Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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御書講義録編纂委員会 令法久住のため作成

1967.2.8 「池田大作全集」第3巻

前後
1  御書講義録編纂のことについては、本年の「躍進の年」の意義として、年頭にも特に表だっては述べておりません。しかし、恒久的な令法久住という仏法の根本義からみれば、講義録編纂こそ、地味ではあるが、最高に「躍進」の意義を含んでいることを自覚されたい。諸君は若き地涌の菩薩とし、若き舎利弗として、末法万年のために、令法久住のために、一世一代の英知を発揮し、信心を根本として、この講義録を完璧に完成していっていただきたいと思うのであります。
 大聖人の御書「華果成就御書」――別名、華果成就御書ともいいますが、その御書の終わりの段に次のような一節があります。
 「日蓮が法華経を弘むる功徳は必ず道善房の身に帰すべしあらたうとたうと、よき弟子をもつときんば師弟・仏果にいたり・あしき弟子をたくはひぬれば師弟・地獄にをつといへり、師弟相違せばなに事も成べからずくわしくは又又申すべく候
 これは一往は、清澄寺における最初の師匠であった道善房に追善供養し、妙法の功徳を回向するという大聖人の慈悲であります。しかし再往は、非常に深い師弟不二の原理を説かれているのです。「日蓮が法華経を弘むる功徳は必ず道善房の身に帰すべしあらたうとたうと」――大聖人は御本仏ですから、当然その功徳は全衆生に帰していきます。そしていま、大聖人の弟子である私どもが、南無妙法蓮華経を弘めていく功徳も偉大な功徳であり福運であります。
 「よき弟子をもつときんば師弟・仏果にいたり」――大聖人の本当のご精神、信心の血脈を受け継ぎ、ご遺命達成に邁進する勇敢な弟子であるならば、師弟共に仏果にいたることは絶対に間違いない。日蓮正宗創価学会も、大発展を遂げ、多角的な活動を展開するようになった。そのときにあたって、信心の根幹であり、最も肝心の経文である御書の講義録を編纂していくこと、またその偉業にたずさわる資格を与えられたことは、弟子のなかでも、最もよき弟子であり、正しい弟子であると自覚し、その決心で編纂にあたっていくべきだと思う。
2  「あしき弟子をたくはひぬれば師弟・地獄にをつといへり」――「あしき弟子」になってはならない。悪い弟子がいくら多数集まり、どのような活動をしようが、結局は師匠を苦しめ、地獄に落ちるだけです。幸いにして、私どもは、折伏の師匠である戸田前会長を師匠と仰ぎ、弟子として、大聖人の正しい仏法を研鑽することができ、実践することができた。さらに、大聖人の遺命である王仏冥合という崇高な大道に、まっしぐらに進んでいくことができた。いかなる時代がこようが、この師弟不二によって王仏冥合は達成されていくのであります。その原理を知らない人は、いかに弟子であるといっても、師弟不二でないがゆえに地獄に落ちてしまう。これもまた厳しい御金言であります。したがって、その大聖人の経文を、後世に間違いなく伝えきり、実践できるよう編纂をしていく諸君であるがゆえに、重大な使命を自覚してもらいたいのであります。弟子か立派であることは、師匠も立派であったということです。弟子は師匠以上の弟子にならなくてはなりません。「あしき弟子」を出すような和合僧であってはならない。またそういう信心のない諸君であってもならない。もしそうなれば非常に恐ろしいことです。私はそういう人が一人もいないことを確信したい。
 「師弟相違せばなに事も成べからず委くは又又申すべく候」――師弟相違してはならない。大聖人の経文どおりの信心を貫き通していただきたい。大聖人の御書を、そのまま正しく解釈し、実践しているのは、いうまでもなく日蓮正宗です。それをまた、最も正しく実践しているのは創価学会であることも、大確信をもっていうことができます。師弟相違せずとは、戸田前会長の指導どおり、代々の会長の信心に境智冥合していくことです。信心の琴線にふれないで仏法の真髄がつかめるはずがありません。この師弟不二の精神が貫かれるところ、信心の血脈があり令法久住があるのです。
 したがって諸君は、令法久住のために、師弟不二の信心に立ったうえでの講義録の編纂であっていただきたい。これが私のお願いであります。「師弟相違せばなに事も成べからず」の御文は、きわめて重大であり、これに信心の究極は尽きます。
 この「師弟相違」の四字をよくよく肝に銘じて進んでいっていただきたい。

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