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日蓮大聖人・池田大作

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北海道本部幹部大会 新時代の開拓者に

1967.8.21 「池田大作全集」第3巻

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1  皆さん、過日の衆院選、ならびに統一地方選挙の立派な成績、本当におめでとうございました。(拍手)さる五月三日に会長就任七周年の総会を終え、順調に第二ラウンドへの戦いがスタートできましたことを、北海道の同志の皆さん方に、心から感謝申し上げるものであります。(拍手)
 私にとって、元気な同志の姿を見ることは、会員数がふえ、学会が発展していくより、また選挙に勝つことよりも大きな喜びなのであります。反対に、同志が疲れていたり、退転したり、事故を起こしたりしたときが、最も悲しい。どうか、この新しい七年間の法戦も、勝って兜の緒を締めて、私と共にいつまでも元気で、健康で、一人の退転者もなく、油断なく、楽しく前進をしていっていただきたい。(拍手)
2  この北海道の地は、牧口初代会長、戸田前会長がそれぞれ青年時代をすごされた因縁深い国土であります。また、北海道といえば、かつて、クラーク博士が、“青年よ、大志をいだけ”と叫んだ言葉が思い出されます。さらに、国土世間自体としても日本列島のなかで、最も新しく開拓された若々しい土地であります。依報、正報共に、また、世法、仏法共に、若々しい気風に満ちみちた、未来に生きる青春の地であり、逞しい希望にあふれた青年の土地であります。この末法に輝く、国土世間をわれらの幸福と繁栄のためにも、子孫末代のためにも、われらの力、努力で、われらの信心、団結で、模範的な新社会を築いてみせるという忍耐強い戦いを、一歩一歩成し遂げていっていただきたい。(拍手)私どもには大御本尊があり、岩をも貫く信心があります。常に清新の息吹きにみなぎって、きょうもまた、あすもまた、逞しく勝利の人生を切り開き、昭和四十七年の正本堂建立を目指して進んでいっていただきたい。(拍手)
 全国のなかでも、北海道は関西と並んで、特に思い出多い土地であります。昭和三十年八月の夏季折伏には、私が主将となってこの札幌の地へ派遣されました。そして、一週間にわたり、東京から一緒にきた同志、また、当地の人々と汗まみれになって戦ったものであります。そのとき札幌市内十か所で派遣幹部が担当して、折伏座談会を繰り広げました。その結果、毎日五十、六十、七十世帯と、入信する人がしだいにふえ、一週間で合計三百八十八世帯の成果を収め、全国夏季折伏の第一位を収めた思い出があります。
 当時、学会員は全北海道で二千世帯前後、札幌市内は、わずか数百世帯前後であったと思う。ほとんどの人々が信心も浅く、まだ教学がなかった。しかし、そのとき、北海道広布の草創期の建設と開拓に戦い抜いた同志は、現在では、全員が副理事長、理事、または大幹部となっているのです。その反対に、学会や信心を利用し、組織を悪用し、家庭を乱した人々は、皆、地獄のような生活に落ち、今日では、心から悔いております。ともあれ、当時の幹部は、皆みすぼらしい服装で、苦しい生活でありましたが、地涌の菩薩の自覚に立ち、開拓精神に燃えておりました。胸には情熱をたぎらせて、信心の大確信があった。その信心の一念と、苦難を乗り越えて戦い抜いた実践と、冥益とが、今日の大福運の実相の因となったと、私は訴えておきたい。(拍手)
3  「信ずる者は福を安明に積まん」――これは、大御本尊のお約束であります。安明とは、須弥山のことであり、すなわち、ヒマラヤ山脈のように、測り知れないほど、大きい福運を積んでいけるとの意味なのであります。これは仏の御金言であり、堅いお約束ですから絶対に間違いない。すでに何年か信心を実践してきた皆さん方は、それぞれに体験をつかんでご存知かと思います。しかも大御本尊のお力は、われわれの凡智をもって、とうてい測ることができぬほど大きく、その功徳は広大無辺であり、まさに宇宙大なのであります。
 かつて、戸田前会長は、一般講義のときに「私のうけた功徳をこの公会堂いっぱいぐらいとするならば、皆さんは、まだツメのあかぐらいしか功徳をうけていないであろう」と話されたことがございます。自分で、御本尊の功徳を体験して、つかんでいるという人でも、大御本尊の広大なお力からみれば、ごく小さな功徳をうけたにすぎない。まして、御本尊の功徳は、これぐらいのものだろうと思ったとしたら、それこそ増上慢のかぎりであります。どうか宇宙大の大御本尊の大功徳を、どこまでも、どこまでも求め抜いて、満身にうけきっていっていただきたい。学会に生涯つききって、王仏冥合のために真心こめて戦っていくならば、大功徳をうけることは絶対に間違いありません。(拍手)
 私は、ことし三十九歳です。まだまだ青年でありますし、広野の北海道と同じく、これからが戦いであるという希望と、勇気と確信に燃えております。もったいない話でございますが、日蓮大聖人は、三十二歳で立宗なされ、三十八歳、数え年三十九歳で「立正安国論」を著わされました。そして四十歳で伊豆の流難、五十歳で竜の口の法難および佐渡ご流罪にあわれております。事実上の本格的な戦いは「立正安国論」と著作後であったといっても過言ではない。大聖人に比較するなどということは、まことにもったいない話であり、恐懼のいたりでありますが、いま私も、第二ラウンドの戦いを内外に宣言し、いよいよ本格的な戦いを開始する決意であります。どうか、北海道の幹部の諸兄も、この私の決意を受け継いで、私と共に、輝ける広宣流布実現を目指して、前進していってください。
4  私は、今年の五月三日以降、関西、九州、中部、東北と各地を回り、同志を激励してまいりました。そして、それぞれの地で、モットーを打ち出してまいりました。いま私は、北海道の同志の皆さんには“新しき時代の開拓者たれ”をモットーとして、進んでいただきたいことを提案するものであります。(大拍手)北海道は、広宣流布の歴史に残る、数々の法戦の思い出を秘めた由緒ある国土世間であります。昭和三十年三月十一日の、有名な小法論は、日蓮宗の代表のように思われてきた身延派の邪義を、完膚なきまでに打ち破り、日蓮正宗こそが、大聖人の正統学派であることを、見事に証明しきった法戦でありました。これによって、日蓮正宗の正しさは、天下に明らかにされ、宗教界の王者としての地位を確立するにいたったのであります。三類の強敵のなかでは、道門増上慢の代表が、その息の根を止められたと、同じ意義があるといえましょう。
 また、昭和三十二年には、当時、労働組合のなかで、最強の団結と勢力を誇っていた夕張炭鉱労働組合が、学会員を弾圧するという事件が起こりました。このときも、北海道の同志の団結を得て、学会青年部が、全力をあげてこれと戦い、ものの見事に粉砕することができたのでありました。(拍手)これまた、信仰と労働組合という問題を明確にし、かつ横暴をきわめた労働組合幹部の独裁性に対し、その反省をうながしたのであります。そしてわが創価学会こそが、民衆の真実の味方であり、そして代表であることを明らかにすると共に、真の民主主義樹立の歴史上に、新しい時代の局面を切り開いたといっておきたい。(拍手)この数々の歴史こそ、北海道の同志の皆さんが、戦い、かつ残した歴史であります。したがって、皆さんこそ、常に新しい時代を切り開いていく開拓者となるべき使命があり、宿命をもっている証明であると自覚していただきたい。(大拍手)
 なお、昭和三十五年五月、会長就任当時、北海道の世帯数は四万八千四百四十六世帯、支部数は五支部、理事一人、大幹部三十一人という陣容でありました。現在は、世帯数は十四万四千七百四十三世帯、支部数は百六十五、理事(補)四十三人、大幹部九百九十一人となりました。この陣容を、今後七年間、すなわち、昭和四十九年までには、少なくとも理事六十人、大幹部二千人にまで発展させていってはどうかと提案しますが、いかがでしょうか。(拍手)北海道は、これまであらゆる戦いに、常に勝ち抜いてまいりました。その戦いに、私は心から敬意を表すると共に、今後も勝って兜の緒を締めて“絶対に大勝利を勝ち取ってみせる”という意思と団結で、進んでいっていただきたい。
 大勝利を勝ち取るために、いま最も大事なことは、あくまでも、座談会を中心に折伏の駒を着実に進めていくことであります。このことについては、大白蓮華九月号の巻頭言に「現代の仏道修行」というテーマで書いておきました。詮ずるところ、王仏冥合そして広宣流布に邁進することが、最高の現代の仏道修行であり、それをれて、真実の生きがいも幸福もない。それが結論であります。人生において、なにを心の住処とするかによって、その人の幸・不幸も、人間としての価値も決定されます。金力のみが心の住処であれば、その人は守銭奴であります。また権力が心の住処となれば、修羅界であります。私どもは、大御本尊を心の住処とし、信心を心の自覚として、常に、そこから出発して、この時代、この社会を、広宣流布総仕上げのヒノキ舞台にして、心から楽しく、思うがままに遊戯していく。それが最高の幸福であり、最高の価値創造であると、確信するものであります。(拍手)
 北海道は東京からいちばん遠い地でありますが、日本全国のいかなる総合本部よりも、うるわしい団結をもった異体同心の地になってください。そして、全国の幹部から、北海道を見習っていきなさい、また見習わなくてはならない、といわれるぐらい仲のよい、うるわしい姿になっていただきたいことを、重ねてお願い申し上げるものであります。(拍手)
5  最後に、御書の一節を拝読したい。法華初心成仏抄にいわく「凡そ妙法蓮華経とは我等衆生の仏性と梵王・帝釈等の仏性と舎利弗・目連等の仏性と文殊・弥勒等の仏性と三世の諸仏のさとりの妙法と一体不二なる理を妙法蓮華経と名けたるなり、故に一度妙法蓮華経と唱うれば一切の仏・一切の法・一切の菩薩・一切の声聞・一切の梵王・帝釈・閻魔・法王・日月・衆星・天神・地神・乃至地獄・餓鬼・畜生・修羅・人天・一切衆生の心中の仏性を唯一音に喚び顕し奉る功徳・無量無辺なり、我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて我が己心中の仏性・南無妙法蓮華経とよびよばれて顕れ給う処を仏とは云うなり、たとえば籠の中の鳥なけば空とぶ鳥のよばれて集まるが如し、空とぶ鳥の集まれば籠の中の鳥も出でんとするが如し口に妙法をよび奉れば我が身の仏性もよばれて必ず顕れ給ふ、梵王・帝釈の仏性はよばれて我等を守り給ふ、仏菩薩の仏性はよばれて悦び給ふ、されば「若し暫くも持つ者は我れ則ち歓喜す諸仏も亦然なり」と説き給うは此の心なり」と。
 この御文は、依正不二の原理を仰せられたものであります。まず南無妙法蓮華経は、梵天・帝釈・舎利弗・目連・文殊・弥勒、否、三世十方の諸仏の仏性の本源であります。したがって、ひとたび大御本尊に題目を唱えていくならば、一切の仏・一切の法、あらゆる森羅万象の法、一切の菩薩・一切の声聞・一切の梵天・帝釈・閻魔・法王・日月・衆星・賢人・智人、さらに地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天、一切衆生の心中にある仏性、すなわち大宇宙の、ありとあらゆる現象の奥底の仏性をば、ただ一音に呼びあらわしていくことができるとの仰せなのであります。よって大御本尊を信受し、妙法を唱える人の生命には、無量無辺の功徳が充満し、大宇宙の一切の働き、太陽であれ、月であれ、衆星すなわち無数の星であれ、草木であれ、社会であれ、隣人であれ、魔王・魔民たりといえども、その人の幸福へと働いていくのであります。たとえば、籠の中の鳥が鳴けば空を飛ぶ鳥が、その鳴き声に応じて、集まってくるようなものであるとの仰せであります。また空を飛ぶ鳥が集まれば、今度は籠の中の鳥は、外に出ようとするようなものであります。
 「口に妙法をよび奉れば我が身の仏性もよばれて必ず顕れ給ふ、梵王・帝釈の仏性はよばれて我等を守り給ふ、仏菩薩の仏性はよばれて悦び給ふ」とは、南無妙法蓮華経と唱えれば、己心の大御本尊が湧現します。すなわち、わが生命の仏界が湧現し、五体が躍動するということであります。それに呼応して、今度は、大宇宙の梵天・帝釈の仏性が呼びさまされて、われわれを守護するのみならず、三世十方の仏菩薩の仏性も呼ばれて歓喜するというのであります。三世十方の仏は、ことごとく南無妙法蓮華経によって成仏した。ゆえに、南無妙法蓮華経こそ、三世諸仏の出世の本懐であり、一切衆生の皆成仏道の妙法であるとの御文なのであります。まことに深遠な生命哲理であると共に、ありがたい仰せであると思うのであります。
 妙法を信受したわれわれの生命は、仏界に輝き、そして依正不二の原理によって、われらの住する一切の環境をことごとく常寂光の世界へと変えていくことができます。すなわち、具体的には、生命のうえに、生活の中に、家庭、社会等々あらゆるものを幸福へと働かせていくことができるのです。皆さん方は、この御文を強く深く確信して、信心に励んで幸福になってください。(拍手)そして、大御本尊を胸中にいだいて、いかなることがあっても諸天の加護を堅く信じ、さらに力強く、朗々と題目を唱え、毅然として、明るく、勇ましく、自らの人生を切り開いていただきたいことを、心から念願して私の話といたします。(拍手)

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