Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

中国本部幹部大会 広布の新しき潮流に

1967.8.26 「池田大作全集」第3巻

前後
1  この七年間、皆さん方に大変お世話になりまして、ありがとうございました。(拍手)
 中国は、この七年間において組織が完璧にできあがり、人材も立派に輩出しました。これからは“いつも笑顔の中国”になっていってください。(拍手)そして中国の皆さんは、特に常識豊かにリズム正しい毎日であっていただきたい。隣近所からも、友人からも、そしてまた職場においても心から慕われ、信頼される、伸びのびとした人生であり、生活であっていただきたい。(拍手)
2  私どもがこの中国発展の基礎を築いたのは、昭和二十九年ごろにその端を発したのですが、事実上は昭和三十一年十月から翌三十二年一月にかけて、山口方面を中心として展開した大折伏戦であるといっても、過言ではないと思います。その昭和三十一年の前半には、わが創価学会にとって初陣の参院選がありました。私は大阪で指揮をとり、当選を勝ち取って東京へ帰ったとき、即座に戸田前会長が「次は山口で折伏の指揮をとりなさい」といわれたわけであります。当時は、中国全体が、いろいろな点で立ち遅れていましたが、なかんずく山口県下は、わずか九十世帯にも満たない状況でありました。
 当時の学会は、全国でもたった三十二支部の陣容であり、これら三十二支部のなかから、幾人かの折伏の闘士を選抜して応援を願い、山口で折伏戦を展開したわけです。私も仕事があり、参謀室長としての使命もあり、現地で戦ったのは、延べ三十日前後と記憶しております。この間、岩国、防府、柳井、徳山、宇部、下関、萩、山口の各都市を駆けずり回り、座談会を中心とし、折伏に、個人指導に全力を打ち込みました。この戦いの結果、山口県下の学会員の世帯数は、約九十世帯から六千数百世帯になったのであります。(拍手)私は、山口へくるたびに、途中、広島や岡山にも幾度か立ち寄りました。そこで一緒に戦い、私が育てた人が、今日の中国の大幹部であり、中国全体の基盤も、このときに確立されたといっても過言ではありません。(拍手)私の二十年間の信心、法戦のなかでも中国、なかんずくこの山口の折伏戦は、なつかしい思い出となり歴史となっています。皆さん方も永遠に崩れぬ仏道修行のうえの思い出、歴史をそれぞれつづっていっていただきたい。(拍手)
3  創価学会は折伏の団体であり、折伏こそ、学会の魂であり、末法における仏道修行の要諦であります。これは、私が申し上げなくても、法華経を開き、御書を拝すれば、明瞭なことであります。今後、学会の活動分野は、ますます多角的となり、あらゆる文化の花を咲かせていかなくてはなりませんし、また王仏冥合の戦いも、さらに幅広く、力強く繰り広げていかなくてはならない。だが、忘れていけないことは、その根底をなすものが、あくまでも信心であり、折伏であるということです。特に折伏こそ、一切の勝利の源泉であるという定義を確認していただきたい。(拍手)この根本精神だけは、いかなる時代がこようとも、永久に変わらない指針であるということを銘記していこうではありませんか。(拍手)特にお願い申し上げたいことは、折伏戦にあたり、また学会員の指導にあたって、後輩を大事にしていただきたいということです。なかんずく折伏をしている人、新しい人を座談会に誘ってくる人たちに対しては、あくまでも暖かく、いたわり、最も大事にしてあげていただきたい。
 日興遺誡置文にも「弘通の法師に於ては下輩為りと雖も老僧の思を為す可き事」としたためられています。「弘通の法師」とは、大聖人の御金言どおり折伏に励んでいる人、実践している人のことを申します。「老僧の思を為す可き事」とは折伏している人に対しては、いかなる若輩、下輩の者であっても、たとえ一組員であっても、社会的にどのような境遇の人であっても、心からいたわり、尊敬していくべきであるとの、大聖人および日興上人の仰せなのです。この仰せどおり実行してきたがゆえに、わが創価学会が他の団体、他の教団には絶対に見られない、今日のごとき崩れざる、堂々たる陣容を整えられたと、私は訴えたい。(拍手)
 幹部が役職をかさにきて威張ったり、後輩の人を見おろしたり、真剣にまじめに戦っている人を、心から大事にしていこうという精神を失った場合、これは広宣流布を妨げる魔の存在であります。それは、遺誡置文の最後にも「日興が末流に有る可からず」と申されているごとく、もはや日蓮大聖人のご精神を正しく受け継いでいる末弟とはいえないし、創価学会の幹部とはいえません。どうか、これからもますます後輩を大事にし、学会精神を身をもって示し、幸福に満ちみちた人材を雲霞のごとく輩出していただきたいと、念願するものであります。(拍手)
4  山口を中心として、中国の地からは、近代日本を動かしてきた幾多の人材が現れています。明治維新にさいしては、吉田松陰の松下村塾から、高杉晋作、久坂玄瑞、品川弥二郎、前原一誠、初代の総理大臣となった伊藤博文等々が出ました。なお、この岡山からは、五・一五事件で倒れた犬養毅、平沼騏一郎などが出ています。現在の政界をみても、佐藤首相、岸元首相の兄弟は、山口出身であり、池田前首相も広島出身であることはご承知のとおりです。全く対照的に、萩市出身の野坂参三をはじめとして、宮本顕治等の共産党系の幹部も、同じ中国の地から出ていると聞いております。このような、わが国の保守と革新の両極端を代表する人物が、同じ中国から出たというのは、一つには、強い郷土意識が保守的な気風を生み、一つには、中央に対する反骨精神が革新派の人物を生みだしたと考えられます。こうした国土世間にあって、今度は、われわれの行き方を考えてみると、妙法こそ真の中道主義であり、保守も革新も包含し、指導していく立ち場となってきます。王仏冥合こそ、最高にわが身の幸福、わが国土世間の繁栄を実現し、しかも、それが全体の繁栄に通じていく理想の大道なのであります。(拍手)
 これまで中国は、京阪神という古くからの文化圏、産業圏とのあいだにあって、どちらかといえばその連絡、輸送路という立ち場でありました。しかし、瀬戸内海沿岸に、続々と新産業都市が生まれ、一つの新しい巨大な経済圏を形成しつつあり、今後、新しく飛躍、発展していくことは、間違いないと思っております。山陽新幹線も、正本道の建立される昭和四十七年の春には、岡山まで開通されるし、ゆくゆくは山陽自動車道路が敷設され、瀬戸内海をひとまたぎにして四国と結ぶ夢のかけ橋も建設されるそうです。これからのわが国の産業の動向から考えて、中国が、京阪神、北九州と並ぶような、あるいはそれ以上の重要な経済圏となっていくことも、十分に予想されるわけです。
 あらゆる意味において、中国は逞しく伸び、若々しい生命力に満ちています。ゆえに、皆さん方の力で草創期の息吹きをもって、必ず中国を繁栄させるべく、大いに推進していただきたい。そのヒノキ舞台は、われわれ中国健児の双肩にかかっている、その鍵はわれわれがもっていると確信してください。(拍手)したがって、新しい時代の潮流をつくっていくのは、皆さん方であると、私は大きい期待と信頼とを寄せるものであります。すなわち、妙法を受持した政治家、指導者が各界に輩出していったときに、この国土世間には、待望の理想的な新社会が完成されると、私は確信したいのであります。(拍手)
 したがって、私どもの行き方は、狭い郷土のためのみであってはならないし、たんに日本の指導者であってはならない。世界を舞台として、世界平和に直結する活躍でなくてはなりません。そのような世界的な指導者が、この中国の地から出ていただきたい。それが王仏冥合の指導者であり、最も革新的な指導者であると共に、最高に郷土を愛し、郷土のために尽くしたといえる指導者であると、私はいいたいのでありますけれども、いかがでしょうか。(大拍手)
5  これまでの日本を動かしてきたのは、さきにあげた人々であり、さらには、長州軍閥といわれたように、中国の地から出た軍人たちでありました。それがわが国を世界の戦乱に巻き込み、敗戦に追いやったことは、歴史が明白に物語るところであります。私は、中国の同志の皆さんこそ、今世の使命感と、自分たちのために、さらに子供のために、愛する郷土のために、次の日本を動かし、民衆の幸福と全社会に貢献していく幾多の人材を輩出し、輝かしい未来の潮流をつくっていただきたいし、また、そうなっていくべき宿命と使命があると確信しております。その意味で、中国の同志の皆さんが“広布の新しき潮流たれ”をモットーにしたならば、どうかと提案するものであります。(大拍手)“千里の道も一歩より”“大海の水も一滴より”の道理を胸に、時代と歴史の大転換をなしつつ、粘り強く一つ一つの戦いを勝ちきって、力強く前進していかれんことを願うしだいです。(拍手)
 なお、昭和三十五年五月、会長就任当時の中国の世帯数は、七万六千四百三十四世帯、支部数は五支部、大幹部は二十一名、理事はゼロでありました。いま、昭和四十二年七月末現在では、世帯数は約三倍の二十四万六千九百二十八世帯、支部数は百九十八、大幹部数は千百四十、理事数は三十七名となっております。そこで、正本堂建立の年を目標として理事室は百二十名、大幹部は四千名を目標に進んでいただきたいと思いますが、いかがでしょうか。(拍手)
6  最近ある外人記者がインタビューにきて、学会はなぜこのように大発展したのかと質問してきました。私はこれに対して、次のように答えました。それは、道理、文証、現証の三証という尺度にかなっているからです。すなわち経文上、哲学面、現実生活の証拠、この三証であります。もし、この裏づけがなければ、たとえ一時的に大発展しても、やがて線香花火のように消滅していくでしょう。だが、創価学会は二十年間、微動だにせず、発展に発展を重ねています。しかも、その根本としている教理が、深遠な哲学であって、ことごとく道理にあっています。世間の仏教学者といえば、わけのわからぬ言葉を並べ、それがあたかも深遠なもののようにごまかしているが、そんなものは言葉の遊戯であり、観念の遊戯にすぎない。真に生きた宗教、生きた大哲理であり、大哲学であるならば、その言葉も内容も、最も簡明でなくてはならないわけです。ある哲人のいわく「真実の言葉は、簡単なり」と。偉大にして深遠なる生命哲学こそ、あらゆる人々を心から納得せしめ、また、現実に信仰すれば生命力が強くなるからであります。
 これは疑うことのできない明白な事実であります。信心していけばいくほど、いいしれぬ力が生命に清水のごとくこんこんと湧いてきます。わが生命が躍動し、喜びと希望に満ちてきます。そうでなくして、どうして学会員のあの美しい清浄な目の輝き、喜々とした姿があるでしょうか。なんといっても大事なのは現証であります。日蓮大聖人も「道理証文よりも現証にはすぎず」と仰せのごとく、現実の生活にはっきりと証拠が出るものです。どんなに美辞麗句を並べても、現実に証拠の出ないような宗教に、誰が魅力を感じてついてくるでしょうか。
 大略、以上のことを申し上げたところ、その外人記者はひどく感銘をうけた様子でありました。つらつら世間を見るとき、この文証、理証、現証の三証の方程式にもとづいた団体を見いだすことはどこにもできません。わが創価学会という一個の生命体には、日蓮大聖人の言々句々がことごとく生き、偉大なる生命哲学も大御本尊の偉大な功徳も、すべて充満しているのであります。したがって、この創価学会という和合僧を破ることは絶対にできない。しかも、広宣流布の時がきております。わが創価学会が、さらにさらに発展し、日本を担い、日本の潮流となることは、まさに水の高きより低きに流れるがごとく、必然の事実であると訴えたい。(大拍手)皆さん方もそう確信していると思います。(拍手)
7  最後に妙心尼御前御返事にいわく「このまんだら曼陀羅を身にたもちぬれば王を武士のまほるがごとく・子ををやのあいするがごとく・いをの水をたのむがごとく草木のあめねがうがごとく・とりの木をたのむがごとく・一切の仏神等のあつまり・まほり昼夜に・かげのごとく・まほらせ給う法にて候、よくよく御信用あるべし」と。
 すなわち、大御本尊を身に持っていくならば三世十方の諸仏、諸菩薩、諸天の加護は絶対であるとの大聖人の御金言であります。創価学会には三世十方の仏菩薩の照覧があります。また、皆さん方一人一人にも、同じく諸仏、諸菩薩、諸天が照覧しております。大御本尊を持ち、冥の照覧を確信している人の幸福は絶対であり、誰人であっても、その幸福を奪い取ることはできない。
 どうか皆さん方は、どんなことがあっても大御本尊の偉大な功力を信じ、お子さま方に立派にバトンタッチするまで、明るく、健康に留意して、力強く前進していただきたい。そして、中国一、日本一、世界一の幸福な家庭の実証を示していただきたい。(大拍手)
 最後に、くれぐれも体を大事にして、一人も事故なく、元気はつらつとした日々の活躍であられんことを心からお祈り申し上げ、私の話を終わらせていただきます。(拍手)

1
1