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日蓮大聖人・池田大作

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関西本部幹部会 永遠に勝利の歴史

1966.11.13 「池田大作全集」第3巻

前後
1  関西へは、昭和三十一年、学会にとっては最初の参院選の時、応援に本部からまいりました。そして、旧関西本部を中心として、大阪と堺のわずか二支部、それも堺支部は規模も小さくて遠い拠点でありましたが、その二支部で戦いを進めたのです。そして、旧関西本部がまるで軍艦のように揺れ動いた――これはおおげさないいかたですけれども、ある人がそういったのです。(笑い)たった一か月で、折伏数においても一支部で一万一千百十一世帯の成果を示し、半年で三万、四万世帯の折伏をしたのです。そのときは和気あいあいと、事故もなく喜び勇んで戦って、広宣流布史上にそしてまた一生忘れることのできない金字塔を打ち立てた。その当時、地区部長であり班長級であった人々が、すべていまの大関西の首脳部に育ちました。皆その当時の中堅幹部です。その人たちが今日の関西の基礎を築いてきたのであり、あの戦いに勝ったがゆえに、今日の磐石な何十万世帯の関西になったわけです。こういう伝統をもった関西の私どもの推薦する人は、必ず全魂全霊を打ち込んで市民のため、また国民のために尽くすということだけは誓って申し上げられると、この熱情あふれる真心をもって、今後の戦いも進展させていこうではありませんか。(拍手)
 関西では、学会再建当時、私が全魂を打ち込んで一緒に戦い、訓練し指導してきた同志の集まりであります。今日では思うように関西にもこられず、したがって、ゆっくり懇談する機会がなくなりまして寂しい思いでありますけれども、中枢はすべて昭和三十一、二年当時の同志であり、なつかしい人たちです。ともあれ関西は“常勝関西”として、生涯、永遠に輝く勝利の歴史を築ききっていっていただきたい。(大拍手)東京勢にも他のいかなる国土世間の同志にも、関西は日本の中心となって、これだけの広宣流布の先駆を切った団結がある、功徳をうけた模範的な戦いをしたといいきれる関西になっていただきたいと思いますけれどもいかがでしょうか。(大拍手)
2  決して、事故を起こしてはいけません。一人でも事故を起こせば私は悲しく苦しい。そういう犠牲的な、事故を起こすような活動は、幹部は絶対にさせてはなりませんし、また、皆さん方もする必要はありません。悠々と勝てる体制になっております。会社を休むようなことがあってもいけないし、家庭を顧みず、洗物をためてもいけません。(笑い)いつも髪の毛をきれいにして、婦人であるならば主人のめんどうもすべてみて、そのあまった時間で楽しく活動していただきたい。
 壮年部は婦人部や女子部を大事にし、尊敬していくべきであります。真心こめて「本当にご苦労さまです」という精神でナイト(騎士)のごとく進んでいくのが王仏冥合のあり方であります。弱い人、特に婦人部、女子部を守りきっていくのが真の男性であり、創価学会の壮年部であり、男子部でなくてはならないと思うのですけれどもいかがでしょうか。(拍手)弱い者をいじめたり、組織の上であぐらをかいて乱暴な言葉を使うような人は、仏法を利用した法盗人であり、そのような人は学会の幹部ではありません。そういう意味からも、くれぐれみよろしくお願いします。(拍手)
 今度の衆院選は、断じて勝ちたい。なぜかならば、勝たないと大勢の学会員が寂しがり悲しい思いをするし、また、日本の国も現在のままではどうしようもありません。勝てば大聖人もさぞかしお喜びになられるでしょう。仏法は勝負です。だからといって、たとえ敗れたとしても私はなんとも思いません。皆さん方が、功徳に満ちみちて元気いっぱいの人生を生ききってくださればそれが最高の喜びであります。それだけは忘れないでいただきたい。この選挙に勝てば、それが国家諫暁であります。そしてまた、いままで政治は国民不在であり、政治家は民衆を見くだして威張りくさっており、口先ばかりで国民の心なんか全く考えてはおりません。
 これでは政治は十八世紀、宗教は十二世紀だといわれてもやむを得ない。こういう現状を打破できる立ち場にありながら傍観しておればそれは悪であり、それを打破し改革していくことが善の行為です。したがって衆院選に勝って、全政党が、そして全国民が驚嘆して、これで日本の将来の黎明の鐘はたしかに鳴ったといえる戦いをしてみようではありませんか。(大拍手)いままで学会を無認識の評価で罵倒し笑し苦しめた人々が、それによって反省して救われていく時代であり、これが今日における折伏の原理であります。
 私は庶民の味方であり、一生涯、貧乏人といわれる人や不幸な人や本当にまじめな庶民の味方となって、戦い抜いていく会長でありますから安心してください。(大拍手)総理大臣や学者や議員など、いわゆる権力者などなにも恐ろしくはありません。私は信仰のうえで、庶民のために立ち上がった会長ですから恐ろしいのはむしろ皆さん方庶民の声であり、天の声です。おとはなにも恐ろしいものはありません。私は形式などは唾棄すべきであるという気持ちです。初めから終わりまで、真の学会っ子で、庶民らしく、人間性豊かに、貧乏人の味方となり、不幸な人の味方として、信心したときの初めの心を忘れないで一緒に進んでいこうではありませんか。(大拍手)
 体を大事にして、魔に紛動されずに、伸びのびと勇気に満ちみちて、そしてまた礼儀正しく誠実に、誰からも好かれる関西の幹部として、進んでいっていただきたいことをお願いして挨拶といたします。

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