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日蓮大聖人・池田大作

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四国本部幹部大会 楽土建設の革命児たれ

1967.9.11 「池田大作全集」第3巻

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1  五月三日に会長就任七周年の総会を終えて以来、全国の指導に回ってきました。どこへ行っても、元気な同志が満ちあふれ、私は心から喜んでおります。きょうも、四国の皆さんの元気はつらつとした姿に接し、これ以上の喜びはありません。勇気百倍する思いであります。(拍手)なかんずく四国は、本年一月の衆院選では見事な大勝利を収め、八月の折伏戦でも全国第一位を飾りました。心からお祝い申し上げるものです。(拍手)
 四国は、いままで大変苦難な道を歩み、長い苦難の歴史を刻んでまいりました。しかし、幹部も組織も見違えるほど立派に成長し、私はうれしい。どうか今後共、一人残らず、信心強盛に、幸せになっていただきたいことを、心からお祈り申し上げます。(拍手)
 私は、全国の指導に回ったさい、それぞれの地に、モットーを打ち出してまいりました。すなわち関西の同志に対しては“常に勝利の関西たれ”北海道には“新しき時代の開拓者たれ”東北には“人材の城・東北たれ”中部には“広布の堅塁・中部たれ”九州には“常に先駆の九州たれ”そしてまた中国に対しては“広布の新しき潮流たれ”と。いま、私は四国の同志の皆さんに対しては“楽土建設の革命児たれ”をモットーとして、進んでいったらどうかと、提案するものですがいかがでしょうか。(拍手)
2  この四国の地からは、幕末に坂本竜馬が出ております。惜しくも、革命の成就を見ずに凶刃に倒れましたが、坂本竜馬は、革命後の政治、そして社会のあり方、国際問題についても、非常にすぐれた見識をもっていたといわれています。智勇兼備の最も傑出した人材であったことはよく知られているところです。また、明治にはいってからは、薩長が政権を独占ししだいに保守化したなかにあって、自由主義を唱え、革新派の震源地となったのも、板垣退助や中江兆民を出した四国の地でありました。
 いま、私どもが成さんとしている革命は、王仏冥合の実現であり、全民衆の絶対的幸福を満たし、さらに未曾有の平和の楽土を建設するための慈悲の大革命です。武力による流血革命では断じてありません。坂本竜馬や板垣退助、中江兆民等の志士が成しえなかった、矛盾なき大思想による平和革命であり、無血革命なのです。したがって、王仏冥合の実現こそ、民衆の幸福と繁栄を願って努力した過去のあらゆる革命児の志を成就せしめる唯一の革命の道であると、私は訴えたいのであります。(拍手)そして、王仏冥合の時代を迎え、四国の地から、妙法を受持した坂本竜馬、板垣退助、中江兆民といえる新時代の勇気ある指導者が、陸続と出現することは絶対に間違いないと私は確信するものです。(拍手)それ以外に四国の繁栄、発展は永遠にないからです。
 やがて、山陽新幹線が岡山まで延長され、山陽自動車道路もできるそうです。そして、場所はまだ未定ですが、瀬戸内海をまたいで橋もかけられる予定と聞いています。そうなれば、四国はその交通の大動脈と直結することになるでしょう。四国はこれまで、本州からは海を渡らなければならないため、距離的に近いわりになんとなく遠い存在でした。皆さんも、随分不便な思いをしてきたことと思います。だが、こうして交通網が開けてくれば関西、東京へ出るのも実に簡単になり、いよいよ四国があらゆる意味で、王仏冥合の第一線におどり出て、戦いの中心地となっていく時がきたと、心から期待しております。(拍手)
3  立派な衆院選、折伏戦の大勝利も、この四国の躍進の兆候であり瑞相であると私は信じたい。(拍手)どうか、これからが本門であるとの自覚をもち、自分の幸せのため、家庭の幸福のために、そして国土の繁栄のために、勝って兜の緒を締めて、仲良く、楽しく、勇敢に、私と共に戦っていただきたい。(拍手)
 私は昭和四十七年の正本堂建立までが、王仏冥合の成否を決する第二期の大事な戦いであると自覚しています。学会の真剣な前進に対して、無認識に批判する人は多い。だが、現在の日本、世界を見ても、本当に現状を憂え、未来を考えている人が、いったいどこにいるでしょうか。真実頼りにできる人は、なかなか見当たりません。まさしく無責任時代そのものです。しかし、私どもだけは、誰人がなんといおうが、どのように思われようとも、心から民衆を愛し、民衆を大切にしていくのだとの誇りをもち、さらに私どもこそが、平和な明るい社会を建設していく大理念と力をもった、日本の、また世界のただ一つの希望の灯であるということを自覚して、未来を見つめて、まっしぐらに前進していこうではありませんか。(拍手)
 昭和三十五年五月三日の会長就任当時、四国は三支部でした。それが現在では百三十一支部と発展しています。大幹部数は、十二人から七百八十二人となっており、さらに理事数は、ゼロから二十八人の陣容となっています。私は、今後七年間の四国の目標として、理事六十人、大幹部は少なくとも二千人の陣容を実現していただきたいと提案したいのですが、いかがでしょうか。(拍手)また現在は、四国全体で一総合本部の体制ですが、ゆくゆくは各県に総合本部の体制を整えるようにしたいと思っています。なお、本部・会館の建て物は、昭和三十五年当時、四国には一つもありませんでしたが、現在では、建設予定を含めて十二会館となりつつあります。
 ともあれ、きょうここに集まった幹部全員が、七年後には理事に、そしてまた力ある大幹部へと成長して、大きく境涯を開いていただきたい。また、後輩の人たちに対しては、純粋な強い信心を伝え、新しい人材をどしどし輩出していただきたい。特に青年部、学生部、高等部、中等部、少年部を大事にして、育てていっていただきたいことを、重ねてお願い申し上げるしだいです。(拍手)
4  四国は、第二祖日興上人の時代から、大石寺門流との縁が非常に深い国土世間でした。すなわち日興上人の弟子であった秋山孫次郎が甲州から讃岐に移り、この地に妙法を弘め、讃岐本門寺を建立しています。また、江戸時代には、蜂須賀至鎮の夫人・敬台院が、総本山を立派に外護し、御影堂を建立寄進しています。その功徳により、蜂須賀氏は淡路島も加えて、阿波二十五万石の大名となり、確固たる福運を積むことができたといわれています。このように、四国の先輩が宗門史上、金字塔を築いていることは、周知のとおりです。いま、化儀の広宣流布の時を迎え、日夜多忙のなか、折伏に、指導に、不惜身命の信心を全うしている皆さんが、どれほど大きな功徳、福運を積んでいるかは測り知れません。そして、その功徳、福運が子孫末代まで満々と伝わっていくことは、絶対に間違いないと確信していただきたい。(拍手)
 また、四国の皆さんは、どうか信心第一、団結第一で進んでいってほしい。日蓮大聖人の時代は、法体の広宣流布の時であり、大聖人お一人の戦いが中心であった。大聖人はご本仏ですから、お一人で全宇宙を変え、世界を変える力があられた。だがいまは、順縁広布の時であり、数多くの人が、一つの目標に向かって団結し、題目を唱え、祈念し、戦う時代です。それによって、大聖人と同じく、自分自身を革命し、家庭、社会を繁栄させ、日本、世界を平和に変えていけるのです。がっちりとスクラムを組み、朗らかに、勝利の前進をさらに続けていってください。(拍手)
 なお、活動にあたっては、信心の清らかな流れを全身にうけ、楽しい、生き生きとした、ゆとりのある振舞いであっていただきたい。一人も事故を起こしてはならないし、犠牲者が出てもなりません。また社会の敗北者になってはなりません。そして、いままで後進性といわれてきた四国の地を必ずや寂光土と変え、模範の縮図をつくりあげ、全日本、全世界に、真実の楽土実現の方途を事実をもって、教えていっていただきたいのです。(拍手)
5  最後に四条金吾殿御返事の一節を拝読いたします。「一生はゆめの上・明日をせず・いかなる乞食には・なるとも法華経にきずをつけ給うべからず、されば同くは・なげきたるけしき気色なくて此の状に・かきたるが・ごとく・すこしも・へつらはず振舞仰せあるべし、中中へつらふならば・あしかりなん、設ひ所領をめされ追い出し給うとも十羅刹女の御計いにてぞ・あるらむと・ふかたのませ給うべし」と。
 これは有名な御文でありますが、私はこの御文を引用して、創価学会の精神を、申し上げたい。
 まず「一生はゆめの上・明日をごせず」とは、私どもの一生は、一時の夢のようなものであり、あすをも知れぬ生命であるとの意味であります。すなわち、永遠の生命からみるならば、一生といえども、あたかも一瞬であります。しかし、この一瞬が、永遠の幸福を開くか開かないか、事の一念三千の当体を確立するかしないか、その勝負を決する一瞬となるのです。したがって大聖人は「いかなる乞食には・なるとも法華経にきずをつけ給うべからず」と仰せなのであります。「法華経にきずをつける」とは、大御本尊に傷をつけることであります。具体的には、日蓮正宗、創価学会に傷をつけ、同志に傷をつけ、王仏冥合、広宣流布の前進に傷をつけることであります。そのようにして法を下げ、御本尊に傷をつければ、地獄であります。
 ゆえに、たとえどのような乞食になっても、胸中に妙法をいだいて、正しい人生を進むならば、必ずや勝利の人生を開いていくことができ、永遠の幸福を一身に招くことができると、信心の極理を教えておられる御文と拝するのであります。たとえ、どのような立ち場、境遇にあっても、一生涯、地涌の菩薩としての本心を失わず、立派な社会人として、学会人としての襟度と誇りに満ちて、堂々と師子王のごとく振舞っていくことが、最も大聖人の仰せにかなった行動であり、精神であることを教えられた御文であります。
6  「されば同くは・なげきたるけしきなくて此の状に・かきたるが・ごとく・すこしも・へつらはず振舞仰せあるべし、中中へつらふならば・あしかりなん」――この段は、かの四条金吾が同僚の讒言によって、主君・江馬氏より所領を没収されたことに対する大聖人の指導であります。大聖人は、四条金吾に、たとえ、所領を没収されても、少しも主君にへつらうことなく、誠実をもって行動し、正義をいいきっていきなさい。へつらうことはかえって法を下げ、法華経に傷をつけることであり、地獄に落ちると厳しく戒められたのです。それと同じく、わが創価学会は、今日まで、権力にへつらうようなことは毛頭しておりません。権力にこびたり、へつらうことは今後も永久にないことを、私はここに宣言しておきたい。否、むしろいかなる権力者も、真に幸福と平和を願う善良な民衆を守護すべきであると、叱咤し、指導していくのが創価学会の大精神であり、かつ私の心であるということを知っていただきたい。(拍手)
 梵天、帝釈といえども、仏に勝てるわけがありません。私どもは、いなかる権力者、指導者に対しても、私どもこそ信心第一に進む無冠の王者なりと自負し、新社会の建設と新しい民衆の勃興のために、民衆の勝利のために、敢然と戦っていこうではありませんか。(拍手)
 「設ひ所領をめされ追い出し給うとも十羅刹女の御計いにてぞ・あるらむと・ふかくたのませ給うべし」――この御文は、四条金吾に対する厳父の慈悲、父の慈愛であります。たとえ、所領を没収されるようなことがあったとしても、むしろその難は、十羅刹女が信心を試みているのだと深く確信していきなさいとの御文なのです。
 鎌倉時代において、所領を没収されるということは、食衣住のすべて、すなわち生活権を完全に奪われることを意味します。しかし、たとえそのような難であっても、大聖人は、魔王、鬼神の試練であると確信して、決して騒いだり、弱くなってはならないと仰せなのです。このように、一生涯信心を貫き通し、そして生活、職場、社会を大切にし、自己の人生を、確信をもって生ききっていくことが、まことの信心即生活の実証であるとの仰せなのであります。
 どのようなことがあっても、信心に徹して動じない人は、最も強く、最も輝かしく、また最も清浄な人生であると思います。皆さん方も、多少苦しいことがあっても、あわてたり、動揺したり、ざわめいたりしてはなりません。魔王、鬼神の試練と確信して「大難来りなば強盛の信心弥弥いよいよ悦びをなすべし」との大聖人の御文のごとく、裕然と、そして敢然として戦い、見事な人生の勝利の実証を示しきっていっていただきたい。(拍手)
 どうか、くれぐれも体を大切にし、夜も決して遅くならないようにしていただきたい。また、本日を新しい出発点として前進されることを、心より念願して私の話を終わります。(拍手)

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