Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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海外登山講習会 世界広布の原動力たれ

1967.8.6 「池田大作全集」第3巻

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1  海外の同志の皆さんが、元気いっぱいに、総本山富士大石寺に、はるばると登山できえましたことを心から喜んでおります。(拍手)大御本尊の功徳に浴しきって、これ以上、有意義な人生の歴史はないという、幸福で、安泰な一生を送っていただきたいことが、私の願望であります。
 三大秘法の御本尊は、絶対に正しい御本尊であり、宗教であります。数多くの宗教、思想、哲学があっても、その根本は、皆さん方が受持している御本尊以外にありません。したがって、この御本尊に、勇敢に、忍耐強く、純粋に祈念すれば、願いが叶わないことは絶対にありません。この根本の精神だけは瞬時も忘れないで、生涯、貫き通していっていただきたい。日蓮大聖人の仏法の真髄は、大宇宙の法則そのものであります。したがって、信ずる者は幸福になり、人生に勝ち、謗ずる者は、宇宙の法則に反するゆえに不幸となり、身を滅ぼすのです。ただし、逆縁の法理によって一度不幸に落ちた人も、いつかは、大御本尊に巡り会って救われるのであり、そこに大聖の仏法の偉大さがあります。
 今回の夏季講習会には、海外の同志が、千数百人、総本山に登山したわけであります。これほどの多数の人々、また、信心の喜びあふるる人々が、一度に、太平洋を越え、そして霊鷲山会へ参詣したという事実は、他のいかなる宗派においても、歴史をみても例をみない。皆さん方は、その崇高なる歴史をつくったのであります。この事実こそ、末法の真実の宗教である日蓮大聖人の教えが、国境、民族を越えて、全世界に広宣流布すべき大宗教であることの証明であると、私は深く確信するものであります。(拍手)
2  やがて五年後の一九七二年には、末法の真実の夜明け、世界恒久平和の根本的黎明ともいうべき、本門の戒壇である正本堂が建立されます。そのときには、きょうここに集まった同志の皆さんは一人も残らず、さらに功徳をうけ、元気いっっぱいに、集まっていただきたいことを、心からお祈り申し上げるしだいであります。海外からも、何万人かの同志が、そのときここに集まることになると思います。皆さん方は、そのときヨーロッパ、東南アジア、そして全世界から集まってくる人たちの中核であり、その原動力であるという自覚をもって、この五年間を、有意義に戦っていっていただきたい。(拍手)
 日蓮大聖人は末法の仏様であられます。仏様は、ただの一遍もウソをつかれたことはない。たとえ太陽が西から東へ昇ろうと、空が地になり、地が空になったとしても、大聖人の仏法には虚妄がありません。したがって、世界の広宣流布も、絶対に間違いない。その序幕ともいうべき、正本堂建立の時に、全人類が和気あいあいと霊鷲山に集まった私どもの姿を、心から賛嘆し、喜び、そしてまた感謝し、尊敬するような実相をつくろうではありませんか。(拍手)いま世界は、残念ながら、自由主義陣営と共産主義陣営、また欧米先進国とアジア・アフリカ諸国と大きく分裂し、激しい対立と争いを続けております。だが、正本堂が建立されるこの富士大石寺は、大御本尊のもとに、全世界の人々が、仲良く集まり、おのおの罪を懺悔し、その罪を消すべき世界最高の聖地であると、日蓮大聖人は申されているのであります。(拍手)
3  三大秘法抄に説かれている大梵天王そして帝釈とは、アメリカ大統領やソ連の首相、フランスの大統領等々、世界の指導者のことであり、やがては、そうした人々も、必ず富士大石寺、正本堂に参詣する時がくるとの仰せなのです。(拍手)一日も早く、そのような楽しい、希望にあふれる真の平和な時代のくることを、私は心から念願し、そのために先駆を切って戦っているのであります。皆さん方も、その心をくんで、がんばってください。(拍手)
 そのような時代を築くことが、私どもの真の使命であります。私どもは、その尊い歴史の開拓者であり、いかなる有名人、いかなる財閥よりも、世間で偉いといわれているいかなる人よりも、尊く崇高なる活躍をしているということを強く銘記して、襟度をもって前進していきたいのであります。日蓮大聖人のご遺命である世界の広宣流布、すなわち真実の世界平和実現の担い手として、宗門始まって以来の大偉業を遂行している皆さん方の福運は、何ものにもかえがたいものであり、必ずや日蓮大聖人の絶大なる祝福があることを信じてやみません。
4  かつてローマ時代、キリスト教がヨーロッパの地で弘まり始めたころ、数多くの民衆が、信仰のために迫害にあい、悲惨な死を遂げていった歴史がありました。だが、キリスト教は、その無名の人々の、熱烈たる信仰があったればこそ、全ローマ帝国に弘まり、やがては、ヨーロッパ各地に伝えられて、今日にいたるヨーロッパ文明の花を咲かせてきたのであります。
 しかし、いま私どものまえには、そのような生命におよぶ恐ろしい権力の迫害は、決してありません。明るく、逞しい皆さん方の活動、そして成長していく姿は、必ず世界中に、この仏法の正さ、素晴らしさを理解させ、それが世界広宣流布の源泉となっていくことは、絶対に間違いない。そのことを確信していただきたい。このような尊い使命を担って出現した私ども地涌の菩薩が、自己の弱さに負けたり、少しばかりの生活との戦いに敗れて、信心を捨てたならば、まことに恥ずかしいことといわねばならないと思いますけれども、いかがでしょうか。(拍手)私どもの苦労のうえに、必ずや幸福と平和の未来が、花を咲かせていくことを強く確信して、生涯、強い強い信心を貫き、また、その信心を、お子さんや、お孫さんに伝えていっていただきたい。それが福運という最高の財産を、譲り伝えることであるからです。
5  四条金吾殿御返事に「自受法楽」――自ら法楽を受けるとあります。この御書の言葉は、大御本尊を信じて、自己の生命に、最も清浄な最も力強い仏界を湧現して、自らの人生を思うがままに楽しみきっていけるという意味なのであります。一般世間の楽しみは、ほとんどが一時的なものであります。仏法では「五衰をうく」といって、一般的な幸福感、楽しみというものは、必ず衰えていくという原因が含まれているのです。ということは、結局、一般世間で幸福といっても、それは生命を損耗していくものにすぎないということです。常に現実から逃避して、快楽を得ようとするため、その楽しみが消えうせたあとは、再び現実の世界に立ち戻り、苦痛を感ずるのが、世間の快楽です。しかし、妙法の幸福は、この現実の世界にあって、いかなる逆境をも開き、いかなる苦難をも打開していく、揺るぎなき、力強い自己の確立のうえに築かれていくものであります。したがって、絶対に衰えもせず、破壊もされない、不滅の幸福であることを知っていただきたい。
 ひとたび御本尊を受持するならば、誰人といえども尊厳なる妙法の当体であります。阿仏房御書には「末法に入つて法華経を持つ男女の・すがたより外には宝塔なきなり、若し然れば貴賤上下をえらばず南無妙法蓮華経と・となうるものは我が身宝塔にして我が身又多宝如来なり」と仰せであります。ここに説かれた生命の尊厳論こそ、民主主義の絶対的基調であります。大聖人ご在世中、佐渡の阿仏房が身延山中に住まわれていたご本仏を慕い、海を渡り山を越えて、求道心に燃えて大聖人にお目通りした信心こそ、現代の皆さん方の生命の中に躍動しています。したがって、皆さん方は、二十世紀の阿仏房であります。この阿仏房御書は、皆さん方に与えられた御書と拝していただきたい。
 そして、この根本精神を胸に刻んで、仲良く、お互いに尊敬しあい、また激励し、協力しあって、明るい、楽しい前進を続けていってください。大御本尊のおひざもとで、真実の心のふるさとに帰ったように、思う存分に楽しみ、喜びを心ゆくまで満喫していっていただきたいことを念願しまして、私の話といたします。(拍手)

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