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日蓮大聖人・池田大作

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福井本部幹部会 信心の達人めざせ

1967.8.14 「池田大作全集」第3巻

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1  皆さんのお元気な姿を拝見して、これ以上の喜びはございません。私どもが受持し奉る三大秘法の御本尊は、広大無辺の絶対的大功力を持っております。したがって、皆さん方は、この御本尊を一生涯だきしめて、永遠の幸福を築ききっていただきたい。私も、ただ皆さん方の幸福と、平和と安泰を願っております。
 話は変わりますが、本年の夏季講習会に千数百人のアメリカの同志が参加いたしました。画期的なことであります。また、きたる十月十二日の正本堂建立発願式には、千五百人以上の海外の同志の参加が予定されております。さる五月三日の本部総会にも、かなりの海外の同志が参加しておりますし、本年だけでも、全世界から四千人近い同志が来日することになります。来日した人たちは、みんな喜んでいます。誰の助けも借りず、自分で働き、功徳をうけ、喜々として参加しているのです。しかも、現在、海外の会員は約十五万世帯にもなっております。講習会における教学の質問をみても、教授級が「たいしたものだ、よほど勉強してから講義をしないと、反対にやりこめられてしまう」というほど、高度の質問がでるのです。
 このように海外が発展したそのいちばん最初は、昭和三十五年十月二日、第一回の海外指導でありました。本日は当時のようすを、懇談的に話させていただきます。戸田前会長のご命日が四月二日なので、月は変わるけれども二日のご命日を記念して十月二日に出発しようというわけで、当日は朝十時の飛行機に乗りました。本当をいえば、私は、世界広布のために、もう少し早く手を打ちたかった。私の構想からみれば、若干遅れていたのです。その時の同行のメンバーのなかには、参議院議員もおりましたので、公式の訪問になるかもしれないし、政府の高官と会うようになるかもしれないとも考えました。いずれにせよ、みんな初めての海外指導だったのです。当時、アメリカの同志は、名簿上では三百人近くいたのですが、実際に掌握しているのは、数十人にすぎなかったのです。同行のメンバーは、最初男ばかりの予定でしたが、レディー・ファーストの国でありますし、学会の婦人の代表として婦人部長を出発まぎわに加えることが決まったのです。
2  こうして私たちは、ハワイに着き、世界広布の第一歩をそこにしるしたわけであります。ハワイは、日付け変更線の向こう側にあるため、一日の夜中に着いたわけです。ところが、出迎えにくることになっているハワイの二十人ぐらいの人たちが、誰一人としてきていない。電報では、たしかに“行きます”となっていたのです。(笑い)一方、日本を出るときに、英語が話せそうなことをいっていた同行メンバーは、税関でシュンとなってしまった。(笑い)そこをアメリカ人の官吏が気をきかせてくれて、やっと“オーケー”が出ました。ところが、空港を出ても、やはり誰もいない。
 空港の前は、現在でこそ明るくなっていますが、当時は、家もあまりなく、真っ暗闇なのです。ホテルは、どこへ行ったらいいか、ぜんぜんわからない。そうしたら、ただ一人、トム君という現在、男子部の部長で、ハワイ会館の職員の中心として活躍している青年が「きっとこの飛行機でくるのではないかと思ってきました」と待っていてくれたのです。そしてその青年の世話で、ホテルにやっと落ち着いたのです。もうそのときは、明け方の四時ごろです。食べるものはなにもないし、ホテルの中は全部しまっている。それで、私が持っていったノリをみんたで食べたのです。(笑い)
 私の念願として将来、海外にも会館や寺院をつくるために、ホテルは質素なところを選んだのです。日本の地方折伏のときも、非常に質素ですし、海外指導も同じようにしようと。本当は参議院議員も同行しているのだし、大使館とも連絡がとれたのですけれども、将来、学会員や公明党の議員がやってきたときに、私どもが車を使ったり、ごちそうになったということになると、法を下げてしまうし、本当に世界広布の道を切り開いたことにならない。受け身になってしまう。誰にも迷惑をかけないで私どもの手で、妙法の革命児らしく信心で、アメリカ広布の道を切り開いてみよう。こういう決心をしたわけです。(拍手)
3  翌朝、私は七時に起きて、海辺へ行き一人で題目をあげました。そうして、食事がもうそろそろ始まるから、みんなを呼ぼうとしたときに、現地の会員二十人ぐらいが押し寄せてきたのです。「しばらくです。すみません、きのうはどうも」といって……、(笑い)勘違いで、一日あとの飛行機だと思ったらしいのです。ところがその飛行機にはみあたらないので、ホテルを軒なみに電話して調べたそうです。しかし、一流のホテルにはどこにもいない。(笑い)それから二流、三流へと……。どうもいるらしい。(笑い)それで、喜んで、レイを持って一生懸命駆けてきたというわけなのです。
 その日から、活動開始です。“座談会に行こう”と。しかし、同行の人たちは、地区や支部や部隊をつくるなどということは頭にない。初めての海外旅行だし、時差のため、頭がポーッとして、そういうことはぜんぜん考えていない。(笑い)ともあれ最初に始めたのが座談会です。次に組織をつくりました。地区部長も任命しました。その地区部長は、いま理事になっています。
 こうしてハワイの指導を終え、次はサンフランシスコ、それからシアトル、ニューヨークと続きました。食事は粗末だし、観光旅行で酔いつぶれた外人には悩まされるし、ニューヨークに着いたときには、さすがに疲れました。しかし、その間、指導はきちんと終え、着実に将来の発展のために布石してきたのです。さらにそのあと、カナダのトロントの指導を終え、暑い南米へ向かったのです。そこでも世界広布の確実な布石をしてきましたし、七年後のいまでは、一万五千世帯になっています。しかし、そのとき、飛行場に迎えにきたのは、たしか七、八人だったと思うのです。
 そういうわけで、海外にもひととおりの妙法広布の布石を終えたのです。現在では、南米のサンパウロをはじめ、ニューヨーク、サンフランシスコ、シカゴ、ロサンゼルス、サンジエゴというぐあいに、七年前に海外指導で訪れた地にはほとんど会館、本部が設置されています。
4  最後に、またロサンゼルスから日本に帰ったわけでありますが、いま考えてみますと、二度とできない大変な旅行でした。ですけれども、そのとき現地で会った人たちは、一生涯忘れられません。その人たちは、全部、幹部になっています。初めの契りを堅く結んでから、まだたった七年目です。しかし、その人たちの喜び、福運、逞しさには目をみはるものがあります。そして、日本の国にも、二回、三回ときています。しかも悠々と信心即生活を実証してきているのです。その姿を見まして、妙法は偉大だとさらに強く感じました。所、大事なのは、求道心に燃えた純真な信心であり、建設精神、歓喜、自信である、と私は申し上げたい。皆さん方は裏日本の福井に住み、東京へ出るのも総本山へ行くのも、遠隔地で非常にお気の毒と思っています。しかし、アメリカの同志の人々をはじめ東南アジアやヨーロッパ、豪州等々、遠い世界各地で十数万世帯の人が喜々として信心即生活に励んでいる証拠があるということを、私は申し上げたいのです。
 この信心は、無上宝聚不求自得です。信心を十年、二十年と全うして、諸願満足にならないわけがありません。もし叶わなかったならば、御本尊の功徳はウソになってしまう。大聖人は「天子の一言虚しからず」「法王虚しからず」と申されて、御本尊の力、大聖人の仏法哲理は、絶対にウソがないと断言していらっしゃいます。アメリカのこの現実の証拠、また皆さん方の先輩の姿を見ても、そのことはよくわかると思います。論より証拠、誰人たりとも疑うことのできない実相であります。したがって、祈りの叶う叶わないは、おのおのの信心によるのです。そして信心とは実践です。どこまで自分が実践しとおすかが大事です。その実践のあり方を指導するのが学会であり、そこに学会の偉大な存在意義があるのです。
 テレビでも、映像が揺れるときがあるでしょう。そのときには、やはり調整が必要です。なんでも同じ方程式です。信心においても間違いを指摘し、大聖人の仰せどおりの実践、功徳のでるような信心をさせていく。これが学会の指導です。テレビの映像が揺れたりラジオで雑音がはいるのは、信心の立ち場でいえば怨嫉であり、疑いといえましょう。大聖人の信心は「無疑日信」――疑わざるを信というとあるとおり、大聖人の哲理を、御本尊をいかなることがあろうと、絶対に疑わないというのが、その究極です。なにも大声を出して勤行したり、折伏、指導をすることが信心ではない。水の流れるごとく疑わずに信心の実践に励めば、幸せになり、大聖人の仰せどおりの証拠が出ることは、決まっているのです。
5  御本尊は、宇宙全体の本源の縮図ですから、信心をすれば、自分自身の境涯が奥底から開いていくのは当然の法理です。その反対に、信心している人を怨嫉し御本尊を批判すれば、結局、自分が損をします。したがって御本尊を疑わずに実践しきっていくなら、自分が幸福になり、どのような問題も、やがて解決するのは決まっています。この「無疑日信」の強い強い自覚と決意をもって、また十年信心していない人は十年を目標として、また、十年に達した人は二十年を目標に、大聖人の御金言を実践していただきたい。(拍手)
 私は、東京から題目を送ります。皆さん方は、それをしっかりうけて、妙法の広布という自己の使命を果たしながら、社会にあって学会活動がいちばん楽しい、御本尊を信ずるのがいちばん楽しい、生活、仕事が楽しいという人生を送っていただきたい。それ自体が衆生所遊楽であります。そういう“信心の達人”になるまでがんばってください。(拍手)
 私どもの入信以前が希望なき人生であったように、御本尊を疑い学会から離れて退転すれば地獄です。また自己の成長を目指し、新社会建設のために妙法を根底に努力し、精進することを怠れば、すなわち前に進まなければ“進まざるを退転という”で、やはり苦しまねばなりません。したがって、衆生所遊楽の境涯にはいるまで、お互いにさらに前進すべくもう一歩がんばろうではありませんか。ともあれ私は、皆さん方を邪悪で傲慢な勢力から守り、皆さん方が人生、社会のヒノキ舞台で思う存分、活動できるように、その道を開くために、生涯、真剣に戦っていくことを強く訴えて、私の話といたします。(拍手)

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