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日蓮大聖人・池田大作

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ハインリッヒ・バルト博士 学生・研究者を支援する「アデナウアー財団」設立

随筆 世界交友録Ⅲ(池田大作全集第124巻)

前後
1  「激動のドイツ」で精神の復興に賭ける
 世界には、哲学をもった政治家が多い。文学を愛し、宗教を探究する指導者も非常に多い。
 尊敬するドイツのバルト博士も、そのお一人である。
 西ドイツの大宰相、アデナウアー首相の片腕であられた
 首相も、博士も、二十世紀の「激動のドイツ」の苦悩のなかで、一つの信念を共有されていた。「希望――それは精神の復興にしかない」と。
 「ヒトラーを見たことがありますか」
 私が問うと、博士は言われた。
 ――一九三八年、ハイデルベルクの大学で学び始めたころ、一度だけ見た。ヒトラーがホテルに向かう車から手を振っていた。ホテルで群衆が「ハイル(万歳)、ハイル」と叫んでいた。しかし「総統は休まれるので静かにするように」との一声だけで、皆、一言も話せなくなった。街に、シーンと静けさだけが広がった。
 「あの不気味な静けさは、今も強く印象に残っています」と。
 バルト博士の前半生は、戦争の黒雲に覆われていた。お生まれは一九一四年八月。第一次世界大戦が始まった半月後である。
 第二次世界大戦では、法律家の博士も兵隊にとられた。ご兄弟も、ロシア戦役で亡くした。
 終戦になるや、博士はただちに将軍のととろに行って除隊を申し出た。「無事には帰れないだろう」と言われたが、人に自転車と服を借りて、愛妻のもとへと走った。二日かかって、たどり着いた。
 しかし、後から米軍に呼び出された。尋問の前、いきなり殴られた。何と横暴な! バルト青年は抗議した。「自分のほうに力があるからといって、あなたはアンフェア(不公平)だ」。堂々たる正論に、米兵も「よくわかった」。三カ月後に無事、釈放された。
2  「青年を育てる」挑戦の日々
 ドイツの戦後は、指導者が偉かった。自国の過去の真実を直視する「勇気」をもっていた。
 パルト博士も言う。「ヒロシマで起こったことは、どんな人間にも責任が取れません。ドイツ占領下の強制収容所で(ユダヤ人等に対して)行われたことは、どんな裁判所でも申し開きできません」
 ドイツでは、戦争犯罪人の裁判が延々と続けられ、なんと一九九二年にも”元ナチス”に終身刑が言いわたされている。もちろん自国民による裁判である。
3  博士は青年に忠告した。
 「人間は、いつ、どとで、頭角を現すかわからない。だから日々の努力を怠るな」
 それは、博士自身の経験であった。戦後、ブレーメン州の連邦政府代表としてポンにいた博士は、六〇年、アデナウアー首相の補佐官に抜擢されたのである。「ベルリンの壁」が構築される前年であった。
 首相が退陣する六三年まで、四六時中、首相と行動をともにする激動の日々が続いた。
 博士は四十代首相は八十代も後半であった。
 人生に引退なし。私もよく、年をとって元気のない友にアデナウアー首相を見よ!」と励ましたものである。
 バルト博士が崇敬するゲーテは言った。
 「私ほど、(中略)若い人材を擁護するために生涯をかけて貴重な時間と金を費してきた者はいないだろう」(エッカーマン『ゲーテとの対話』下、山下肇、岩波文庫)
 博士の後半生の基調も「青年を育てる」挑戦であった。そこに博士の「平和を育てる」苦闘があった。
 六三年から七年間、連邦政府の「青年家庭省」次官に。
 同じころ、アデナウアー財団の創立に尽力。財団の「英才助成研究所」の所長として、留学生を含め、若き学生・研究者を支援された。その数、じつに三千人。みずから学生に会って面接し、激励することも、しばしばだった。
 ある学生がSGI(創価学会インタナショナル)のメンバーになった。そのことを博士に告げた時、こう言われたという。
 「君はたしかに優秀な学生だった。仕事の面でも立派だったと思う。でも、それだけだった、これまでは。しかし、今、あなたは哲学をもって自分の人生を処していきたいと言われた。これからは、私は襟を正して、あなたに接していかなくてはいけないね」
 あなたが信仰者だから尊敬します――と。
 「精神性が大事だ」と口先で言う指導者は多いが、博士の場合は、その信念が、心からのものなのである。
4  「宗教なき社会は危険」
 「現代は大きな”変革の時代”です。明日は、どうなるのか。きょう、何をすべきなのか。だれもが、とまどっています」
 そう語るバルト博士は、哲学者の眼光であった。
 「”変革の時代”は、世界を”カオス(混沌)の時代”に導くかもしれません。宗教など必要でないという『世俗化された社会』には、その危険性が大きい。今、必要なのは『宗教』そして『精神』の再評価だと思います。これこそ、人類が直面している最も大きな課題です」
 一九九〇年春、東京での語らいであった。前年に、あの「ベルリンの壁」が壊れていた。
 歴史の大転換期にあって、博士が見つめていたのは、表面の変化ではなく、「歴史の底流」をつくる人間精神の中身だったのである。
 共産主義の破綻についても、経済システムの問題ではなく、その体制が「真実への冒瀆」のうえに築かれていたからだと見ておられた。
 「日本もドイツも経済力は巨大ですが、『精神』と『文化』の脈動がなければ、経済の力さえ無意味となりますね」――博士の憂慮は、少なくとも日本では的中しているのではないだろうか。
 こんな”賢者バルト博士”のSGIへの励ましは、私どもにとって、じつに力強い声である。
 「急激な変化を前に、多くの人々は、なすすべなく停滞しています。しかし皆さまは、まず心の中で、この”停滞”と戦い、人に勇気と確信を与えつつ、”前進”しておられる。私は敬意を表します!」

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