Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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メータ デリー大学副総長 25万人の学生を粘り強くリード

随筆 世界交友録Ⅲ(池田大作全集第124巻)

前後
1  ”大学の中にインドが凝縮している
 「オーケストラの指揮者みたいな方です」
 V・R・メータ副総長は、こう評されている。
 インド国立デリー大学には、なんと「二十五万人の学生」が「八十を超すカレッジ」にいる。
 かつて私も訪問した中米のバハマが人口二十八万人くらいだったから、副総長は小さな「国」を率いているようなものである。
 実際、”大学の中に、インドが凝縮している”
 と言われる。政党間に対立があれば、すぐさま学生の間でも火花が散る。
 「八千人の教員」がいるから、考え方も千差万別。大学の評議会にしても、簡単にはまとまらない。
 そんななかで、副総長は、超人的な忍耐力で、あらゆる意見に耳をかたむけ、尊重しながら、粘り強く、一致点を見つけるのだという。
 お会いして、私もすぐに感じた。「心が光っておられる。こまやかな心配りが、あふれている。本当の紳士であられる」と。
 私への「名誉博士」の学位贈呈式(一九九九年一月)のために、わざわざ来日してくださり、渾身のスピーチまでしてくださった。さらに、お疲れにもかかわらず、「ぜひ、学生の皆さんと語りあいたい」と懇談までしていただいた。
 女子短大生が愛唱歌で歓迎すると、そっと歌詞の意味をたずねる副総長。短大の「勝利の乙女」の像を見れば、何と刻まれているのか通訳にきく。そして懇談が始まるや、さらりと語られた。
 「愛唱歌にも、すばらしい指針がありますね。皆さんと一緒に、未来の大空へ飛んでいきたい、そんな思いにかられました」
 「像に刻まれた言葉『一人の乙女の情熱が全世界を輝かせゆくことを信じ、私はさらに歩み続ける』――そのとおりです。女性が強ければ、未来は盤石です。社会が行き詰まるのは、女性が無視されているからです」
 同席したスネー夫人も、学生たちに「食べながら、話しましょうね」と、にこやかにインドのお菓子を振る舞ってくださったという。
 心配りのできる人が、本当の偉い人である。本当の人間であり、本当の学者である。
 ガンジーも、そういう人だった。深刻な政治闘争の渦中にあっても、病気の人に会えば、にっこり微笑んで「ほうれん草はちゃんと食べているかね?」「体の調子はどんな具合だね?」。(ハリー・バーウ・ウパッデャイ『バーバー物語』池田運訳、講談社出版サービスセンター。以下、同書から引用・参照)
2  「学生」は、教師の実像を映す「鏡」
 あるとき、ガンジーは、大学の教師に語った。
 「学生は真実を映し出す鏡であります。かれらには、驕りも、敵意も、偽善もありません。あなた方のあるがままの姿を正しく見てとります。もし学生が人間味に欠け、真実性に乏しく、暴力的であるとすれば、罪はかれらにあるのではなくて、父母、教師、教授、国にあるのです」
 〈模範を示す〉ことこそが、ガンジーの教育法であったのだ。
 アシュラム(研修道場)では、「食事の鐘は二度鳴らされる。二度目の鐘が鳴ると扉が閉めれ、そのあとから来るものは初めの人たちの食事がすむまで待たされる」。一度、ガンジーが遅れてしまった。彼は、静かに扉の外で待っていた。
 メータ副総長は、秀才中の秀才である。デリー大学、イギリスのケンブリッジ大学で学び、二十九歳の若さで祖国の大学教授に。
 政治学と教育の傑出した貢献に対して、数々の賞を受賞。博士の名前は英国の『功績/偉業を成し遂げた人々』、米国の『卓越したリーダーシップ国際人名録』にも掲載されている。
 しかし、博士の場合、知識は鼻先にぶら下がっているのではない。学問は氏の五体を駆けめぐっている。だから、内から光っておられる。だから、氏の学問は「人間自身」から離れない深さがある
 学生時代には、宗教書を貧り読んだという。
 そして「東」と「西」の英知が、氏の中で一つになったとき、見えてきたのは、ガンジーの言葉の正しさであった
 「多くの人が、『西洋と東洋の良いととろを取り入れよう』としているとき、ガンジーは言は言いました。『文化は、ジグソーパズルの組み合わせのようなものではない』」
 日本の近代化も、”和魂洋才”のスローガンのもと、結局、魂を失っていった。
3  宗教なき政治は、国家を死滅させる
 メータ副総長は言う。
 「ガンジーは西洋も拒否し、東洋も拒否し、『第三文明』を志向したのです」
 第三文明、それは私どもの年来の主張である
 その核心は人間主義であり、具体的には思いやりである。心配りである。
 政治学の犬家である副総長は言う。
 「ガンジーは教えました。政治的な問題で、どうすればよいかわからなくなったときは、『いちばん貧しく、弱い人々の顔を思い浮かべて判断せよ』と」
 ガンジーは、”政治なんだから、虚偽も、裏切りも、欺瞞も、駆け引きも当たり前じゃないか”という声には、断固として”ノー!”。”そんな政治は、人間に害になるだけだ。ないほうがいい”
 「宗教の欠如した政治は国家の首を吊るロープであります」と主張した。(前掲『バーバー物語』、引用・参照)
 メータ副総長も「人々を倫理的な生活に導かない政治は、存在する意味がありません」と、この点、はっきりしている。
 結論をシンプルに表現できるのは、大学者の特長である。
 副総長も明快である。
 「必要なのは、『弱者を強くし』『強者を正義に導く』ことです」と。
 そうでなければ、社会は弱肉強食のジャングルと変わらない
 「二十一世紀は『正義を追求する世紀』になるでしょう」とも言われていた。
 その正義とは、強者が弱者に押しつける身勝手な正義ではなく、大多数の弱者のために「力」を使っていくという慈愛であり、道徳律であろう。
 その正義の道を、理論だけでなく、みずからの振る舞いをもって探求しておられるお一人が、メータ博士なのである。

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