Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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初登山・大幹部会 栄光に満つ「躍進の年」

1967.1.2 「池田大作全集」第3巻

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1  昨年度は皆さん方には、大変にご苦労を願いました。しかし、私たちは、日蓮大聖人の直弟子として、大聖人のご遺命達成のために、地涌の菩薩の誇りをもって、本年もまた前進しなくてはならない。したがって、今年も皆さん方に、大変にご尽力いただくことになります。どうか、体を大事にして、伸びのびと、心に余裕をもって、逞しく、私と共に前進していただきたいのであります。(拍手)
 本年は、立宗七百十五年であります。創価学会の本年の合い言葉は「躍進の年」といたしました。いままで学会は、掲げた目標や、宣言したことは全部実現し、言行一致で進んでまいりました。これからも、当然そうでなければならない。ところで、学会が「躍進の年」と銘打ったことが影響したのかどうか、それはわかりませんが、保守党も本年は「躍進の年」といっております。革新派も「躍進の年」と銘打って進んでおります。なかには「わが党は大躍進の年」だといっているところもあります。(笑い)
 本日、全信徒を代表して、猊下にお目通りいたしました。そのときに猊下より、創価学会に対し「源遠長流」という揮毫をちょうだいいたしました。「源遠ければ流れ長し」という日蓮大聖人の御金言であります。「源遠」とは何か、これは申すまでもなく三大秘法の大御本尊であります。「長流」とは何か、これは、折伏であり、選挙であり、文化活動であり、すなわち、宗教革命、文化革命、教育革命、政治革命であり、総じては理想社会の建設を意味します。「源遠」がなかったならば「長流」はない。したがって、この御金言どおり、三大秘法の御本尊を「源遠」としたところに、初めて、名実ともの大躍進がなされると、私は信ずるものであります。(拍手)
2  本年、第一番目の戦いは衆院選であり、これは、王仏冥合の本格的な開幕であります。この開幕をば、立派に勝利で飾っていきたい。因果倶時の原理からいっても、今回の衆院選の戦いによって、将来が大きく開け、また変わっていくことは道理であります。衆院選における公明党の勝利こそ、日本の進路を決定し、さらに大きくいえば、世界の動向を決していく、第一歩となる快挙であります。したがって、この衆院選こそ、私は「躍進の年」の第一の意義でなくてはならないと思う。
 なお、きょう、あらあら申し上げておきたいのは、公明党はいままで参議院が主軸となっておりました。しかし、衆議院に進出した場合には、その主軸を、漸次、衆議院のほうへ移していく。今回の衆議院候補のなかには、戸田前会長の薫陶をうけ、また地方議会で訓練をうけ、勉強し、実践してきた多数の同志がおります。もし、衆議院に出れば、必ず民衆の要望に応えた、すがすがしい、見事な戦いをしていくことは間違いないと、堅く信じております。(拍手)それに続く第二陣、第三陣の人材も、いま育ちつつあり、王仏冥合を達成する公明党の将来は磐石の構えであり、その基盤は確立しております。すなわち、漸次、見識において、技術において、力において、政治に堪能な人を、幹部のなかから抜てきし、議員に推薦していくのがしぜんであり、そして学会の首脳は信心一本で進むのが正しいと考えるしだいです。したがって、やがては理事長、総務、また特別の副理事長は、国会議員をやめ、創価学会のなかにあって、信心一本に活躍していくのが正しい行き方であると思います。(拍手)
 最も大事なのは母体である創価学会です。母体が弱体化したならば、健全なる人材が育つわけがありません。創価学会は、立派な政治を実現する大地であります。同時に、経済、教育、文化、その他あらゆる面における、理想社会建設のための大地であり土壌です。したがって、創価学会は、その前進のために、深く、幅広い体制で、純粋なる信心一本で貫き通していきたい。それでこそ、後輩を大きく成長させながら、前進していくことができます。私は常々このように思索してまいったのですが、皆さんのご意見はいかがでしょうか。(大拍手)
 母体は、すでに完全にできあがっています。しかし、さらに強固な組織を確立していかなくては広宣流布はできない。ところが逆に、創価学会という和合僧の母体をば破壊し、濁らしていく人があるとするならば、その人はもはや阿闍世王です。地涌の菩薩の襟度をもち、王仏冥合のために、広宣流布のために進んでいく議員は、絶対にそのようなことがあってはならない。阿闍世王をそそのかし「王を殺せ、母を殺せ」といったのは提婆達多であります。すなわち、魔の働きになってしまうか否かが、これからのわれわれの前途の重大な問題です。創価学会の方向を、信心のうえから正しく決定づけ、総本山を外護し、純粋無垢にして、永遠に栄えていく和合僧の指揮は、私がとってまいります。その意味におきまして、どうか、その原則論を、皆さん方は、よく理解していただきたいのであります。
3  さて「躍進の年」にちなんで、第二に意義づけられるものは、事実上の本門の戒壇にあたる正本堂の建立発願式であります。一閻浮提総与の大御本尊をおしたためになられた十月十二日の佳き日に建立発願式を行なう予定です。これこそ、仏法史上、空前の壮挙であり、宗門全体にとっても、信徒全体にとっても、大躍進をしていく実相であります。日達上人猊下が第六十六世であられますので、それに意義づけまして、正本堂の高さは六十六メートルといたしました。それと同じ意義を含めまして、建立発願式の時には、六千六百人の全国信徒代表が参加して、盛大に行ないたいと思います。(拍手)なお、新年を迎える創価学会の最高陣営である理事室も、六百六十六人となっております。
4  「躍進の年」の第三番目の意義は、折伏であります。政治面で、公明党が花々しい活動をしておりますけれども、広宣流布という深い広い戦いにおいては、最も大事なことは折伏であります。少しばかり公明党がクローズアップされたからといって、それでもう広宣流布が成就したつもりで、革命精神を忘れ、折伏精神を忘れるようなことがあったとしたら、もはや退転であり、断じてそのような錯覚をしてはならない。
 昨年の暮れには、昭和四十六年までの目標であった六百万世帯が達成されました。私の意向としては、皆さん方にあまり苦労をさせたくない。また一人も退転者が出ないように、悠々と、確実に進んでいただきたいと思う。しかし、そのために、全面的に折伏を中止するということは、大聖人の御金言に反してしまうことになります。したがって、本年は、確実に、楽しみながら、年間実質六十万世帯の折伏を行なってはどうかと、最高幹部の話し合いで一致をみております。いままでの例からみて、六十万世帯は、悠々と突破できうることは間違いありません。
 一月の本部幹部会、または二月の本部幹部会を第一回とし、ついで第二回目は五月の本部総会、これを期しまして、組織の大拡充の発表をいたします。創価学会始まって以来の組織の拡充であり、人材の抜てきを行なう構想をすでに練っております。大幹部の皆さん方は、いつその発表があっても対応できるよう、しっかりと人材を見きわめ、育てておいていただきたいのであります。支部は約三千支部にする目標でおります。男女青年部は、それぞれ三千部隊以上の体制になっていく予定です。学会には、青年部、学生部、高等部が、続々と広宣流布の人材として成長しています。これは世界のどこにも類例をみない姿であると確信します。(拍手)これこそ学会が常に若々しく、隆々と発展していく証拠であり、最も力強く頼もしい躍進の姿であると私は訴えたい。
5  第四番目には、文化面におきまして、本年はいちじるしい発展を図っていく決心であります。わが創価学会からみるならば、また広宣流布という大目的に立つならば、創価学会を大地として、教育面、文化面、その他あらゆる面に、見事な花を咲かせていかなければならない。創価学会イコール公明党といったような、そんな狭量な考えであってはならない。政治だけが学会の活動分野ではない。社会のすべての面を革新しきっていく決意がなかったならば、最高の正法を根底にした文化国家は建設できない。第三文明の開花はないと叫びたいがどうでしょうか。(拍手)この夏までには、東京に待望の創価文化会館が落成します。また、大阪と岡山にも、文化活動の中枢として、文化会館があいついで落成します。さらに、本年は名古屋においても、文化会館の起工式を行なう予定になっております。続いて秋には、国立競技場において、伝統の大文化祭を開催する計画があり、この間、文化局各部の、質量共の充実を図っていく念願でおります。これまた第三文明建設への大いなる躍進と確信します。
6  第五番目に、本年末に創価高等学校、同中学校が落成します。これこそ、混迷せる教育界に黎明を告げるものであり、牧口初代会長以来の念願を実現することになります。やがて創価大学の建設も開始する決心でおります。本年の創価高等学校・中学校の落成が、やがて創価大学を設立する基盤となり、学会の未来にとって、否、日本の将来、世界の将来にとって、真実の平和の使徒を、世界の指導者を育成していく出発となることは明らかです。これこそ喜ばしい躍進であると私はいいたい。(拍手)
 広宣流布の大事な一ページを印するこの一年。これらの偉業が成功するか否かは、最高幹部である皆さん方の信心と努力に待つ以外にはない。また同志の固い団結と努力以外には絶対に実現できるわけがない。この目標の遂行のために、よろしく本年も努力していただきたいことをお願い申し上げるしだいです。(拍手)
7  祈祷経送状の一節にいわく「法華経の行者は信心に退転無く身に詐親無く・一切法華経に其の身を任せて金言の如く修行せば、慥に後生は申すに及ばず今生も息災延命にして勝妙の大果報を得・広宣流布大願をも成就す可きなり」と。
 「法華経の行者」とは、大聖人のただ一つのご遺命である王仏冥合実現のために、実践している人とも拝することができます。「信心に退転なく」――進まざるを退転といい疑わざるを信という。この原理にもとづいて、偉大なる目標に向かって、日々、月々、年々に前進しきっていく者が退転のない身であるといえると思う。そして「身に詐親無く」――すなわちその行動が、仏法の鏡に照らして、微塵もウソいつわりがない。大聖人の御金言のままに広宣流布実現に真剣に戦っている、すなわち信行を実践しきっている、この人こそ、現当二世にわたって絶対の幸福境涯を具現する人である――との御金言であります。最後の「勝妙の大果報」の勝妙とは、勝る妙であります。「勝妙の大果報」とは、日本一の幸福者である、世界一の幸福者であるという意味であります。それは、信心根底に、妙法の光りが輝きわたっている人生を生ききっていく、わが身も幸せであり、人々をも幸福にしていくという、その光り輝いた生命の意味であります。これは、人間革命の究極であり、同時に人間革命の出発であります。
8  これらの人々の実践があって初めて、広宣流布、王仏冥合の大願も成就できることは、絶対に疑いないと、大聖人は申されているのであります。功名心にとらわれて信心を第二とし、名聞だけにとらわれて、御本尊、そして学会を従と考え、自分の出世だけを夢みて、学会を利用していくということは「身に詐親」がある証拠です。そのような人に勝妙の果報はありません。さらには広宣流布も成就できえないのであります。
 法華経の行者は信心に退転なく、身に詐親なく、一切、法華経に、御本尊にその身を任せきるのです。いま、御本尊の力を具現し、実践しているのは、日蓮正宗創価学会です。したがって、学会にその身を任せる以外にはありません。
 そして「金言の如く修行せば」――大聖人の仰せどおり実践すれば「慥に」――必ず「後世は申すに及ばず今生も息災延命にして勝妙の大果報を得」ることができます。その人間革命の信心があるならば「広宣流布大願をも成就す可きなり」と仰せであります。
 この祈祷経送状の御書を身に体して、それぞれの立ち場で、境遇で、伸びのびと、明るく、堂々と指揮をとって戦い、そしてまた大御本尊のもと、総本山に、喜び勇んで集まろうではありませんか。(拍手)これを繰り返しつつ、一生を送ってまいりましょう。
 なにとぞ、きょうお目にかかれなかった後輩の同志の方々にも、くれぐれも、体を大事に、事故のないようにとお伝えください。また、常識豊かに、信心は水の流れるごとく、一年ごとに強く、また一年ごとに功徳あふれる幸福な家庭の実相を示すように、お話し願いたいと思います。そのために、私たち大幹部は、真剣に後輩を擁護し、包容してまいりたいということを、合わせてご伝言くだされば幸甚です。
 大幹部の皆さん方のご健康とご健闘とを心からお祈り申し上げまして、年頭の挨拶といたします。

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