3善意が善意を呼び、協力が広がる 東カザフスタンのお生まれ。お父さんは鉄道や製材所で働いていた。一家の子どもは三人姉妹と二人の兄弟の五人。ジナイダさんは真ん中。 お母さんは、毎日三時に起きて、牛を牧場に放し、腰を曲げて畑仕事をした。とれたタマネギを自分で売って歩いた。働きすぎて、心臓を病み、早くこの世を去った。 うちが貧しかったから、少女は市場で、バナナとかブドウを「安くして」と、ねぎるのは得意だった。 ただ、どこかのおばあちゃんが、一束のニンジンや、ラディッシュ(二十日大根)を売っていると、どうしても「言い値で買ってしまう」彼女だった。そのおばあちゃんが、どんなに大変な思いで野菜を育てたか、よく知っていたからだ。 今でも、街角で子どもが花などを売っていると、駆け寄って、花を全部、買ってしまうことがある。 そんな彼女の愛情の「火」が、運動を始めたとき、人々の胸の「火」をかきたてた。あの慈母の微笑みを見れば、だれだって協力しないわけにはいかなかった。呼びかわすこだまのように、善意が善意を呼び集めた。 「すべては愛から始まる」。彼女はとの言葉が好きだ。 「新聞などで、不幸な子どもたちへの寄付を呼びかけると、だれがいちばん、頻繁に応じてくれると思いますか? それは年金生活者をはじめ、決して裕福とは言えない人々なんです。子どもたちのために、自分のわずかな年金や、お給料から絞りだすようにして寄付してくださるんです」 語らいの最後に、彼女は言った。「今、ロシアは第二次世界大戦後のような混乱のなかにあります。でも今、私は勇気を得ました。ロシアは必ず蘇る、必ず元気になると!」 美しい笑顔だった。花壇の花の美しさではなく、年輪を重ねた花樹からこぼれ咲く美しさだった。 私は彼女に、ぴったりと思うトルストイの言葉を贈った。 「ああ、母たる女性よ、あなたがたの手の中にこそ、世界の救いがある」(Л.Н.Толстой, Так что же нам лелать?, Полное собрание сочинений, том 25, Художественная литература)