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日蓮大聖人・池田大作

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第90回本部幹部会 理論闘争を展開

1967.7.30 「池田大作全集」第3巻

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1  皆さん、こんにちは。猛暑のなか、七月の折伏戦、大変にご苦労さまでございました。(拍手)来年の戦いを勝ち抜くために、暑い八月も、もう一か月だけ、団結してがんばっていただきたいのであります。私も八月は、十日間の夏季講習会に引き続いて兵庫、北陸、岐阜、北海道の旭川、札幌、また岡山、山口等々、全国各地を回って、第一線で活躍している同志の激励に歩く決心であります。皆さん方も楽しく、逞しく、張り切って、この一か月間を有意義に送ってください。アメリカの同志千二百余人が、今度の夏季講習会に参加することになっており、この席にも第一陣、第二陣として二百八十余人が見えております。私どもは心から拍手をもって歓迎したいと思うのであります。(拍手)
 今年は、衆院選、紘一地方選挙、また会長就任七周年の総会、そして折伏と、戦いに次ぐ戦いの連続でありました。したがって今回の講習会は、あくまでも楽しい伸びのぴとした有意義な三日間を送ってください。
 世間にも、講習会と名のつくものはたくさんあります。政界、財界、教育界、宗教界、またホーイスカウトなども行なっております。だが、そこには偉大な目的と深い理念がなく、多くはその場かぎりの講習会として流されているように聞いております。規模の面からも、真剣さからも、目的観、伝統のうえからみても、学会の講習会は、他の比較にならぬほどすくれていることは間違いないでありましょう。この夏季講習会が、生き生きと連続するかぎり、創価学会の人材の牙城は完璧であり、共に未来の社会、未来の日本、未来の世界は盤石であると、私は訴えておきたいのであります。(約手)
2  次に理論部について申し上げれば、すでに聖教新聞紙上等でご承知のごとく、理論部の活躍は盛んになっております。この理論部は王仏冥合、広宣流布推進のため、理論闘争を使命として結成されたものであります。すなわち、時代と共に広宜流布が多角的に進展することを予想して、第一ラウンドの七年間に、着々と私が訓練してきた俊逸をそろえ、第一次として理論部長中心に百五人をもって構成したものであります。そして第二ラウンドの出発である五月三日より理論闘争の火ぶたを切っており、日本一、世界一の論陣をこれから張っていきたいのであります。
 理論部は八部からなり、理論第一部は東西哲学研究会、第二部は現代思想会議、第三部は政治刷新懇話会、第四部は中道政治研究会、第五部は福祉経済研究会、第六部は現代マスコミ研究会、第七郡は近代マスコミ同志会、第八部はパール・ペンクラブです。
 すでに学会では、実践第一として多くの大幹部が戦ってきました。ここに御書を根幹に大理論を展開する理論部の結成によって、実践と理論の両面が完璧となったのであります。理論部が、日本の言論界に大きく寄与し、そして大評論家や、大学者が成長していくことも当然でありましょう。そして、第二期にはいった広宜流布の新しい道を開き、花々しい先駆の法戦を展開していくことも、絶対間違いないと私は確信しております。
3  大聖人の仰せにいわく「智者に我義やぶられずば用いじとなり」また「行学の二道をはげみ候べし」と。この仏法哲学の大理論を、実践闘争の裏づけとし、また証明としていかねばならない。われわれは、日蓮大聖人の御金言に照らし、御聖訓に合致した智勇兼備の大信者の集まりであるということを再確認して、前進していきたいのであります。ただし、理論部は理論のみの遊戯であってはならない。大聖人の仏法は事行の一念三千であり、実践があくまでも主体です。すなわち、実践のための理論であります。理論は実践の証明とならなくてはならない。実践を忘れた理論は、いかに立派なことを述べても、それは観念の遊戯であり、天台仏法の亜流になってしまいます。それでは、決して一生成仏にも、広宜流布の推進にも直結してはいかない。
 結局、大きく学会全体としてみた場合には、王仏冥合実現が主体であり、理論闘争はその正しさを裏づけ、推進を助ける立ち場であります。これを理論郡の永久の指針としていっていただきたい。さらに、幹部諸兄は、この理論部の進展と共に、御書を中心にあらゆる広宣流布のための理論を読みきり、言論界の一切の論文も読み、自ら書き、自ら雄弁となって、一人残らず実践の将であると同時に、理論闘争の将になっていただきたいことが私の念願であります。(拍手)
4  最後に、御書の一節を拝読し、お互いに信心の指針としていきたいと思います。祈祷抄にいわく「法華経の行者の祈る祈は響の音に応ずるがごとし・影の体にえるがごとし、める水に月のうつるがごとし・方諸の水をまねくがごとし・磁石の鉄をうがごとし・琥珀の塵をとるがごとし、あきらかなる鏡の物の色をうかぶるがごとし」また、同じ御書にいわく「大地はささばはづるるとも虚空をつなぐ者はありとも・潮のみちひ満干ぬ事はありとも日は西より出づるとも・法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず」と。私どものだきしめでいる大御本尊の法力は広大深遠であり、私どもがこの御本尊に祈って叶わぬ願いは絶対にないとの仰せなのであります。(拍手)この御金言を強く、深く確信して、いかなる戦いも、宿命も、生活も、強い祈り、真剣な題目で切り開いていっていただきたいのであります。
 八月の八とは、開く義であります。お互いに、一切にわたって大きく開いていく月にしたいものであります。暑いので、十分に体を大切に、また事故なく、有意義な一か月をすごされ、福運を開き境涯を開き、また元気いっぱいに、八月の幹部会に集合しようではありませんか。(拍手)

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