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日蓮大聖人・池田大作

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第10回学生部総会 民衆の指導者に育て

1967.8.24 「池田大作全集」第3巻

前後
1  ここに学生部員二十万人を見事に達成して、元気いっぱいに集まった、歴史的な学生部第十回総会に対し、私は心からお祝い申し上げ、諸君と共に喜び合いたいと思うのであります。(拍手)
 今回は学生部結成大会より、ちょうど満十年にあたります。この十年間で、学生部がすばらしい躍進、充実を示しきったことを、明白に社会に宣揚したものといえましょう。私は、広宣流布の先駆を切り、そして広布の総仕上げをなしゆく学生部諸君の、本日の出発こそ、わが創価学会の第二ラウンドへの事実上の前進としたいのであります。(拍手)また、私ごとでおそれいりますが、本日八月二十四日は私の入信の日であります。入信以来、満二十年目の記念日である本日、総会で諸君とお会いできることを、ことのほか、うれしく思うしだいであります。
 学生部の胎動は、そのまま学会の胎動でり、さらに学生部の歴史は、そまま学会の歴史となり、広宣流布の歴史であるといっても過言ではない。いままでの学生部出身者を含めて、すでに数十万にもおよぶ学生部員が、学会の中核となっています。そして学会の未来を担い、今後、日本の、世界の指導者と成長していくことを、全世界の民衆のために、私は胸奥より念願してやまないものであります。(拍手)
2  ここで、私は若干、学生部の歴史を述べ、かつ学生部の将来についてふれたいと思います。学生部が結成されたのは、昭和三十一年四月一日であり、初代学生部長には、当時仙台支部長であった渋谷邦彦氏が任命されました。これよりさき、昭和二十八年には、東京大学のなかに、渡部元学生部長、篠原現学生部長等によって、東大法華経研究会が開かれ、戸田前会長より講義をうけるなど、すでに学生部結成への胎動がみられたのであります。昭和三十二年六月三十日、学生部結成大会には、五百名の部員が結集し、校舎なき総合大学を目指して、勇躍前進を開始したのであります。このとき私は、炭労問題のために北海道の夕張へ行っており、参謀室長として学生部の発展を願って、祝電を打たせていただいたしだいです。さらに昭和三十三年六月の学生部第一回総会には、部員千二百名を達成し、以来、年々躍進を遂げ、本年の学生部第十回総会を前に、二十万名の創価学会学生部員を数えるにいたったのであります。この間、学生部長として渡部一郎氏、横松昭氏が就任して、学生部発展の原動力となっております。
 昭和三十五年五月三日、私が第三代会長に就任したとき、学生部の部員数は、二千五百名でありましたが、昭和三十六年には六千名、昭和三十七年には一万二千名に、そして昭和三十八年には二万名、昭和三十九年には五万名、昭和四十年には十万名、また昭和四十一年には十五万名、さらに本年度においては、ついに念願の二十万名を突破したわけであります。わずか七年で、すなわち第一ラウンドにおいて、学生部は実に八十倍の大躍進を示したわけであります。この間、学会にあって、副理事長、理事、理事補、さらに青年部幹部の中枢にキラ星のごとく、学生部出身者が占めてきたことは、ご存知のとおりであります。また社会にあって、あらゆる分野で、各界の指導者として活躍していることも、厳然たる事実であります。
 特に、教学、哲学面においては、昭和三十七年八月三十一日に御義口伝講義を始めてから、毎月、学生部代表幹部諸君に講義を続け、五年目の昭和四十二年四月にいたって、全部修了したことは、忘れえざる喜びです。この間において、昭和四十年には、九百ページになんなんとする「御義口伝講義上」を、四月二日の恩師の命日を期して発刊することができました。さらに「御義口伝講義下」も、近く発刊の予定で準備を進めていることをご報告しておきます。(拍手)「御義口伝講義」を受講した学生部諸君が偉大なる教学の闘士として育ち「仏教哲学大辞典」全五巻、日蓮大聖人御書講義録等の編纂の中心となり、さらに、新たに結成された理論部の主力となっていることは、学生部諸君こそが、将来の創価学会を背負い、世界の思想界、哲学界に雄飛する革命児の証拠であると確信してやまないものであります。
3  願わくは、今後においても学生部諸君全員が、理論と実践を兼ね備えた真実の名将となり、力ある指導者に成長していただきたい。そのほか、これまで八回にわたる弁論大会、第三文明、学園ジャーナルなどの知性あふれる出版活動、文集「大鷲」の発刊、学内活動の活発化、学生部OB部の結成、そして富士学生交響楽団の成長、潮界の結成等、学生部諸君の現在までの真剣なる活動に対して、私は深く敬意を表すると共に、いよいよ崇高なる広宣流布の闘士として、いままでの十倍、二十倍の前進をされんことを望み、さらに諸君が私以上に成長し、一切の指揮をとっていただきたいことを願望するものであります。
 また私は、学生部諸君に、折にふれて、さまざまなことを要望し、託してもまいりました。昭和三十七年四月一日発刊の大白蓮華の巻頭言「学生部に与う」そして学生部総会、幹部会における講演、特に昨年七月二十五日の総本山における学生部第九回総会の「学生部の使命と指針」等において、俊逸たる学生部諸君に、数々の激励と指導をなしてまいりました。まさしく、未来に生きる人こそ、学生部諸君であります。広宣流布を目指すわが学会は昭和五十四年までに一千万世帯達成が目標になっています。だが時代の趨勢としては第二ラウンドの終わりにおいて、一千万世帯を達成せざるをえない情勢になってきています。また王仏冥合実現に進む公明党も、十年後に第二党を目指すことを宣言しました。さらに正本堂の建立、創価大学の建設等々、いよいよ栄光に満ちみちた時代が築かれつつあるといえましょう。ゆえに学生部諸君こそ、すべての勝利の原動力として、私と共に、否、私以上に活躍されんことを心から期待するものであります。(拍手)
4  ここで私は創価学会の前途、および学生部諸君への指針として、これまでの指導と重複するとは思いますが、四点に分けて要望したい。
 まず第一に、昭和四十七年、正本堂建立までに、学生部は四十万の精鋭を勢ぞろいさせていただきたい。これは、決して私が無理を願うのではなく、学生部の長期方針として、学生部の首脳陣の意向を、そのまま尊重して提案するわけであります。だが、昭和四十七年度の正本堂建立の年には、きょう集まった諸君、ならびに二十万の学生部員全部が卒業していなくなっている勘定なのです。(笑い)四十万といっても、高等部、中等部がすでに立派に大学生となっているでありましょう。したがって、それほど大変ではないわけですし、二十万の同志が五年間かかって一人ずつ確実に一世帯の折伏をし、指導しておけば、それですむという余裕ある考え方で進んでいただきたいのであります。
 正本堂建立までに、一千万世帯の達成が時代の趨勢になっており、第二ラウンドは正本堂建立の昭和四十七年までといたしたい。それが第六の鐘が終わる年になります。そして、昭和四十七年五月より、第三ラウンドとして、第七の鐘を告げる出発としたいことも、この席上を借りて決定したいと思いますがいかがでしょうか。(拍手)また昭和四十七年には、念願の創価大学の起工式を行なう予定でもあります。ともあれ、いまだかつて全世界の歴史上、二十万、そして四十万の学徒の結集がなされたことは絶対にないことを強調したいのです。しかも現在の日本の大学生数は、百八万と聞いておりますが、おそらく昭和四十七年度には、ほぼ百二十万名に達すると思われます。したがって、四十万名の結集は、ちょうど全日本の大学生数の三分の一にあたり、これこそ学生の世界において、舎衛の三億の方程式にのっとり、事実上の広宣流布と申し上げたい。(拍手)
 この方程式からみても日本の広宣流布は、まず学生部諸君の手によって、先駆を切り、かつ証明していただきたい。学生部に先駆を頼むという意義は、そこにあるということを知っていただきたいのです。信心と情熱にあふれた四十万の学生部があるならば、日本民族の発展も、世界の平和実現も、断じて行えないはずはない。いままでたくさんの抽象的な世界平和論、民族の発展論はあったけれども学生部のこの実践こそ真実の具体化された前進であります。日本民族のため、東洋民衆のため、世界人類のため、第二ラウンドの締めくくりとしても、学生部精鋭四十万結集を目指して、堂々たる前進を開始していこうではありませんか。(拍手)
5  次に申し上げたいことは、学生部諸君は一人も欠けずに、真実に立派な創価学会の後継者となり、さらに世界の指導者として成長していっていただきたい。私は学生部諸君に、最も大きな期待をかけ、輝かしい未来を確信しております。宗教革命ならびに政治革命、経済革命、教育革命、文化革命等々を見事に成し遂げ、民衆の幸福のための社会を築いていけるのは、学生部諸君をおいてはありません。(拍手)どうか全生命に信心の筋金を入れ、学会精神を骨の髄まで入れて、教学、勉学に勇猛精進を忘れず、一人一人が偉大なる人材に成長されんことを重ねてお願い申し上げるしだいであります。(拍手)
 今日の日本で、最も大事なことで、しかも、最も遅れているのが、いわゆる後継者の育成です。それは、指導者が利己主義で、後輩の成長を喜ばぬ、偏狭な島国根性から発している問題といわざるをえません。しかし、学会においては、あくまでも令法久住のため、王仏冥合という大目的実現のために、後輩の指導に全力を入れてきました。諸君が、あらゆる分野で社会の中枢となり、世界的な指導者に成長した時こそ、広宣流布の時であり、仏意仏勅を達成しうる時なのであります。“大海の水も一滴より”とあるように、まず毅然として朗々と題目を唱え、学会活動も、学業も、アルバイトも、すべて有意義に、着実に、人生の基盤を築きつつ、自己の成長を目指して進んでいただきたい。青年時代には、いかなる苦労を重ねても、人一倍勉強し、研鑽し、努力し、実力を備えた闘士となり、若き革命児として、一人の退転者もなく、すべてに勝利の実証を示しつつ前進していっていただきたいことも、重ねて申し上げるしだいであります。(拍手)
6  第三に、諸君に要望することは、理論闘争の大闘士たれ、ということです。現在の世界情勢は、唯心思想、唯物思想を弁証法的に止揚した日蓮大聖人の大仏法、色心不二の大哲学を待望する姿勢に満ちみちているといっても、決して過言ではない。学生部の諸君こそ、この大生命哲学をひっさげて、理論闘争の先陣を切る闘士となり、いかなる哲学、思想をも破折していける指導者になっていただきたい。現在、広宣流布を多角的に進展させるために、創価学会には理論部が結成され、百五人の俊逸が立ち上がっていますが、その大部分は、私が直接育てた学生部幹部諸君によって占められています。
 私が願うことは、それらの代表者だけでなくして、学生部全員が実質的な理論部の大闘士として、理論闘争の第一線に立っていただきたいということなのであります。(拍手)知恵を根幹として、知恵と知識の向上を図り、実践を主体として、実践と理論を兼ね備え、王仏冥合への活動を展開していける革命児こそ、学生部諸君でなければならない。かくして、宗教および哲学、思想等の分野は申すにおよばず、政治の分野においても、さらに文化等々、あらゆる分野において、堂々たる言論戦の中核となって、勇んで戦い抜いていただきたい。いままでの言論戦は、全部、私が矢面に立って戦ってきました。今後も同じ決意ではありますが、広宣流布の総仕上げを諸君に託した以上、第二ラウンド以降は、諸君が私と共に、否、私をしのいで戦っていくべきであると訴えたい。(拍手)
7  第四に、革命の法理について一言申し上げておきたい。それは、真実の革命とは、すべての虚栄や肩書きをかなぐり捨てて、大地、庶民に根ざしたものでなければならないということであります。一切の草木は、すべて大地に根をはやして成育しています。大地とは、庶民のことであります。学会の姿は、とりもなおさず、大地に根ざし、庶民に根ざしたものであります。古今の歴史に照らしても、上から押しつけられたものに、発展し、伸びた例は一つもありません。庶民から、下から勃興する革命こそ、真実の盛り上がる革命なのです。ゆえに、学生部諸君は生涯、決して名聞名利の指導者になってはならない。あくまで、決意は庶民の一員として、庶民に根ざした革命児とし、庶民と共に苦労していく、立派な指導者として進んでいっていただきたい。(拍手)
 百姓や労働者は、仕事をするときには作業着を着て物を作っていきます。百姓が、また労働者が仕事をするのに背広を着て働く必要はありません。私は百姓のごとく、労働者のごとく、庶民としてなんの肩書きもなく、名誉も振り切って、ひたすら宗教革命の法戦に臨んできました。東西の歴史に名を連ねる革命児も、すべて例外ではないと思います。学生部諸君は、現在の無責任な知識階級と同じ轍を踏んではならない。庶民を愚弄したり、エリート意識をもつような知識階層にはなってもらいたくない。そんな指導者や知識階級は、二流、三流の人物であり、結局は、民衆からバカにされ、いつかは孤独になり、社会から置き去りにされていくことになります。庶民と共に生きる指導者が出てこそ、民主主義の真実の姿であると私はいいたい。ゆえに、生涯、庶民と共に歩む革命児として、あくまでも新しい時代の庶民に直結し、慕われ、信頼された知識階級になっていただきたい。(拍手)
8  次に私は、信心と学業の問題の根底にある知恵と知識との関係について述べておきたい。現在は、世間一般に知恵と知識の立て分けがつかず、価値観に大きな誤りを犯しているのが現状です。口では立て分けている人たちでも、その本質をわきまえず、実際の行動面には、大なる混乱を生じているといっても過言ではありません。こうした知識と知恵を混同した誤った考え方に対して、恩師戸田前会長は「これ世界の文化人の迷乱である」と、厳しく論破されています。すなわち、知識が、そのまま知恵となるのではない。知識は知恵を誘導し、知恵を開く門とはなるが、決して知恵そのものではありません。日蓮大聖人が、末法万年の人類救済にあたられる根本こそ知恵であり、随縁真如の智です。また各人の人生において、勝利者となっていく根源は、あくまでもあらゆる生活環境のなかで、賢明に対処していく知恵、随縁真如の智であり、決して知識ではない。
 昔のことわざに「論語読みの論語知らず」という言葉があります。これは、知識がいくらあっても、それが生活を前進させるべき知恵となって働かなくては、なんの意味もないことを指摘した言葉といえよう。すなわち、知識はポンプ、知恵は水にたとえられます。知識は幸福の根本でなく、知恵こそ幸福の源泉であります。知恵あって、そこに一切の知識が生かされていくのです。したがって、所は、知識は迹門であり、知恵は本門となるのであります。これを学生部諸君にあてはめていうならば、学問は知識の蓄積であり、知恵にはいる道程です。仏法は知恵であり、生活の原理であります。したがって、一切の知識は、仏法の知恵によって、初めて社会のために最高に生かされていることを知るべきであります。
9  法華経方便品第二に「諸仏の智は甚深無量」とあります。この知恵こそ南無妙法蓮華経なのです。信心の最大の目的は、この知恵の湧現にあることを知っていただきたい。(拍手)しからば、知恵をみがき、随縁真如の智をうる方法とは、どうしたらよいか。幸いにも、学生部の諸君は、末法万年、未来永遠の一切衆生を即身成仏せしむる大御本尊を持ち、仏道修行に励んでいます。大御本尊を信じ奉ることは、以信代、すなわち信をもってに代えることであり、御本仏日蓮大聖人のお知恵を、そのままわが身に湧現することになります。「三世の諸仏の智慧をかうは信の一字なり」と。また、日蓮大聖人は「日蓮は閻浮第一の智人、日本第一の智者」と断定なされておられます。
 ゆえに、諸君は、たとえいまは貧しくとも、社会的になんらの地位がなくとも、またいかなる逆境のなかで戦っていようとも、日蓮大聖人の第一の弟子たる自覚に立ち「われ日本第一の智者、世界第一の智者なり」との誇りと、感激に燃えて進んでいっていただきたいのであります。(拍手)仏法のうえで、智慧ある者は誰かといえば、三千年前、インドの優秀なる学徒のなかでも、知恵第一といわれた舎利弗尊者でありましょう。また、経文のなかで「文殊の知恵」といわれる文殊師利菩薩なども、あげることができます。しかし、彼らのような声聞の弟子や迹化の菩薩とは、天地雲泥の相違があるのが、本化地涌の大菩薩であり、御本仏日蓮大聖人の眷属たるわが学生部諸君であるといいたい。(拍手)親愛なる学生部の諸君こそ、信心第一に、高らかに題目をあげ、折伏に励んで、知恵をみがいて、社会に、世界に貢献しうる大智者になっていただきたい。
 仏法では、十界論を立て、愚かなるを畜生といっています。知恵のない人間は、畜生にも劣るということになります。また、釈迦は、爾前教において立てた六波羅蜜の修行に対し、法華経にいたって、そのうちの五波羅蜜までは制止しましたが、第六の知恵の修行については、止めるとはいっていません。日蓮大聖人は、このことを「仏正しく戒定の二法を制止して一向に慧の一分に限る慧又堪ざれば信を以て慧に代え……」と仰せられています。戒定の二法、すなわち戒律ならびに行動については、末法においてはどんな戒律もいらない、どんな行動をとってもかまわない、しかし、知恵だけはいちばん大事である、そのための修行や勉強はしなければいけない、その知恵がない場合には、以信代、信心によって知恵を開発していきなさいとの意味なのです。
10  以上、知恵の大事なるゆえんを述べましたが、知識をないがしろにしてよいというのでは絶対にない。前にも述べたように、知識はそのまま知恵となるのではないが、知恵を誘導し、知恵を開く門となる大事な鍵であります。
 したがって、知恵の本道にはいるために、学生時代に、大いに知識の門を開いていかねばならないことは当然であります。ゆえに、大御本尊を信ずる者にとっては、あらゆる知識、あらゆる学問が皆、知恵となり、幸福生活を築く原動力となっていき、これで完璧な人生を樹立し、幸福の大道を正確に進んでいくことができるのであります。日蓮大聖人は、謗法の徒に対しては、一切の誤れる思想、哲学を捨てよと厳しく論折されています。しかし、折伏を行ずる門下生に対しては、一切の経々や論釈を勉学せよと、次のように申されてもいます。「此の大法を弘通せしむるの法には必ず一代の聖教を安置し八宗の章疏しょうじょを習学すべし」と。
 日蓮大聖人の時代においても、一代の聖教、全哲学、八宗の章疏、論釈等が必要であった。いわんや、現在の王仏冥合の戦いは、想像のおよばぬ広範囲の多角的な戦いになっています。一代の聖教や八宗の章疏はいうまでもなく、キリスト教、イスラム教、儒教等、広く全世界の宗教に関する知識、さらにはマルクス主義、実存主義、分析哲学等々、すべての哲学に関する造詣も必要となってきます。さらに、王仏冥合の戦いは、たんなる宗教界、哲学界の内部における論争のみではなく、政治、経済、教育、文化等の各方面にわたり、さらにはまた、すべての産業界にもわたる実践であります。諸君の学んでいる語学も、数学も、さらに政治、経済等にわたるあらゆる知識も、ことごとく王仏冥合の戦いになくてはならない武器となり、ミサイルとなることを知っていただきたい。学生部の諸君は、信心の知恵を根幹とすると共に、おのおのの学問をしっかり身につけ、あらゆる知識を吸収して、真実に力ある指導者となって、新時代のヒノキ舞台で思う存分に乱舞していっていただきたい。
 いままで私は、学生部の諸君に対し、一貫して、理論と実践を兼ね備えた、すなわち智勇兼備の指導者たれと要望してきました。そこで、仏法の歴史を考えるのに、わが国にまず法華経が広宣流布され、その時代の民衆を苦悩から救うと共に、一国の平和と繁栄をもたらしたのが、かの伝教大師の時代でありました。この時代の青年学徒たちは、毎年、全国から選ばれたなかから、わずかに二人が比叡山に登り、大乗戒を受けて、そこで十二年間山にとどまり、勉学に、そして修行に励んでいたといわれています。そして、十二年間の修行が終わったときに、本人の能力により実力に応じ、国宝、国師、国用の任命をうけ各地に派遣されて、それぞれの指導者となりました。いわく「よくいいよく行ずる者は国宝といい、よくいって行ぜざる者は国師となし、よく行じていわざる者を国用となす」と三階級となしたのであります。伝教のときは三階級であったが、学生部の諸君は、それよりもはるかに幅広く、それぞれの使命に向かって、大きく活躍していっていただきたい。
11  次いで、末法の時代にはいると、日蓮大聖人が出現して、三大秘法を建立あそばされました。日蓮大聖人のご弘通の姿は、像法時代の伝教などとは根本的に異なっています。ご存知のとおり、まず日蓮大聖人ご自身が、三度の国家諫暁をなされ、四たびの大難にあわれています。したがって、御弟子の日興上人も、山林にこもるような修行は、絶対にされていないのです。日蓮大聖人が、伊豆の伊東へ流罪されたときには、御弟子日興上人もお供をしました。その時わずか十六歳であられた。そして、一方では、わずかの暇をみては、付近に折伏に出かけ、有名な真言宗の金剛院行満を改宗せしめ、その寺を大乗寺と号しました。それ以来、日興上人を開山と仰ぐようになった弟子もあります。また、日蓮大聖人が佐渡ご流罪のときは、日興上人がただ一人、よく万難を忍んで、常随給仕申し上げましたが、それは二十六歳の青年時代でありました。さらにまた、阿仏房の一家をはじめ、皆、日興上人がよく折伏をし、指導をなされたことは、日蓮大聖人のご入滅後も、佐渡の信徒は皆、富士門徒として、富士大石寺に参詣にきていることによっても、明白な事実であります。
 そのほか、例をあげれば際限がありませんが、要するに、いつの時代にあっても、優秀なる青年学徒が、まず師匠の教えをうけ、信心修行に励んで人材として成長し、民衆救済、仏法流布の戦いに立ち上がっていったのであります。しかも、私どもがなさんとする広宣流布、王仏冥合への戦いは、前にも述べてきたとおり、平安朝時代や鎌倉時代と比べて、まさに天地雲泥の相違ある世界的な活動であると、痛感せざるをえません。(拍手)三千年の仏法の歴史においても、さらにまた、人類史上においても、いまだかつてないところの三大秘法の広宣流布、王仏冥合の実現を、最高、最大の生きがい、価値ある法戦なりと自覚して、諸君のいっそうの奮起を期待してやまないものであります。(拍手)
12  次に、私は諸君と共に、世界平和を強く願う気持ちから、再び、ベトナム戦争および、あらたに沖縄復帰問題について、一言したい。(拍手)過去二十数年、また南ベトナム民族解放戦線結成以来すでに七年、私は、戦火をうけるベトナム民衆の悲惨な現状に対し、心を痛め、一日も早く平和の実現をすることを、心から祈ってきました。
 私は、昨年十一月三日の青年部総会の席上で、ベトナム問題解決のため、若干の提案をいたし、青年部諸君の賛同をえましたが、ベトナム戦争のいっそうのエスカレートにともない、再び次のような提案をなすものであります。アメリカ空軍の北爆強化は、もはや米中戦争の危機さえ招かんとしています。ゆえに私は、第一に、ただちにアメリカ軍の北爆を停止し、次に非武装地帯をはじめとする南ベトナム内の軍事行動や、軍隊派遣を同時に停止する。そして、南ベトナム民族解放戦線すなわちベトコンを含めた関係国による世界平和維持会議を東京で開く。そして、合意のうえで米軍の引き揚げを行なう。その後、各国が南ベトナムに対し、経済援助を行なう。、また、今後、紛争が起きないよう、非武装地帯に国連監視軍を常駐させる。さらにまた、ラオス、タイ等に絶対に戦火を拡大させない。この解決策を、日本が国連において提唱し、また、ベトナム戦争に関係していない国々を結集して、ベトナム平和への呼びかけを協力に行なうべきであることを、主張するものでありますが、いかがでしょうか。(拍手)
 本年にはいって、ウ・タント国連事務総長は、ベトナム問題解決のため、即時停戦を基調とする新提案を行ないましたが、北爆停止を先決条件としない新提案は、実を結ぶにいたらなかった。情勢はどうしても、米軍の北爆停止を先決条件とせざるをえなかったのであります。北爆停止を先決条件とする即時停戦こそ、日本国内の世論であり、国連および全世界に満ちみちた、平和への方途であると、私は確信したい。(拍手)われわれは、さらに最後の望みを捨てず、国際世論を喚起して、ベトナム戦争の可及的な早期解決を図ることを目指し前進してまいろうではありませんか。
13  次に、沖縄復帰問題について、ほんの概略だけ申し上げたい。この考え方は、一か月ほど前からできあがっていたものでありますが、最近、他の政党の発表したのが先になってしまって、類似点もありますが、私どもの確信の裏づけとして、また、これからの指針、努力目標として申し上げておきたい。
 日本の一部である沖縄が、戦後二十年間も、アメリカの統治下におかれてきたことは、沖縄百万島民はもちろんのこと、日本人全体にとっても忍びえないことでありました。したがって、名実共に、沖縄のすべてを日本に復帰させることは、現地住民の悲願であるだけではなく、日本国民全体の願いであります。私は、ここに、沖縄における米軍施政権の即時全面返還と、沖縄の本土復帰を強く主張するものであります。(拍手)現在、沖縄は米軍の施政下にあり、現地の人々は日本人として平等の人権が尊重されず、普遍的な国民福祉の享有ができない現状です。のみならず、沖縄に軍事基地が置かれている事実は、日本の運命、世界の平和にとって、大きな脅威であり、核兵器の持ち込みは、日米間の友好関係を促進するうえに、大きな障害となっています。私は、こうした沖縄住民の生活を改善すると共に、核兵器の製造、実験、使用は、人類の生存権を否定するものとして、理由のいかんを問わず、強く反対する立ち場から、この沖縄の現状を改善していくために、次のような主張をするものであります。
14  まず第一に、施政権の即時全面返還であります。国連憲章は「すべての人民の同権と自決の原則」をうたい、第十五回国連総会では「すべての人民は、自決権を有しこの権利によって自己の政治的地位を自由に決定し、自己の経済的、社会的および文化的発展を自由に追究しうること」を宣言しています。戦後の沖縄を語るとき、本土復帰運動を無視して、沖縄の歴史は語れないといわれているほどであります。
 “われわれは、日本人であるから、日本に帰るのは当然である”という沖縄住民の意思は、一九五一年、平和条約の締結により、沖縄がアメリカの統治下におかれたときから、すでに復帰運動となって始まっていました。最近の世論調査でも、圧倒的多数が祖国復帰を熱望しており、今日においても、ますます、その動きは、熾烈になるばかりであります。このような沖縄の人々の自由意思は、民族自決の原則からも、当然、認められるべきであるし、誰人も無視することができなくなってきています。私は、施政権返還の第一の理由として、この人々の意思を尊重すべきであると訴えたい。(拍手)
15  第二には、沖縄核基地の撤去であります。日蓮大聖人の仏法は、申すまでもなく、絶対平和主義をもって貫かれています。世界の全民族が団結し、一国家の繁栄が、他の国家を犠牲にすることなく、共に平和と繁栄を期することが、われわれの主張する世界民族主義の根幹であります。すべての国際紛争の解決は武力によらず、平和的、外交的手段によって、なされていかねばならない。なかんずく、核兵器の製造、実験、使用については、人類の生存権を否定するものとして、理由のいかんを問わず、われわれは強く反対してきました。したがって私は、核兵器全廃を促進する立ち場から、沖縄基地の核弾頭、核発射装置、核兵器格納庫等の一切の核兵器の撤去を求めるものであります。アメリカが主張するように、極東の緊張と脅威を理由に、沖縄を核基地として使用することは許されるはずはありません。むしろ、沖縄から、核基地を撤去することが、真に緊張と脅威を緩和することになると、私は思いますが、いかがでありましょうか。(拍手)
16  第三に、通常基地の問題であります。この通常基地も、第二の核基地と同様、全面撤去を目指していきたい。核弾頭、核発射装置、核兵器格納庫等々、一切の核兵器を撤去した後の通常基地、これには、訓練基地および発進基地、補給基地等が考えられますが、これらの基地は、本土返還時に、まず大幅に縮小撤去し、そのあと、残務整理の移行措置のため、やむをえぬ基地として残る輸送中継、通信中継等の残存基地は、日米安保条約にもとづく施設基地として本土の基地と同様の取り扱いをし、自由使用は認めない。しかも、その残存基地も、返還後五年間をメドとして全面撤去を目指していきたいと考えますけれども、いかがでありましょうか。(拍手)
17  こうした米軍施政権の全面返還と沖縄の本土化を実現するためには、現在およびその過渡期において当面する諸問題について、施政権返還への体制づくりとして、適切な措置を講ずる必要があります。ある党は、無責任に、かってにいっていますが、私どもは、無責任な発言はできません。まず自治権の拡大でありますが、これは現在、米高等弁務官および米民政府のもっている権限を、琉球政府に譲り、沖縄住民による自治権を、本土に準じ拡大することであります。具体的には、現在、任命制となっている行政主席を公選にすることをはじめ、立法院の立法権権限の拡大、行政調整、範囲の縮小等の政策であります。
 次に、産業の振興と日本経済への復帰でありますが、沖縄開発の長期ビジョンと経済総合開発の基本計画のもとに、財政援助の増額と、農業、水産業をはじめ中小企業、観光、海運等の産業振興対策を構ずべきであると思います。そのほか、教育格差の解消、社会福祉増進の問題、本土との往来の自由等々、当面なすべき政策は、多種多様でありますが、これらの諸政策のなかで、私は、特に産業振興対策を強力に推し進めるために、沖縄経済総合開発調査会と、沖縄総合開発銀行の設立をすべきであると提案したいのでありますが、いかがでありましょうか。(拍手)
 まず、沖縄経済総合開発調査会の設立でありますが、沖縄の産業、経済を健全で秩序ある体制にするために、本土経済との一本化という見地に立って、沖縄の産業、経済のヒズミの解消と総合開発が、どうしてもなされていかなければなりません。そのための調査会を設立し、ここで基本計画を作成するようにしたらどうかと考えているのであります。(拍手)
 次に、沖縄総合開発銀行の設立でありますが、これは、沖縄の総合的な開発のためには、膨大な資金が必要であり、そのために、日本政府の出資による沖縄総合開発銀行を設立すべきであります。この銀行を中心として、従来からある金融機関をまとめて総合開発を有機的にすすめるために、必要な投資、資金の需要をまかない、産業政策をしっかりした基盤のうえに方向づけていき、さらに復帰後の経済的困難をやわらげていくために、この総合開発銀行を中心として、沖縄の金融制度を確立することが最も重大であると、私は訴えたいのであります。(拍手)私は、いやしくも日本政府が、国民の意思を代表する民主政権であるならば、堂々とアメリカに対しても強い意思を表明し、国際世論に訴えて、この国民の願いを実現していくべきであると主張したい。(拍手)
18  最後に、御書の一節を拝読します。十八円満抄にいわく「総じて予が弟子等は我が如く正理を修行し給え智者・学匠の身と為りても地獄に墜ちて何の詮か有るべき所詮しょせん時時念念に南無妙法蓮華経と唱うべし」、佐渡御書にいわく「悪王の正法を破るに邪法の僧等が方人をなして智者を失はん時は師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし例せば日蓮が如し」と。末法、現代の有徳王とは、仏を守り正法を守る力ある革命児をさすものであります。どうか学生部諸君は、勇気と英知をもち、広宣流布に邁進し、日蓮正宗・創価学会を守り、世界人類の平和と福祉のために前進する妙法の革命児として、綸然と立ちゆかれんことを望むものであります。(拍手)
 最後に、学生部諸君の健闘とご健康とを心からお祈り申し上げ、私の講演といたします。(拍手)

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