学長は「一人の人間を『世界市民』に育てるのが教育です」と。
 そもそも、個人として”世界に通用する人間”を、日本の大学は、どれだけ育てているだろうか。
 専門の実力はもちろん、自由自在に世界の人々と交流できる語学力、対話力、独創力、確固たる人生哲学、伺より人類普遍の熱いヒューマニズムを五体にたぎらせた若者を、どれだけ世界に送り出しているのか。
 「何のため」を見つめず、知識を詰め込むだけの「哲学なき教育」は、語学力もなければ、民主的な人格ももたない「大学卒」を大量につくってしまうのではないだろうか。
 学長は、こうも論じておられた。
 「アメリカ建国の父の一人、ベンジャミン・フランクリンは言いました。『人々を正しく教育しなければ、民主主義という実験は失敗するだろう』と。この言葉は、当時よりも、今はもっと切実です。
 民主主義には、未来についての『責任感』をもった人間が必要なのです。具体的には、投票所に行く前に、世界についてのさまざまな知識をもっていなければなりません。一人が『正しい認識』をもって投票してこそ、民主主義は『正しい方向』に進むのです」
 「日本の民主主義は瀕死状態」と言われる今、痛切な警告であろう。
9  まず教育の変革を!
 そのために、教師自身の自己変革を!
 それこそが、日本の二十一世紀が優先すべき大きな石」ではないだろうか。

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