Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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中部本部幹部大会 広布の堅塁・中部を築け

1967.7.10 「池田大作全集」第3巻

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1  会長就任七周年の総会を、五月三日に終え、早くも創価学会は、次の法戦へ順調にスタートを切ることができました。これはすべて、皆さん方の心からのご支援のたまものと、深く感謝の意を表するものであります。(拍手)総会を終えて、いままでのお礼と、これからの戦いに対する激励とをかねて、まず関西へ行きました。そして昨日は九州を回り、引き続いて、本日は中部の地です。これからの中部の地は、あらゆる意味で、大きい未来性を含んだ重要な拠点であることは間違いないと思って、特に激励にまいったしだいであります。
2  中部は、大御本尊おわします最重要の国土世間であります。ゆえに日本の中心であるのみならず、仏法上、世界の中心であるといっても過言ではない。毎年の講習会、また本年の十月の正本堂建立発願式には、たくさんの海外の同志が、世界の各地から総本山へやってまいります。さらに五年後の正本堂完成の時には、幾万人にものぼる海外の同志が登山する予定になっております。世界広布の推進にともなって「三国並に一閻浮提の人・懺悔滅罪の戒法のみならず大梵天王・帝釈等も来下してふみ給うべき戒壇なり」と仰せの、三大秘法抄の御金言どおり、東南アジア、アメリカ、ヨーロッパ、豪州の同志が、全世界のあらゆる民衆が、そしてまたあらゆる階層の指導者たちが、集まってくることは、まぎれもない事実であります。その世界の聖地が、総本山であります。そのときには、中部の全域が、大御本尊のおひざ元の地となることは、当然なことでありましょう。そのためにも、私は中部の地こそ、最も模範的な王仏冥合、広宣流布の仏国土でなければならないと考えるのであります。ゆえに、最高に重視し、尊んでまいります。その意味で「広布の堅塁・中部たれ」と旗印として、進んでいったならばどうかと、私は訴えたいのであります。(大拍手)
3  中部発展の歴史からみても、いちじるしい前進の足跡がみられます。この七年間で支部数は、四支部(愛知三、岐阜一、三重ゼロ)から二百五十七支部(愛知百六十七、岐阜五十四、三重三十六)へ。理事もゼロから四十四人(愛知三十一、岐阜九、三重四)へ。大幹部も十九人(愛知十四、岐阜四、三重一)から千四百七十人(愛知が九百八十九、岐阜二百七十七、三重二百四)へと飛躍的な前進を遂げております。この体制で、さらに次の七年間も、名実共に広布の堅塁を、中部の地に築いていっていただきたい。そこで、先日の本部総会で申し上げた理事三千人、大幹部十万人の構想にもとづき、七年後までには、愛知、岐阜、三重の三県だけで、理事百五十人、大幹部五千人の陣営を整えていただきたいと提案しますが、いかがでありましょうか。(拍手)
 日本の王仏冥合、世界の広宣流布といっても、詮ずるところは、いま申し上げた因縁のうえから考えても、この中部が画竜点睛となります。したがって、中部こそ最も肝心要であるという襟度をもって、堅いスクラムを組んで進んでいっていただきたい。二祖日興上人が指揮をとられ、大折伏を展開なされたのも、この地であります。また、大御本尊のご図顕の機縁となった熱原本難が起きたのも、この中部です。江戸時代、尾張法難にあって、莞爾として信心を貫いたのも皆さん方の先輩であります。ゆえに中部には、これだけの偉大な強信の伝統があるとを再発見し、自覚して、その大先輩に勝るとも劣らない、勇敢な力強い信心を一生涯貫き通していっていただきたいのであります。(拍手)
4  いま、わが国の現状をみるとき、日本経済の発展は、世界の注目を浴びています。先日の総会でも、申し上げましたが、アメリカでも専門家は、二十一世紀には日本が一人あたりの国民所得で世界一になるだろうと予想している人もおります。イギリスなども、盛んに日本を見習えといっているそうです。その日本の経済、産業のヒノキ舞台として登場しているのが、中部の東海道沿線の地であります。交通網の面からみても、東海道新幹線、東海道本線、中央本線、関西本線などの鉄道に加えて、名神高速道路、東名高速道路、中央高速道路などの幹線自動車道路が整えられ、すべてこれからの日本の産業、経済を担っていく中心地となることは、間違いありません。中部とは、中心部ということです。まさに現実問題として、日本の中心であり、世界の中心となるわけであります。
 だがこうした産業の発達、交通量の激増にしたがって、幾多の犠牲が生じていることもたしかであります。たとえば、四日市における公害の問題は、その代表的なものといえましょう。また、交通事故の最も多いのも、トラック輸送の大動脈となっている東海道だといわれております。このような近代文明の発達にともなう犠牲をくいとめ、真に幸福な社会、安定した平和な国土を築くためには、どうしても、慈悲を根底とした王仏冥合の政治が確立される以外にはないと私は訴えたいのであります。(拍手)
 こうした産業の発達にともなう、公害問題に対して、誰が真剣に考えているか。既成の政党はどこも本気で取り組んでおりません。政治資金をもらえなくなるから、資本家が恐ろしいのか。労働者の票がなくなるから、労働組合が、こわいのであろうか。このように、人命の尊重とい正義を堂々と貫くだけの勇気がないのが既成政党の実情であります。これは、皆さん方のほうが、よくご存じのとおりであります。これらの諸問題を根本的に解決していくために勇気をもって、毅然と実践しきっていく唯一の政党こそ、公明党であると、私は信ずるのであります。(大拍手)
5  いまは、下火になりましたけれども、公明党の衆院進出に対して、評論家がずいぶん無認識の批判をしていました。彼らは有名人であり、学者でありながら、実は、公明党の本質を知らず、公明党の政策もあまり読まずして、偏見に満ちた批判をしていた。そのなかで共通していっていることは、公明党の中道政治とは、どういう政策をいうのか、政策不足ではないか等々です。もとより公明党には、立派な政策があります。政策集を見せると「なんだ、こんな立派なものがあったのか」と驚いているしまつであります。あくまでも、彼らの研究不足であることはいうまでもありませんが、私はその根底に最も大きい問題があると思う。それは、表面の政策が、他党に似ていようが、いまいが、最も大切なことは、人命を守っていく正義感であり、いかなる圧力や干渉も恐れない勇気であり、おのれの信ずるところをまっしぐらに進んでいく信念であるといいたい。(拍手)それをもっているのが、公明党であり、そこにこそ他の政党との根本的な違いがあると、私はいっておきたいのであります。
 名古屋には百メートル道路があり、これは東京都民の羨望の的となっております。この道路は、終戦直後、一面焼け野原になった名古屋を再建するときに、当時の市長が英断を下し、あらゆる反対を押し切って造ったと聞いております。正しい信念にもとづいた政治が、後世になってどれほど光り輝いているかという一つの実例であると、私は感心しております。また、ある新聞によると、兵庫県・明石では、昭和五年に造った歩行者用の横断地下道があるそうです。ちょうど小学校の前を通る国道の下に造ったというのですが、もちろん当時は自動車も少なく、そのような地下道が役に立つ時代がくるとは、誰も想像しなかった。そういうなかで、一人の父兄が熱心に主張して、ついに市当局を動かし、造ったというのです。いま、その国道は自動車のラッシュの時代になったけれど、この地下道のおかげで一人の犠牲者も出していない。地元の人々はいまさらのごとく、その先覚者の賢明さに驚きもし、感謝もしているそうであります。
 これは、一人の市民の先見の明と、確固たる信念が後世に偉大な恩恵を与えている一例にすぎません。政治家とは、基本的には、こうした先見の明と、信念をもった人でなければならない。明るい希望に満ちた未来は、そういう政治家が出て、民衆のため、大衆福祉のため、個人の幸福と社会の繁栄の一致のために、活躍してもらう以外に、絶対につくりあげることはできないと思う。そのためには、われわれの手で、公明党を躍進させていく以外にはない。そして王仏冥合を必ず実現していくことであります。それが仏国土建設になり、子孫末代にわたって社会を大繁栄させる近道であると、私は確信するのであります。(拍手)
 来年の参院選には、中部も鉄の団結で、見事な勝利の栄冠を飾ってください。そして広布の堅塁を守りきっていただきたい。また、次の衆院選に対しても、愛知一区・六区、静岡一区・二区、岐阜一区、三重一区、長野三区、新潟三区と、この中部関係から、八人ぐらいを出してはどうかと、提案申し上げておきます。(大拍手)さらに、公明党大会では、十年後には第二党の地位を確保すると宣言しました。どうか、この決意、心意気だけは受け継いでいただきたい。結党以来、まだわずかな年月しか経ていない若き政党であります。私どもは、心から激励もし、声援もし、見守ってあげようではありませんか。(拍手)
6  ヨーロッパ連合の主唱者であり、今日のEECの構想の源流をつくったクーデンホーフ・カレルギーは、平和主義という問題について、次のように述べています。
 この論理も多少偏見があるとは思いますが、有名哲学者の一つの論理として申し上げたい。すなわち「平和には、宗教的平和主義と、政治的平和主義がある。そして、政治的平和主義こそ真の平和を実現する道である。宗教的平和主義では、平和を達成することはできない。平和主義の最大の敵は、平和主義である」という意味のことであります。この「平和主義の最大の敵は、平和主義である」とは、平和をカンバンにした学者とか、平和運動を商売にしている人々を指摘しているのです。また「宗教の平和主義では、平和を達成することはできない」というその宗教とは、キリスト教をさしてるのであります。これをさらに深く仏法の定理に照らし、その矛盾、偏見、誤りを根本的に破されたのが、日蓮大聖人の立正安国論であるわけであります。
 戸田前会長も、有名な原水爆宣言のなかで、平和運動の背景にある悪魔のツメをもぎとらなければならないと強く叫ばれました。低級宗教では、平和が実現できないということは、さきの哲学者がいうごとく、過去の歴史が立派に証明しております。生きた偉大な大仏法を根底とした王仏冥合が、最も正しい平和実現の定義であるということも、おのずからわかってくるわけであります。誤れる宗教、思想をもったものが、いかに平和主義を装おうが、結局は仏の姿に似た魔物にすぎない。彼らが活動すればするほど、災難も多いだろうし、世界が結局は戦乱の渦と化していくことも、明々白々たる事実であります。この立正安国の精神に立って、敢然と魔軍との戦いを開始したのが、仏の軍勢であるわが創価学会であります。ゆえに、折伏こそ平和を脅かす魔軍を根底的に粉砕する、崇高な法戦であることを、確信していただきたいのであります。(拍手)
 カレルギーのいうように、平和達成のためには、欺瞞に満ちた宗教的平和主義は有害無益であり、政治的平和主義が必要であることは事実でありましょう。だが、政治的平和主義のみでは、今度は、一時的、局部的な平和は達成できても、恒久的な平和は絶対に実現できない。したがって、折伏によって、人間生命の内奥にある魔性を打ち破りつつ、そこにカレルギーのいう政治的平和主義を兼ね備えてこそ、初めて恒久平和実現への基盤が確立されるのです。これが王仏冥合というのであります。ゆえに、われわれの王仏冥合の実現こそ、最も、時代の先端をいき、末法万年尽未来際を救う道理にかなった、そして、根底的な平和実現の道であるということを強く確信していただきたいのであります。政治面の活動は、今後も、ますます盛んになっていくでありましょう。そしてまた、公明党が大きく飛躍することも間違いないと思います。だが、広宣流布、王仏冥合を達成する主体は、あくまでも、創価学会であるということを、永久に忘れないでいただきたいのであります。(拍手)
7  また私は、公明党がどんなに発展しようが、それを問題としているのではありません。公明党を誕生させ、育成しているのも、ただひたすら日本の国の安泰を願い、世界の平和を願ってのことであり、それ以外の何ものでもありません。また私の最大の喜びは、同志の皆さんが大功徳をうけて、幸福に満ちみちた生活をしていくことであり、そして、皆さん方の子孫が広布の人材とし、社会の指導者として逞しく成長することなのであります。(拍手)毀誉褒貶など、また、いかなる批判の嵐も恐れておりません。私は同志の皆さん方を守りきるために、一人の退転者もなく仏道修行を成就するために戦います。そして、また、大聖人の仏法を、創価学会の精神を、微塵もあやまちなく、清らかに伝えるために一切の基盤をつくっていることにほかならない。私は、そのために、日夜皆さん方に題目を送っております。それが、創価学会会長の本質的な精神であるということを、知っていただきたいのであります。(拍手)
 学会がこれだけ大きくなると、一人一人にお会いすることは、不可能に近い。だが、この私の心を知って、日夜題目を唱え、王仏冥合のために戦っている人は、すでに私と会っているのと同じであります。同志とは同じ志に立つということであります。その人こそ、私の最も尊敬する、心と心の通じあった同志であります。(拍手)その人の人間としての価値は、役職によって決まるものではない。まじめに信心し、自己の使命を全うし、己心の妙法を湧現し、人間革命し、宿命転換していく人が、最も尊い人であり、勝利の人生を開いている人であると私はいいたいのであります。(拍手)
 妙法の眷属であれば、上げ潮のごとく福運がついてまいります。いかなる立ち場の人であっても、見せかけの信心であり、名聞名利にとらわれるならば、魔の眷属となり、引き潮のごとく、福運が消滅していくでありましょう。いかに地味な活動であろうが、どんな境遇の実践であろうが、まじめに、純粋に、水の流れるごとく、信心を貫き通した人が、大聖人のご称賛にあうということを知っていただきたい。(拍手)また、大聖人の、学会本部の指導どおりの信心、実践でいく人は、真実の大聖人の弟子であり、創価学会の宝であります。したがって、いよいよ求道心を旺盛に、受動的な信心ではなく、能動的な信心に立っていただきたい。
8  御義口伝に勧持品の「作師子吼」との文を依義判文されていわく「師子吼とは仏の説なり説法とは法華別しては南無妙法蓮華経なり、師とは師匠授くる所の妙法子とは弟子受くる所の妙法・吼とは師弟共に唱うる所の音声なり作とはおこすと読むなり、末法にして南無妙法蓮華経をおこすなり」と。「説法とは法華別しては南無妙法蓮華経なり」とは、種脱相対の御文であります。すなわち、説法とは総じては法華経をさします。しかし別しては末法の法華経たる三大秘法の南無妙法蓮華経をさすのであります。すなわち、南無妙法蓮華経の説法が、最高の説法であり、師子吼であるとの仰せであります。
 次に、師匠の師とは、日蓮大聖人の御事であります。「授くる所の妙法」とは、大御本尊のことです。すなわち人法一箇を示されている御金言であります。「子とは弟子」とは、大御本尊を信ずる者のことであり「受くる所の妙法」とは、信心で受ける所の妙法、すなわち三大秘法の御本尊を信じて、わが己心に妙法を湧現していくということであります。「吼とは師弟共に唱うる所の音声なり」とは師弟不二をあらわしています。また、大御本尊に直結し、日蓮大聖人の仰せのままに、振舞えることが最も力強いことであるというご真意であります。百獣の王であり獅子が一度吠えると、他の獣類はすべて従うがごとく、師弟不二の信心を貫いていくならば、何ものにも支配されることなく、悠々と自在の行動をしきっていくことができるとの御金言であります。
 私どもは、いかなる三障四魔が前途に立ちはだかろうとも、この確信、決心で、悠々と打ち破り、師子王のごとく、生涯を乱舞していこうではありませんか。(拍手)また「作とはおこすと読むなり、末法にして南無妙法蓮華経を作すなり」とは、信心は受動であってはいけない。能動でなくてはならないということであります。広宣流布も他の人が戦うのを待つのであってはいけない。自らおこしていくとの御金言であります。かつて戸田前会長は「青年よ、一人立て」と呼号されました。これはまず第一歩は、自ら進んで実践していくとの方程式です。自分が実践せずして他人にやらせようというのは、卑怯という以外にはありません。自ら、自覚と責任をもち、核を作っていくとき、それがしだいに全体へと広がっていくのです。
 中部の人は、これまで保守的であり、またのんびりしているといわれてきました。だが、それは裏を返せば、堅実であり、誠実であるということであります。すなわち、皆さん方は、そのままの性格、そのままの姿でけっこうでよい。また、信心だけは遠慮があってはいけません。中部の皆さん方は能動的な信心に立ち、大きく目的観を開き、信心の名将として、全員が楽しく、和気あいあいと進んでいけるような、賢明な指揮をとっていただきたい。そして、この七年間、皆さんが中心となって、広宣流布のさらに大きな波動を、全国に巻き起こしていっていただきたいと思うのであります。(拍手)
9  最後に、四条金吾殿御返事にいわく「真実一切衆生・色心の留難を止むる秘術は唯南無妙法蓮華経なり」と。すなわち、題目こそ一切衆生の留難を止むる根本の秘術であるというご聖訓であります。題目を真剣に唱えていけば、生命力がまず湧現してきます。それによって、色法も心法も共に健全になっていくのです。したがって、病気を克服していくことができるし、事故も未然に防いでいけるとの原理であります。無価値な、惰性的な生活に終始し、健康を害したり、事故を起こしたりする人は、決して真実の信心を貫いているとはいえません。むしろ謗法となります。
 心豊かに題目をあげ、すがすがしい日々の人生を送ってください。この題目が一切の生活の根本であります。そのうえに、よく睡眠をとっていただきたい。そして、生活のうえに、道理正しいリズムをつくっていくのが妙法の信心であるということを忘れないでいただきたい。さる二月に起工式を行ないました名古屋文化会館も、来春には竣工する予定です。名古屋城とは、堀一つ隔てたところで、文化のかおりも高い絶好の地にあり、交通の便もよい。その完成を楽しみに、さらに、朗らかに、元気に前進してください。
 中部の皆さん方のご健康とご健闘とを心からお祈り申し上げまして、私の話を終わらせていただきます。(拍手)

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