Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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ジナイダ・F・ドラグンキナ会長 ロシアの子どもたちを援助する慈善団体「プラゴベスト」

随筆 世界交友録Ⅲ(池田大作全集第124巻)

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2  「私は人の不幸から目を背けない」
 彼女は、来る日も、来る日も、毎日、早朝から夜中まで、分刻みのスケジュール。
 そんな彼女に、あからさまに「焼け石に水じゃないんですか? どんなに頑張ったって、みんなを満腹にしたり、みんなに家を与えられるわけじゃないでしょう」と言う人もいる。
 しかし、そんなことは、彼女自身がだれよりも知っているのだ。
 「何千回も自分に問いかけてきました。『何をしたらいいんだろう』『何ができるんだろう』。全国の子どもたちから、助けを求める手紙が何千通も届きます。無力なために、とても思うようには応えられない。『こんな私たちに、いったい何ができるんだろう』と悩んでしまうのです」
 そう私に述懐する彼女の誠実さに、胸を打たれた。(1999年2月、東京で。二度日の出会い)
 善行を誇るのではなく、彼女は、ただ愛情に導かれて生きているのだ。
 人の苦しみから「目を背ける」ことができなかった。ただ、それだけなのだ。
 「人の不幸に無関心でいることはできません。私たちは『自分に無関係な苦悩などない』という信念で運動しています。私たちの援助は、たんに、のどの渇きをいやし、寒さから身を守るためではないんです。援助を受け取った一人一人が『この世には優しい心をもった人がいる』と感じるんです。『自分は一人じゃないんだ』。そうわかって、人生に希望がもてるようになるんです。そのことが大事なんです」
 そして「それが私の幸せなんです!」。
 彼女は思う。健康で、おなかいっぱい食べられて、暖かい住宅があって、ときどきは遊びに行けるくらいお金があって……それが幸せなんだろうか? でも、それでは「心」はどうなるの? 「心」は、周りで起きている不幸な出来事を知っているんじゃないの? 知っていて、人に無関心でいたとしたら、「心」が死んでしまうんじゃない? 「心」は死んでしまったら、いったい、自分の中の何が「幸せ」を感じられるというの?
3  善意が善意を呼び、協力が広がる
 東カザフスタンのお生まれ。お父さんは鉄道や製材所で働いていた。一家の子どもは三人姉妹と二人の兄弟の五人。ジナイダさんは真ん中。
 お母さんは、毎日三時に起きて、牛を牧場に放し、腰を曲げて畑仕事をした。とれたタマネギを自分で売って歩いた。働きすぎて、心臓を病み、早くこの世を去った。
 うちが貧しかったから、少女は市場で、バナナとかブドウを「安くして」と、ねぎるのは得意だった。
 ただ、どこかのおばあちゃんが、一束のニンジンや、ラディッシュ(二十日大根)を売っていると、どうしても「言い値で買ってしまう」彼女だった。そのおばあちゃんが、どんなに大変な思いで野菜を育てたか、よく知っていたからだ。
 今でも、街角で子どもが花などを売っていると、駆け寄って、花を全部、買ってしまうことがある。
 そんな彼女の愛情の「火」が、運動を始めたとき、人々の胸の「火」をかきたてた。あの慈母の微笑みを見れば、だれだって協力しないわけにはいかなかった。呼びかわすこだまのように、善意が善意を呼び集めた。
 「すべては愛から始まる」。彼女はとの言葉が好きだ。
 「新聞などで、不幸な子どもたちへの寄付を呼びかけると、だれがいちばん、頻繁に応じてくれると思いますか? それは年金生活者をはじめ、決して裕福とは言えない人々なんです。子どもたちのために、自分のわずかな年金や、お給料から絞りだすようにして寄付してくださるんです」
 語らいの最後に、彼女は言った。「今、ロシアは第二次世界大戦後のような混乱のなかにあります。でも今、私は勇気を得ました。ロシアは必ず蘇る、必ず元気になると!」
 美しい笑顔だった。花壇の花の美しさではなく、年輪を重ねた花樹からこぼれ咲く美しさだった。
 私は彼女に、ぴったりと思うトルストイの言葉を贈った。
 「ああ、母たる女性よ、あなたがたの手の中にこそ、世界の救いがある」(Л.Н.Толстой, Так что же нам лелать?, Полное собрание сочинений, том 25, Художественная литература)

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