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日蓮大聖人・池田大作

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第16回青年部総会 栄光の年めざし勇躍前進

1967.11.19 「池田大作全集」第3巻

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1  ますますご健勝であらせられる日達上人猊下をお迎え申し上げ、未来に生き、未来に築き、そして未来を総仕上げする青年部第十六回の総会を、私は心よりお喜び申し上げるものであります。
 わが青年部の前進をみると、革命の詩人バイロンの詩集の一節を思い出します。
  前進、また前進
  旌旗をかがやかせながら
  その兵力を加へながら 
  次に進んでゆかなければならず 
  休養は心を倦まし 
  隠遁はその身を朽ちさす
  衰えた王位などに恋々たるものはないのだ
 まさしく、われらの前進は平和革命のため、文字どおり前進また前進でありました。これからも、妙法の旗をひるがえし、その地涌の兵力も幾何級数的に増加させつつ、われらの目標の究極まで進んでいかねばならない。多くの若人は、怠惰に流され、心を倦まし、身を朽ちさせているなかにあって、われらは新世紀、新社会の建設に、最高の青春期を送ることができたわけであります。「衰えた王位」とは、矛盾に満ちたよどんだ社会のことであり、旧社会であり過去の権力であり、栄誉栄達であり、醜い毀誉褒貶をさすのであります。
 ここに青年部の発展の歴史をみるに、昭和三十五年五月、会長就任当時は、男子部隊数百八部隊十五万八千名、女子部隊数も同じく百八部隊十一万九千名でありました。昭和四十二年現在では、男子三千七百八十八部隊二百万名を突破し、女子三千六百三十一部隊百万名を突破したと聞いております。毎年、この広く深く力強く前進しゆく青年部の成長・足跡・年輪こそわが創価学会の成長であり、広宣流布の年輪であり、日本そして世界平和の真実の年輪なりと、私は宣言しておきたいのであります。(拍手)
2  来年は、正本堂建立の音が始まる年であります。七百年来の念願であった広宣流布の世界が、この音と共に刻一刻と築かれていく輝かしき年であります。さらに、かつてなき参議院の激戦があります。既成の権威の土台を根底から揺さぶり、王仏冥合の黄金の大道を切り開く決戦の年でもあります。諸君、いよいよ苦難の道にはいりました。しかし、私どもは学会っ子らしく厚い壁に向かって、悔いなき挑戦を展開してまいろうではありませんか。(拍手)したがって、来年こそ、最も栄光に満ちた一年とすることが時代相応であり、私はあえて「栄光の年」としたいと提案いたしますが、いかがでありましょうか。(拍手)しかも、その内容を「勝利」「英知」「情熱」の三本の柱としたい。すなわち「勝利」とは選挙であり「英知」とは教学であり「情熱」とは折伏であります。これを時期的にいえば、上半期は参院選を目指して特に「勝利」をうたい、下半期は教学を中心に「英知」をうたっていきたい。全体を貫くものは折伏であり「情熱」であります。この「勝利」「英知」「情熱」の主体は青年部諸君であり、「栄光の年」を私と一体不二となってまっしぐらに切り開いていっていただきたのであります。
 最近私のところに、再び世界情勢が緊迫し、第三次世界大戦が起こる可能性が強まっているという情報がはいっております。もとよりこれはあくまでも一部の説であって、全体的なものではないと私も感じております。気違いの指導者でないかぎり、そんな愚かなことはできるはずがないと信じたい。だが、また、誰人もその安全の保障はできない現状であることも事実であります。しかし、すべて妙法よりみるならば、いかなる現象もご仏意であります。「日蓮にりて日本国の有無はあるべし」との御金言に照らし、日蓮正宗・創価学会、なかんずく青年部の諸君によって、日本のそして世界の運命が決せられる時のきたことを痛感し、私は再び絶対の平和主義者として、さらにさらに妙法の渦によって、平和勢力の大潮流を築き上げるために挺身していく覚悟であります。(拍手)諸君も共にしっかり頼みたい。(拍手)
3  昭和四十五年には、国内においては安保条約の期限がきて、日本の政治の大きい分岐点となることは必至であります。また、同じ年に行なわれる万国博覧会は、日本の経済にとってその歴史の一つの節となることも当然でありましょう。広く世界に目を移せば、アメリカのアジア政策に対するアジア民衆の不満はしだいに高まり、日本は経済的のみならず、政治的、文化的にも、いよいよその重要性を増すことは必定であります。今日のように無責任な太平ブームがいつまでも続く、ということは考えられなくなってきております。ここ三か月のあいだに、アメリカ国内の世論も大幅に変わってきております。ベトナム反戦のデモは、学生を中心にして激しさを増しているし、政府内にも、アジアはアジア人の手に任せよ、という機運もみられます。一部の動きとして、さきほど申し上げたように、大戦も辞さないという不穏な空気もありますが、全体としては、中国とも話し合いによって解決すべきだという、いわゆるハト派の世論がしだいに強まってきているようであります。このときに、中道主義の行き方が、時代の大道となっていくことは間違いないし、日本、したがって創価学会の立ち場が、しだいに重要になってくることも間違いないと私は思っております。
4  最近、イギリスのエコノミスト誌にも「日本は今世紀末から二十一世紀初頭にかけて、小さいながらも超大国になるであろう」との予想が出ておりました。国連においても、日本は、現在すでに常任理事国の最有力候補であります。そのように、世界の日本に対する期待はきわめて大きく、この行き詰まった世界をリードしていくべき使命は、まさに一日一日と迫ってきている昨今であります。思想的、文明論的観点から論じても、すでに唯物主義的な行き方は、コンピューターの出現によって、行き着くところに行き着いた感さえ見えております。これからは唯物主義的な方向よりも、一歩転じて精神論的、哲学的な分野に目を向け、人間存在のあり方、社会、歴史の本質を探究することが、より重要でありより興味ある課題になってくるであろうともいわれております。すなわち、近世以降、三・四百年にわたって続いてきた精神文明より機械文明への大波は、今後、退潮期を迎え、機械文明より精神文明へという上げ潮がわきおころうとしているのであります。最近の欧米の青年たちのあいだで、禅やインド哲学、中国哲学を学ぶことが一種の流行となっておりますが、こうした現象も「礼楽前きに馳せて真道後に啓らく」の原理のごとく、時代の転換の一つのあらわれともいえましょう。
 ともあれ、思想的、文化的にも、アジア、なかんずく日本が、これからの時代のリーダーとして期待を集め始めていることは間違いありません。世界平和という観点のみからいっても、まさに日本は、絶対平和主義を憲法にうたった唯一の国であります。そして、第三次世界大戦の恐怖の予告ともいうべき原爆の被害を身をもって体験した、ただ一つの民族でもあります。ゆえに日本民族こそが、世界を戦争の泥沼から救い山し、平和の楽土へ導きゆく使命、宿命を担っていることは、道理に照らしても明白であり、心ある世界の人々の一致して認めるところではないでしょうか。(拍手)
5  しかるに、日本国内の実情は、残念ながら決してこの期待に応えられる状況ではありません。なかんずく、青年の無気力、希望の喪失は、未来に対して悲しむべき暗影を投げかけております。これまで、日本の政治を動かしてきたのは、いずれも太平洋戦争、あるいは満州事変、日華事変等の侵略政策を、直接にせよ間接にせよ、加担し推進した人々でありました。軍国主義政策の遂行に加担した者に、どうして平和主義、民主主義の政治を具現せしめることができえましょうか。(拍手)今日にいたる政治において、平和憲法が踏みにじられ、民主政治が危機に陥ってきたのも、当然のことであります。いまは亡きアメリカ大統領ケネディは、その就任演説において「タイマツは新しき世代に受け継がれた」と宣言しました。だがわが国においては、いまだに老いた人々がよろめきながらタイマツを掲げ続けており、(笑い)若い人々は振り向こうともせずに道草を食っています。(笑い)もはや、これからの日本の進路を決する舵は、古き人々から、新しき人々の手に引き渡されるべきであります。(拍手)戦争に責任をもつ人でなく、戦争の惨苦をわが身で体験した人々、戦後の平和憲法のもとで教育をうけ成長をしてきた諸君たち青年が、舵をとる時代であると私は訴えたいのであります。
 戸田前会長は青年訓の冒頭に「新しき世紀をつくるものは、青年の熱と力である」と叫ばれた。新しき世紀とは暦がつくるものではない。人間の強き一念、そして、その同じ一念のもとに結集した大衆の、若々しき生命の躍動が、つくりあげるものであります。(拍手)この若々しき生命の躍動、希望にあふるる未来性、これこそ青年の特権であります。ゆえに古来、世界の歴史を変え、新しき世紀をつくった原動力は、常に青年の情熱と力であったわけであります。古代において空前の大帝国を築き、華麗なヘレニズム文化を生んだかのアレキサンダー大王は、弱冠三十歳でありました。二十代でその遠征を成し遂げ、東西文化交流の新しい時代を開幕しております。また、近代にはいると、ヨーロッパ全土を掌中に収め、共に、自由主義時代の清新の息吹きを伝えたナポレオンの遠征も、やはり若きフランスの青年たちによって遂行されているのであります。もとより、これは武器を取っての戦いであり、数多くの犠牲の流血によってあがなわれた結果であることは言をまたない。これに対していま私どもの戦いは、一人の犠牲者も一滴の流血もない慈悲と道理の戦いであります。
6  今日は、日本民族が心より待望している新しき世紀とは何か。世界の諸民族が、わが日本に期待しているその理想像とはいかなるものか。これこそ、全民衆が安心して生活していける絶対平和の世界であり、日本が世界の平和勢力を結集して、東西二大陣営、あるいは南北の対立を止揚し、世界に恒久平和を樹立することではないでしょうか。(拍手)この秋相次いでわが国を訪れた、汎ヨーロッパ主義の提唱者クーデンホーフ・カレルギー伯も、世界的歴史学者トインビーも、究極するところは「優れた宗教、高等宗教が根底にならなくては、平和はありえない」と喝破しております。しかし、その優れた宗教、高等宗教の実体は何かということについては明確にはしていません。したがって、残念ながら画竜点睛を欠き、たんなる概念で終わっています。私はこの世界に信頼と相互扶助の理念を実現していく唯一の力ある大宗教、高等宗教こそ、日蓮大聖人の大生命哲学であると叫び続けてまいったのであります。(拍手)
 ゆえに大仏法を受持し、世界の恒久平和樹立のため、妙法広布を目指して立ち上がった創価学会青年部の諸君の戦いこそ、第三次大戦という破滅から世界を救い、日本を救い、人類の未来に新たなる生命をよみがえらせると共に、未曾有の黄金時代を現出する大革命であり、大遠征であることを確信していっていただきたいのであります。(拍手)もはやそれは、たんなる議論でもなければ漠然として予測でもない。事実のうえで第一歩を踏み出したのであり、世界に対し日本に対し、その責任を担っていかなければならない時代がきているのであります。戸田前会長は、荒涼たる大地に広宣流布のレールを敷かれた。いま私はその上を走る機関車をつくっています。これまでも幾台も作製したと信じております。諸君は、この機関車を運転し、その中に人々のための食糧を積み、文化の器具をいっぱい積み、いずこにでも行き、そしてそれらをおろし、世界人類のために思い思いに貢献して、日本の、そして世界の広宣流布の総仕上げを成し遂げていただきたいのであります。(拍手)
7  したがって、今日、諸君の現実問題として最も重要な問題は何か。それはなによりも、自己を建設するという戦いであります。自己との激しい戦いなくして、偉大なる新時代建設の人材は絶対にうまれない。苦闘のなかにこそ真の人材は育つものであります。政治にせよ、経済にせよ、あらゆる文化面においても、指導者の地位は決して華美に包まれた安楽イスではないのであります。民衆に対する重い責任を担って、血と汗を流しながら切り開き、築きゆかねばならない苦難の道であります。もとより、それを勝ち取るためにはなみなみならぬ努力が必要であります。「艱難にまさる教育なし」という西洋の格言がありますが、その艱難、苦闘と戦い抜き勝ち取った者のみが、よく指導者の地位を得ることができるのであります。だが、そこで戦い忘れ情熱を失った者はもはや保守であり、堕落せる指導者となってしまう。地位を得たその瞬間から、そこには指導者としての次の戦いが始まるのであります。ゴールインは永久にない。一つのゴールは必ず次のレースへのスタートラインなのです。この本因妙の精神を常に忘れないで進む指導者が、真に偉大な勝利の指導者なのであります。この精神に生ききった者が、初めて日蓮大聖人から、心より称賛されゆく真の革新の人であり、革命児であり、弟子なのであります。どうか、この革命精神、本因妙の精神を堅持して、確固たる人生の土台を築いていただきたいことを、心より念願するものであります。(拍手)
8  次に女子部について一言しておきたい。元来、女性は平和的であり、男性は好戦的であるといわれております。ギリシャの喜劇作家アリストファネスは「女の平和」という戯曲で、男がケンカばかりしているので、ついに女性が団結して立ち上がり、戦争をやめさせるという物語りを書いております。その根底には、女性が本質的に平和主義者であるという彼の深い洞察があったと思う。また十九世紀のフランスの文豪シャトーブリアンも「女性がいなかったら、男は荒々しく粗野で孤独であろう。そして優雅――エレガンスというものを知らないであろう」と述べております。たしかに、男性に相対したとき、女性は本質的に平和主義者であるといえます。女性は子供を生み育てるという本然的な役割りをもっています。この――生命を守り、はぐくみ、いつくしむ――女性のいわゆる母性本能は、生命を奪い取り、傷つけ、破壊しあう戦争とは、真っ向から対立することは当然であります。
 歴史をみても、女性指導者のもとにあっては、概して平和な繁栄した時代であったといえる幾つかのよく知られた事例があります。たとえば、イギリスで、国内の内乱をしずめ、最も繁栄し、全盛を誇ったのは、十六世紀のエリザベス女王の時代、十九世紀のビクトリア女王の時代であるといわれています。ロシアにおいても、十八世紀のエカテリーナ女王の時代が、帝政ロシアの全盛期であったとも伝えられております。いま私は、なにもこうした例を引いたからといって、女性が大臣になり首相になっていかねばならないなどとは毛頭考えておりません。最近ではセイロンの女性首相、またインドの女性首相の例がありますが、必ずしもよい結果をもたらしているとはいいきれないと思う。というよりは、一人の女性の力ではなにもできないという現代の時代の流れも、私はよく知っているつもりであります。しかしそれはそれとして、かの時代は帝国主義の時代であり、その平和はあくまでも国内に限られていた。しかも女性の平和を求める声が結集されたわけでもありません。ただ、妙法の絶対平和主義を掲げて立つ皆さん方こそ真実の平和主義者であり、皆さん方が、全女性の平和への悲願を結集し、女性としての特質を政治、社会のうえに大いに発揮していくならば、偉大なる平和社会、平和世界が現出することを心から知っていただきたいのであります。
9  女性は、家庭という社会の最も根本的な基盤にもとづいています。しかし、往々にして、その家庭の城の中に閉じ込もり、社会にうとくなりがちであるともいわれています。これは、本然的なエゴイズムに由来するものといえましょう。この己心のエゴイズムを革命しないかぎり、“女性”という平和主義者たりえないし、その力を幸福と平和の大海に注ぐ大河の流れとして結実させることもできない。むろん、主人や子供を後押しして家庭を守り抜く城者であることも大切であるかもしれない。だがさらにもう一歩すすんで、この基盤に立って敏感に社会の動きをキャッチし、世の不正邪悪を許さず、幸福と平和の建設のしために戦うべきであると思いますけれどもいかがでしょうか。(拍手)仏法は本源的に男女平等を説き明かしています。それは形式的な平等ではなく、男性も女性もその特質を最高度に発揮していく真実の平等観であります。
 御書にいわく「のはしる事は弓のちから・くものゆくことはりうのちから、をとこのしわざはのちからなり」また「女人となる事は物に随つて物を随える身なり」と。かつて女性が封建制にしばられ、忍従をしいられたのは、封建道徳の根本が儒教という低い哲学にあったからであります。戦後、民主主義が叫ばれ、男女同権がうたわれ、女性解放へと向かってきたことは事実であります。しかるに、いまなお言葉のみで、真実の主体性確立もなくその根底の理念もない。したがって、互いの権利を主張しあうのみで反目に明け暮れている家庭もきわめて多い。私は日蓮大聖人の仏法こそ、新時代の女性の人格をつくり、真実の女性解放をもたらす最高の理念なりと訴えておきたいのであります。(拍手)したがって妙法信受の皆さん方こそ、新時代を築く先駆者であり革命児であっていただきたい。皆さん方の成長はすなわち近代日本の新しき形成であり、人類社会の進歩といえましょう。どうかこの誇りを忘れず、あすの社会の建設に、妙法の無血革命のジャンヌ・ダークとして、私と共に勇敢に前進していってください。(拍手)
10  これは別の話になりますが、最近「社会党における総評、民社党における総同盟の関係のごとく、公明党に対しても、その支持母体となるような組合組織をつくってほしい」との要望、機運が全国的に高まっております。大衆福祉を目指して進む公明党が、真実の労働者の味方として、これら労働大衆の要望を国政に、地方政治に具現していくのは当然の理であります。また真実の労働者の声を反映するために、労働者自身にとって理想的な組合がつくられねばなりません。それが時代の趨勢であることも、私はよく知っております。今日まで、労働者は、むしろ既成政党の党利党略に利用されてきたという多くの声も聞かれます。また、これまでの組合組織が、大衆と遊離し、いたずらに一部組合幹部による政治への圧力団体のごとき存在となりさがっているということもいわれています。そのうえ中小企業に従事する二千万の未組織労働者は、労働組合運動から見放されています。私は、ここでこれら労働者のために、また将来、公明党にも、その支持母体ともなるであろう労働組合の組織をつくることを、みんなで検討しはじめたならばどうか、と諸君に提案申し上げるものであります。(大拍手)
11  なお、日本の外交姿勢の分裂について一言しておきたい。今日のわが国の外交ほど、国民の念願、悲願と、その現実との格差がはなはだしいのも珍しい。たとえば昨今の沖縄復帰の問題にしても、ほとんど庶民の切なる悲願が踏みにじられ、沖縄復帰という、こんな当然の問題ですら統一的な外交姿勢がとれない日本であります。さらに、五年先、十年先、二十年先の国際情勢のうえに立った日本の存在はどうであるべきか。さらには中国、ソ連、アジア等々の国際的大波をどのように処理していくつもりか。こういう問題を、私も国民の一人として心から心配しております。
 政治家や各政党は、ひとたび日本の外交政策の問題となると、鋭く対立して互いに背を向け憎しみ合っています。まるで子供のケンカです。「本当の子供のケンカならば無邪気で、あとはたちまち和解して仲良くなっていくが、政党間には、取り引きはあっても真実の和解など存在しない。否、遺恨をいだいていつまでもそれを忘れていない。全く困ったおとなたちである」といった人がおります。(笑い)私は、このさい各党の党首が日本の恒久的安全のために、いまから真剣に話し合いをもち、互いの話し合いの広場をつくっていくよう、主張したいのでありますけれどもいかがでしょうか。(拍手)このままでは話し合いの広場がなくなってしまうことが心配であります。広場でなくてもいい。茶の間でもけっこうです。(笑い)各党首が、当面の外交問題に対して、メンツなどはかなぐり捨てて、一週間でも二週間でも真剣に論じ合ってもらいたい。そうすれば日本の外交姿勢はいちだんと統一され、少なくとも、いまの拙劣な外交は、転じて、進歩ある外交になっていくでありましょう。そして、国民を納得させる外交の手ぐらいは打っていけると思うのですが、いかがでしょうか。(拍手)
 いまの総理は、そんなことは考えていないかもしれない。彼は渡米前に各党党首と別々に談合したけれども、それは形式的なゼスチュアにすぎません。結局、アメリカでは不毛外交に終わりました。日本全民衆のためなら、外交においては保守も革新もないはずであります。自民党も、社会党も、公明党も、民社党も、そして共産党もない。常にあるのは国民の平和と幸福であり、さもなければ、戦争に巻き込まれるか不幸になるかという現実が残るだけであると私は思う。(拍手)国民の心は、この平和と幸福を願う心しかないと思います。このような大衆の純粋な心を、政治家たちは、あいかわらず権謀術数で踏みにじっております。これではいったい日本の将来はどうなるのでしょうか。よって私はこの席を借りて、外交問題に関しては、全党首がヒザをまじえ、国民の純粋な平和と幸福を願う心をうけて、話し合いの広場をつくるべきであると強く主張するものであります。(拍手)諸君もそれを推進し監視していっていただきたいのであります。(拍手)
12  先日会ったアメリカのスタンフォード大学の一研究生ですが、彼は創価学会に関するまじめな研究論文を書くために、二か月余の日程をさいて日本にきたのです。その研究生がこんな質問をしてきました。「創価学会の他の宗教に対して寛容的でないと聞いていた。しかるに創価学会にきて話を聞くと、最も寛容的な行き方だといわれるし、事実、会員は非常な勢いでふえている。その本質をうかがいたい」というのです。そこで、私はこの寛容という問題について明確な見解を述べておきたいと思います。西洋においては、宗教上の不寛容という場合、そこには中世から近世初頭にかけて猛威をふるったキリスト教の異端裁判、魔女狩り等の暗い思い出がつきまとっております。彼らにとっては、他宗教は、その信徒、僧侶を殺す以外に絶滅できないという固定概念があります。しかしこれは大なる僻見という以外にありません。宗教の教義それ自体は、それを信ずる人間とは別のものなのであります。誤った教えに惑わされている人でも目覚めて正しい宗教に改宗するという例は、そのなによりの証拠なのであります。これを明確に立て分けるのは仏法の説く「人と法」の概念であります。
 いま日蓮正宗創価学会が、他の宗教に対して寛容的でないといわれているのは、教義についてはあくまでも妥協しないが故であります。「法華折伏・破権門理」の御金言のごとく、これこそ日蓮大聖人のご精神であり法華経の根本精神なのであります。しからば、人間に対してはどうか。法華経は「一切衆生、皆成仏道」の法であり全民衆を救う大哲理であります。その法華経の実践とは、あらゆる人に妙法の大良薬を与えて苦を除かんとする大慈悲であります。これこそ最大無上の寛容であり、この仏法こそ無限の包容性をもった宗教であると、私は確信したいのであります。(拍手)
 宗教の教義、信仰のうえでの誤りを追及し、それを正していくということが最高の慈悲であります。すなわち、教義上の寛容、不寛容と、その人を救っていくという上での寛容、不寛容とは全く別の問題であります。そればかりではなく、教義のうえでは妥協せず純粋であることが、結果的には真の寛容になっていることは明瞭なのであります。たとえるならば子供が知らずに毒を飲もうとしている、あるいは悪の道に走ろうとしているときに、もし親が真に子供を愛していれば、わが子を厳しくしかるのは当然であります。これを黙って見ているような親はむしろ無慈悲のそしりをまぬかれないでありましょう。あらゆる道理から考え、法華経・涅槃経等の経文の明鏡に照らし、わが日蓮正宗創価学会の折伏こそ最高の慈悲の実践行為であり、学会に対して不寛容・排他的という非難を浴びせることは、全くの誤解であり偏見であるといいたいのであります。
13  さらに事実のうえで、創価学会の座談会はあらゆる人に大きく開かれた門戸であります。そこでは、誰人に対しても差別をせず、慈悲を根底に、道理を尽くした民衆救済の偉大なる戦いが展開されております。もし排他的であるならば、座談会に外部の人を呼ぶわけもないし、入信を許すこともありえないでしょう。しかし教義のうえで他宗に寛容であることは、理非を無視した妥協であり、宗教としての堕落ではないでしょうか。正法正義を顕示した清廉潔白な宗教であるならば、どこまでも教義に関しては純粋性をたもち妥協や寛容でないのが当然であります。
 これに対し、人間性のうえからいえば、寛容・不寛容は慈悲の問題であります。もしこの面に関して不寛容であるならばそれは無慈悲であり、冷酷無残な宗教という以外にはありません。妙法は、教義のうえではあくまでも正義を顕示してまいりますが、その根底の精神・究極の理念は全民衆の救済・幸福にあります。しかして、この全民衆救済の大理想達成のためには、毅然としてどこまでも正法正義を掲げ、破邪顕正の剣をふるっていく以外にはないということをここに断言しておきたいのであります。(拍手)そしてさらに、妙法を根底にするならば、また信心が確立されたときには、あらゆる思想が流通分として生かされていくのであります。これこそ偉大なる寛容の哲理であり究極であります。そのときには、一切を正しい生命観のうえから如実知見していけるし、それによる人間の主体性の確立によって、一切を自在に使いこなしていける大仏法なのであります。
14  ここで御書の御金言をもって諸君の使命を述べておきたい。法華初心成仏抄にいわく「法華経を以て国土を祈らば上一人より下万民に至るまでことごとく悦び栄へ給うべき鎮護国家の大白法なり」と。
 あらゆる人々が「悉く悦び栄へ給う」とは個人の幸福の実現であり、それがそのまま社会の繁栄となります。「鎮護国家」とは社会の繁栄、国家の安泰を意味し、それは即あらゆる人々の幸福につながっていく。このように個人の幸福と社会の繁栄を一致させていく究極の大白法は法華経であり、法華経をもって国土を祈る以外には恒久平和は絶対にないとの仰せなのであります。ここの「法華経」とは末法の法華経たる三大秘法の御本尊であり、日本国の安泰、興隆、世界平和、人類の幸福も、詮ずるところ広宣流布によって初めて成就することができるとの御聖訓なのであります。
 秋元御書にいわく「結句は此の国他国より責められ自国どし打ちして此の国変じて無間地獄と成るべし、日蓮・此の大なる失を兼て見し故に与同罪の失を脱れんが為め仏の呵責を思う故に知恩・報恩の為め国の恩を報ぜんと思いて国主並に一切衆生に告げ知らしめしなり」と。
 いま、この御文のとおりに、日本民族、世界人類を無間地獄の苦より救わんとして厳然と一人立ち、目に見えぬ魔軍と戦っているのが日蓮正宗創価学会なのであります。(拍手)現実に、核兵器の出現とその高度な発達は、平和か滅亡かの二者択一を人類に迫るものであり、今日、そして未来にわたって、これが世界の最重要課題となっております。私どもは一歩も退くことはできません。絶対に負けるわけにもいきません。私たちが退くことは真実の平和が退くことであり、私どもが敗北することは幸福の敗北であり、人類の善意と英知の敗北であります。私どもは、若き清らかな胸に仏弟子の誇りをもって、知恩・報恩の道を知る人間として、法のため社会のため人類のためにさらに団結を固めて勇往邁進してまいろうではありませんか。
15  最後に、ホイットマンの「君に」と題する詩の一節を諸君に贈って私の話をしめくくります。
  私は凡てを棄て、来って君の頌歌を作ろう。
  誰も君を理解しないが私は君を理解する。
  誰も君を公平に取り扱わない。
  君もまた君自身を公平に取り扱わなかった、 
  誰しも君に不完全を見出すが、 
  私ばかりは君の中に不完全を見出さない。
  誰しも君を従属させるが、私ばかりは君が従属することを決して承知しない者である、 
  私ばかりは君の上に主人も所有者も優者も君自身の中に本来持っている以上のものを置かぬ者である。
  
  おお、私はつい今まで緩慢でありであった、
  私は疾うに君にまっしぐらに行くべきであった。
  私は君のことだけ饒舌って居ればよかったのだ、 
  私は君以外に何も歌うべきでなかった。
 どうか来年の総会まで体を大切に元気で活躍し、一人一人がいちだんと立派に成長されんことを祈って、私の講演とさせていただきます。(拍手)

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