Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

東北本部幹部大会 人材の牙城・東北たれ

1967.7.15 「池田大作全集」第3巻

前後
1  さる五月三日、会長就任七周年の総会を勝利の前進のなかに終え、広宣流布への新たな第二ラウンドに向かって、法戦の幕を切って落とすことができました。これひとえに、皆さん方の心からなるご支援のたまものと、厚く御礼申し上げます。(拍手)新しい七年間は、いよいよ王仏冥合の本門への段階にはいったと考えております。したがって、これまでの何倍も忙しくもなるし、皆さん方にご苦労をかけることもあるかと思いますが、どうか、学会っ子らしく、さらに強固なスクラムを組んで、楽しく勇敢に、私と共に進んでいただきたいと願うものであります。(拍手)
 仙台にきて思い出すのは、戸田前会長が青葉城を非常に愛され、よくここで“荒城の月”を歌ったり、青年たちと語り合って、有意義なひとときをすごされたことであります。そのさい、戸田前会長が話されたことの一つに「青葉城は要害、堅固な城であったが、学会は人材の城を築くのだ」という有名な言葉があります。これまで私は、関西、九州、中部と各地を回って、それぞれ、新しい特色のあるモットーを打ち出してまいりました。関西には“常勝関西”九州には“常に先駆の九州たれ”そして中部に対しては“広布の堅塁・中部を築け”と話して話してきました。いま私は、東北の同志の皆さんに“人材の城・東北たれ”を旗印として、前進されたいと思うのであります。(大拍手)
2  一般に東北の人は、口が重く、性格が暗いといわれております。たしかにそういう面もあるかもしれない。だが、信心が根底にあれば、そのままの性格、振舞いを全部生かしきっていっていよのであります。したがって、皆さんは純真で粘り強い人生を、そしてまた、広宣流布へのたゆみなき前進と勝利を築ききっていっていただきたいと願うものであります。(拍手)
 この東北の地からは、土井晩や石川木らの詩人、原敬、後藤新平などの政治家等々、幾多の人材が輩出しております。さらに仏法を中心としてみても、仙台周辺の地には、第三祖日目上人の縁故の方々が領地をもっていた関係で、日目上人も、この地へたびたび足を運ばれ、折伏されたといわれております。それ以来、今日までの信心の伝統が受け継がれ、総本山と密接な関係がたもたれております。徳川時代には、有名な仙台法難が起こり、その法難を、莞爾として戦いきって、信心の伝統を築いた輝かしい歴史も記録されております。また、何人かの猊下も、この地から出られており、まさしく、仏法の宿縁深厚の国土世間であると、深く考えるものであります。
 また、摩の島津、加賀の前田と共に、三大雄藩といわれた仙台藩主の伊達公は、日蓮正宗と縁の深い家柄であった。仙台の仏眼寺には、大聖人と日興上人の合作である貴重な御本尊、いわゆる有名な“飛び曼陀羅”がございます。この飛び曼陀羅は、かつて大火のさいに行くえ不明になり、一夜明けてみると、不思議にも青葉城の木の枝にかかっていたといい伝えられております。これが機縁となって、伊達家では、この御本尊を厚くお守り申し上げたというのであります。
 その後、伊達藩では、毎年、この御本尊を仏眼寺にお返しする儀式を行ない、盛大な行列をつくって、最高の儀礼を尽くしたといわれております。また、仏眼寺をはじめ、日蓮正宗の寺院に対しては、数々の御供養をし、そして尊崇したとも伝えられております。現在、仙台を中心とした一帯には、全国では珍しいほど日蓮正宗の古い寺院がたくさんありますが、これも伊達公の保護の力と考えるわけであります。伊達六十二万石が源頼朝の創建時代から、明治まで、ずっと残ってきた全国唯一の大大名であったことを考えるとき、ひとえにその功徳であると思わずにはいられないのであります。(拍手)
 このほか、仙台についていえば、戦後、灰塵の真っただ中で、戸田前会長のもと、いち早く学会再建の一翼を担って立ち上がったのも、仙台支部であったのです。どうか、東北の皆さん方は、この純真で、誠実な信心の伝統を受け継いで「月月・日日につより給へ」との御金言を胸に、逞しく、たゆまず人間革命し、自分たちの手で、この東北の地に常寂光土の新社会を建設し、諸願満足の人生を、全うしていただきたいのであります。(拍手)
3  先日の本部総会において、私は、七年後の構想として、理事三千人、大幹部十万人の陣容を整えることを発表いたしました。この構想にもとづき、東北の過去を振り返り、また、未来を考えてみたい。ちょうど七年前の昭和三十五年五月、会長就任当時は、この東北六県の学会員は、支部数は六支部、大幹部数は三十三人、理事はゼロという陣容でありました。七年たった現在では、二百二十三支部、大幹部は千三百六十八人、理事は、実に六十四人という、大発展を遂げたのであります。特に理事が六十四人という陣容は、全国でも優秀です。それだけ人材がそろっている証拠であり、皆さんはその誇りと自信をもって、さらに進んでいっていただきたいのであります。ここでは、七年後の構想として、全国的な世帯数の比率からいって、理事百二十人、大幹部は四千人を目標として、進んでいったらどうかと提案しますが、いかがでしょうか。(拍手)
4  話は変わりますが、いま世界において中東問題が、大きな焦点となっております。最近のある雑誌に、一人の日本人がイスラエルを訪れたルポルタージュが載っておりました。そのなかで、その日本人がイスラエル人から聞かれる質問は、必ず「あなたの宗教は何か」ということだそうです。そこで、その人が「自分は宗教には関係がない。ほとんどの日本人が、経済主義、合理主義に徹して、日本は無宗教的風土である」と答えたそうであります。すると、そのイスラエル人は「君は私の日本人に対するイメージを変えてしまった。日本人の心の底には、仏教の教えが脈打っていて、精神主義的な面が濃い国民だと思っていたのに」と嘆いていたそうであります。そして「経済主義、合理主義がなにになるか。日本人は西洋人と違って、もう少し、そのへんのことをわきまえている民族だと思った」といっていたそうであります。
 もとより、私は、経済主義、合理主義を否定するつもりは毛頭ありません。むしろ、近代人として、近代国家のあり方として、最もな行き方であると思っております。その反面、イスラエル人の言葉のなかに、現在の大部分の日本人が、深く反省すべき問題が含まれていることも事実であります。フランスの文豪ビクトル・ユゴーは「大海よりもなお壮大なものは、大空である。大空よりもなお壮大なものは、人の心である」と述べられたといわれています。これは、たとえ信心していなくとも、人間性を深く探究したとき、人間の心の偉大さにふれ、思わず感嘆の叫びをあげた大文豪のひとつの悟りであると思う。
 だが、現実には、環境の重圧に耐えかねて、狭苦しい、しぼんだ心となり、せせこましい人生を送る人が、なんと多いことかと、哀れに思わずにはいられないのであります。なんの確固たる目的も、高邁な人生の指針もなく、強い主体性、輝かしき希望もなく、この社会に浮沈していく人が、大部分であります。それは人間の壮大な心、すなわち生命を開発していく偉大なる宗教がないからであります。私は、大海よりも大空よりも壮大なる人間の心を聞いていくものは、東洋哲学の真髄たる、人間性復興の大宗教、すなわち日蓮大聖人の大仏法であることを叫ぶものであります。(拍手)
5  現在の日本は、経済的にいちじるしい成長を続け、繁栄している一方、精神生活は日増しに空白化し、幾多のひずみをつくっております。このように、驚異的な経済成長を遂げ、大発展を重ねている日本に対して、世界の国々、特に後進国の期待は、絶大なものがあります。ヨーロッパの先進国・イギリスでさえも、盛んに“日本を見習え”というような風潮になっております。だが、日本の精神的むなしさ、浅はかな合理主義など貧弱な内容を、彼の国国が見抜くようなことになったならば、ただ失望を与えるだけではないかと心配するのです。このような実情では、日本がたとえ世界一の経済国になったとしても、たんなる新興成り金、成り上がり者にすぎないといわれざるをえません。世界の民衆が真に求めているものは、そんな浅はかなものでは決してない。仏法を根幹とした深い哲学、思想性があって、初めて納得するし、尊敬もされるのです。そして、心から日本に教えを求めてくるようになると私は思う。私どもは、日蓮大聖人の大生命哲学こそ、全世界の民衆を心から納得させ、次の世界の骨髄となり、全人類の真実の依処となる、唯一の大思想であり、真の世界的大宗教であることを訴えつつ、十年、二十年、五十年先を目指して、確信をもって前進していこうではありませんか。(拍手)
6  船守弥三郎許御書にいわく「我等衆生無始よりこのかた生死海の中にありしが・法華経の行者となりて無始色心・本是理性・妙境妙智・金剛不滅の仏身とならん事あにかの仏にかわるべきや、過去久遠五百塵点のそのかみ当初唯我一人の教主釈尊とは我等衆生の事なり、法華経の一念三千の法門・常住此説法のふるまいなり」と。
 「我等衆生無始よりこのかた生死海の中にありしが」とは、われら衆生が過去遠々劫より苦悩の生活を流転して、その流転のなかにさまよっているということです。ある人は病気に苦しみ、ある人は辛苦にあえぎ、あるひとは生まれながらの宿命に悩まされています。またある人は、精神的悩みに煩悶し、ある人は家庭の不和等に、人生の悲哀を感じています。一件なんら悩みのないように見える人であっても、その人の心の奥底をさぐれば、他人に語れないような悩みに一人孤独を感じているものであります。これらの苦悩を三世の生命の流転、因果の理法のうえに説き明かし、さらにこれらの苦悩をば打開し、揺るぎなき人生の当体を確立する方途を説き明かしたのが、大聖人の仏法であります。
 「法華経の行者となりて」――法華経の行者とは、別しては末法の御本仏日蓮大聖人のことであり、総じては、大御本尊を信じ、実践する私ども学会員のことなのであります。「無始色心・本是理性」とは、私たちの生命は、無始以来、永遠に続いている当体であり、その生命の奥底に仏界という最も清浄な、力強い、尊厳なる大生命力が内包されているということであります。「妙境妙智」の妙境とは、不思議なる対境、すなわち、大御本尊のことであり、妙智とは信心のことです。したがって「妙境妙智」とは、信心を奮い起こして、大御本尊と境智冥合していくということであります。
 また「金剛不滅の仏身とならん事あにかの仏にかわるべきや」とは、大御本尊を信じ、境智冥合していくならば、無始以来、生命の奥底に内蔵されていた仏界が、わが身のうえに顕現し、わが当体が金剛不滅の仏身とあらわれるという御文なのであります。そして「金剛不滅の仏身」とは、環境にも支配されず、宿命にもしばられない、また何ものにも破壊されない絶対の幸福境涯をさすのであります。仏とは遠くにあるのではない。また、人間ばなれした特別の境地でも決してありません。
 また、仏法は権威主義ではなく、一切衆生の生命の奥底を開発し、すべて平等に成仏せしめる法であります。さらに、仏と衆生は、相対的にみるものではなく、仏は衆生を自分と平等の境地にすることに眼目があるのです。
7  「過去久遠五百塵点のそのかみ唯我一人教主釈尊とは我等衆生の事なり」の「過去久遠五百塵点のそのかみ」とは、久遠元初ということであり、久遠元初の教主釈尊は、日蓮大聖人の御事であります。すなわち、私ども大御本尊を信ずる衆生は、もったいなくも、日蓮大聖人とあらわれるとのご真意であります。第二十六世日寛上人も、大御本尊を信ずる者の生命に、日蓮大聖人の御血がこんこんと湧いてくるのだと仰せになっています。
 「法華経の一念三千の法門・常住此説法のふるまいなり」とは、一切衆生を成仏せしめることが、一念三千の法華経の哲理の究極であり、永遠不滅の哲理であり、また実践であるとの御文であります。再王、信心に約せば、大御本尊を信じ実践する者は、事の一念三千の当体とあらわれ、われらの肉団の本尊、仏界を湧現し、この現実の荒れ狂う社会にあって、太陽のごとく照り輝き、師子王のごとく悠々と、楽しく人生を生ききり、わが身自身が大御本尊の功徳を常住此説法することができるとの仰せなのであります。
 これこそ壮大なる人間性開発の究極の実体であり、機械文明を思う存分駆使しきっていく、揺るぎなき当体の確立の方途であると、私は叫びたいのであります。(拍手)
 思えば、生命ほど尊いものはなく、信心こそ、われらの最高の財産であります。
 この生命を最高に充実させ、力強い清浄なる人生を歩んでいくほど尊いことはない。名誉や地位に幻惑され、虚栄や権威にとらわれ、信心を失うようなことがあっては、断じてならない。これらは蜃気楼のごとく、砂上の楼閣のごとく、はかないものであります。有名の二字に酔いしれた人が、酔いからさめたあとは、ただ悲哀の人生しかない。権力に頼る人が、権力を取り去られたあとには、畜生のごとき、みじめな一個の人間をみるものであります。金力に頼り、それですべてを解決しようとする人は、その金力が崩壊し去ったあとは、餓鬼道の苦しみが待っておりましょう。栄枯盛衰は、人の世の常であります。有名の二字よりも、権力、金力よりも、もっと強いものは信心ではないでしょうか。私どもは真実の人間性尊重の先覚者として、ダイヤモンドのごとく光り輝く人生を、ともどもに送ってまいろうではありませんか。(拍手)
8  ここで、座談会について申し上げたい。創価学会の座談会には、誰でも出席できるし、どんなことでも話せます。一切が形式ぬきで自由であります。創価学会が最も開放的で、自由で、民衆の一人一人によって支えられている唯一の団体であるとの証明であるばかりではなく、日本に生まれた唯一の民主運動であり、正しい民主主義の基盤であると、信じております。人々が寄り集まって、なんら気兼ねすることなく、自分の悩みや喜びを語り、全員がそれを自分のことのように喜び、共に考え、励ましあっていく。そこに涙があり、笑いがあり、人間性の発露があります。ちょうど、気兼ねなく、楽しみ、笑い、泣くことができる酒場に、しぜんと人が集まってくるのと同じことです。たとえば、イギリスにおいては“パブ”と呼ばれる民衆の酒場があります。これはイギリスの民主主義を支える陰の力となってきたといわれております。ただ、集まって話し合うだけであっては、たんなる娯楽、うさばらしにすぎない。そこに、仏法、信心という画竜点睛があって、悩みを解決し、そこに集まった人々が希望に満ちて、あすの人生、家庭、社会の建設に進んでいける源泉がある座談会ほど尊いものはないと思うのであります。座談会こそ、一切の学会活動の土台であり、一切の王仏冥合の前進の原動力であります。それがまた、個人の仏道修行の道場であり、しかも、あすの学会を築く偉大なる源泉であることを、お互いに再確認しあって、明るく、楽しい、活気にあふれた座談会を、全国津々浦々に展開し、力強く、また折伏戦を進めていっていただきたい。(拍手)
9  来年の参院戦には、東北ならびに北海道の同志の堅い団結によって大勝利を収めていただきたい。また、次の衆院選においては、宮城一区、青森一区、秋田一区、福島一区から、皆さんの代表を推薦すればどうかと提案しますけれども、いかがでしょうか。(大拍手)公明党は大衆政党であり、皆さんの党であります。そして公明党議員は、あくまでも民衆の公僕として、大衆の幸せのために働いてもらうことが、私の念願であります。そして皆さんのお子さんや、お孫さんが、やがて、逞しく、広宣流布、王仏冥合総仕上げのヒノキ舞台に立って活躍する時代を築くための土台づくりをしてもらうという気持ちで、応援してください。(拍手)
 東北は全国的な水準に比べ、産業開発は最も遅れ、主要産業である農業は毎年のように冷害等に脅かされています。その根本の原因は、誤った宗教や低級な迷信が因習化して、根強く浸透していることにありましょうが、やはり日本の政治の歪みにあると、断ぜざるをえないのであります。冷酷な無慈悲な高度成長政策のために農村対策は無視され、犠牲になってきています。これを正しくしていくためには、どうしても慈悲を根底とした、王仏冥合の新社会建設の政治を、実現する以外には絶対にないといいたい。(拍手)また、国土の総合的な開発を、広い視野に立ち、圧力に左右されることなく、実践していける力強い中道政治が出現し、飛躍していかなければならない。どうか、皆さん方の幸福、東北の地の繁栄のために、力を合わせて、明るく勇敢に、新しい民衆の勝利を収めていくのであるという信念をもって進んでいってください。
10  最後に申し上げたいことは、どうか、くれぐれも体を大事にしてください。交通事故などで一人も犠牲者があってはならない。大切な生命を、大事にしていっていただきたいのであります。常に常識豊かな、道理正しい信心即生活の実証を示しつつ立派な社会人として、振舞っていっていただきたい。
 学会活動、宿命転換の信心は、真剣でなくてはなりませんけれども、伸びのびと楽しくやっていただきたい。たまには、お子さんと共に温泉や海水浴に行ったり、ピクニックやドライブなどに行きながら、自らの使命を果していっていただきたいのであります。なお、鉄筋四階建ての東北文化会館は、本部を兼ねて、来年四月、起工式をする予定になっておりますことをお伝えしておきます。(拍手)
 では、東北の皆さんのご多幸を願って、私の話を終わられていただきます。(拍手)

1
1