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日蓮大聖人・池田大作

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支部旗返還授与式 学会幹部は責任職

1966.11.27 「池田大作全集」第3巻

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1  本日面接の方々は、昨日来の人事委員会の審議の結果、全員、大幹部として任命されることに決定いたしました。大変おめでとうございます。(拍手)私はいつも「偉い人になるよりも人柄のよい人になっていただきたい」ということを申し上げております。創価学会の幹部は、あくまでも慈愛を基調とした人間性豊かな、民衆と共に歩む指導者でなくてはなりません。したがって、幹部になったからといって、特別、権威をもったわけではありません。創価学会の役職は名誉職ではなく、あくまでも責任職です。
 他の団体、教団等は、幹部になればそれだけの利益があるかもしれません。しかし、創価学会はその反対であります。幹部になればなるほど責任が重く、また活動の範囲も広いため交通費もかかり、多忙になります。しかし、そうした多忙な学会活動のなかにこそ大功徳、大福運が身にそなわることは、御書に照らして厳然たる事実であります。また、先輩諸君の功徳にあふれた姿がなによりの証拠です。どうか、皆さん方は確信をもって活動に励んでいただきたいと思います。
 これも繰り返し申し上げていることですが、創価学会は、人事と金銭問題については最も厳しいのです。なぜならば、令法久住のために、創価学会を支える力は、幹部によって決定されるからです。立派な人が大幹部にならなかったならば、後輩の指導を誤り、多くの人々を不幸にしてしまうし、異体同心の創価学会も不純になってしまいます。幹部の人選にあたっては、あくまでも信心を根幹として、そのうえに立った人格者、力のある人々を幹部に抜てきしていく。これが創価学会の行き方であります。したがって、創価学会の人事は絶対に公平であり厳正であります。もちろん派閥等は絶対にあり得ません。派閥をつくれば、破和合僧の罪業をつくってその人自身が苦しむだけです。
 また、金銭問題については、会計監査委員会を設けて、あらゆる経理事務が一切ガラス張りの中で公正に運営されております。私自身も、必要経費は思う存分に働いて自分で作りだし、そのなかから必要な額だけ使って、広宣流布の指揮をとっていく決心であり、公私の区別は厳正にしております。また、永久にそうしていかなければならないと思っていますし、信心の世界の当然なあり方であります。
2  どうか、皆さん方は力ある大幹部になっていただきたい。本来、創価学会には名誉職などありません。現在、学会本部あるいは地方本部、支部等に顧問がおかれておりますが、これも決して名誉職として任命したわけではありません。したがって、近い将来、こうした顧問制度は一切廃止していく決心であります。一般社会の利害関係における顧問制度、名誉職だけの顧問などというものは創価学会には必要ないのです。
 しかし、私はさまざまな角度から人々を包容し、信心がしやすいようにと思って、創価学会にも顧問制度をつくってまいりました。しかし、この制度も時代と共に解消し、すべて信心根本の本来の姿に戻したいと考えています。いかなる立ち場の人であっても、どんな境遇の人であっても、信心があるならば、令法久住のために大聖人の御金言どおりに活躍するのは当然です。また、総本山に誠を尽くして、外護の任を全うし、広宣流布へのあらゆる道を切り開いてこの創価学会を、心から尊敬し守っていくことも当然のことなのであります。
 その意味において、皆さん方も、自分自身の幸福、一生成仏を目指して、信心に励んでいっていただきたい。私たちには、大聖人の子供とし弟子として、その使命を果たしていく義務があり、また権利があります。その心意気で自分らしく前進していただきたいのであります。(拍手)とかく創価学会に対する社会の見方というものは、組織が大きいのを見て、会員相互が上下関係でしばられているかのごとくみがちであります。しかし、創価学会は、日蓮大聖人の御金言である異体同心そのままに、御本尊を持ち、題目を唱えて信心に励む最も民主的な団体であります。決して命令などで動く組織ではありません。したがって、幹部は伸びのびと自分らしい行動をとって、広宣流布達成のために、不幸な人々を救い、包容していっていただきたいと思います。
3  釈迦仏法は母の慈愛であり、日蓮大聖人の仏法は父の慈愛であります。邪智、謗法、傲慢、虚偽のウズ巻く末法今時においては、母のようなやさしい慈愛だけでは、どうしても人間革命、成仏はなし得ないのであります。そこで、日蓮大聖人は、父の慈愛をもって立たれたのです。御書を拝しても峻厳な御金言が多々あります。しかし、その根底には、母の慈愛以上に深い慈悲、すなわち厳父の慈愛があることは間違いないのであります。私たちが、いかに正しく社会の人々に日蓮大聖人の教えを伝えようかと苦心しているのに、それが誤解を生み、世間から「創価学会はどうも強引すぎる、非妥協的である」等といわれてきたことはまことに残念なことです。
 しかし、創価学会の行き方が根本的に日蓮大聖人のご真意にかなっていることは間違いありません。幹部は謙虚で礼儀正しく、思いやりと分別があり、話のわかる社会人でなければなりませんが、同時に信心については、役職の上下の隔たりなく、社会的地位の差別なく、そこで本当に法を求める人が真実の求道者であり、立派な人格者ではないかと思うのです。同志はどこまでも仲良く尊敬しあい助け合って、この日本の国に楽土を建設する日までがんばってまいりましょう。

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