Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

ケノレテースフローレス大学学長 アルゼンチンで「人間教育」の学舎を創立

随筆 世界交友録Ⅲ(池田大作全集第124巻)

前後
3  大量生産される「空虚な人間」の危険性
 人間を育てる教育。そのためには、何が必要か。
 「何のため」という人生の価値観が必要である。めざすべき人生のモデルが必要である。それなくして知識のみを与えると、どうなるか。
 「ドイツの学校教師の力によって、ヒトラーはドイツを掌握することができたのだ」(『われわれ自身のなかのヒトラー』佐野利勝訳、みすず書房)。こう指摘したのは、哲学者ピカートである。
 それは、教師たちがナチス支持だったからではない。
 青年たちに「詰め込み教育」を施すことによって、「刹那的で空虚な人間」を大量に生産してしまったからである。
 高度な知識を得ても、知識と知識の間に相互の関連はなく、支離滅裂な断片として、頭脳の中に浮遊しているだけ――。
 無批判に、ただ目新しいものだけを追いかけ、善も、悪も、忠実も、裏切りも、すべてが、ごっちゃにされていく。高潔な人への尊敬もなければ、嘘つきや詐欺漢への激怒もない――。
 こうして、”国家主義に屈従したのだ”という自覚すらないままに、知らずしらずのうちに滅亡へと転落していったのである。
 ナチスの犠牲者の一人であるケルテース学長は言われた。「今こそ、教育にヒューマニズムが必要なのです!」
 それは、全体主義の悲劇を知る人の、切実な叫びであると私は思う。日本も、絶対に、人ごとではない。

1
3