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日蓮大聖人・池田大作

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第78回本部幹部会 日本の黎明の鐘を打ち鳴らそう

1966.10.23 「池田大作全集」第3巻

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1  最初に本年度の最大の行事である教学試験について申し上げます。衆院選も非常に近い様子なので、教授だけ予定を繰り上げて昨日試験を行ないました。私と教学部長と相談して、教授会のまえに試験問題を作成して臨みました。この試験には、全部で四百八十名の教授が受験し、二時間にわたり問題と取り組みました。何人かの高齢の教授、および試験の準備にあたった人は、試験は免除になっております。今回の試験に欠席した人には追試験を行ないます。また採点の結果、そういう人はいないと思いますが、五十点以下は、適性失格ですから、再試験を行ない、その決また五十点以下の場合には、教授補への格下げを行なうことが決まっております。
 今回、教授試験を断行した理由は、この一か月のあいだ、たびたび総務会、副理事長会、本部長会等において、衆院選も近く、この十二月、一月はなにかと多忙なので教学試験をどうするかが問題になっておりました。しかし、本末究竟等の原理に照らしても、依正不二の原理に照らしても、また大聖人の「行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず」の御金言に照らしても、教学をおろそかにすることはできません。なにがあろうとも、予定された教学の行事は実施しなくてはならない。そこでどのようにして、本年度の教学試験に結末をつけるかと考えました結果、教授だけでもいいから教学試験を実施しよう。教授が、全教学部員を代表して受験することは、本末究竟等の原理からいっても、その他の一切の教学試験は、含まれることになる、それを終わって衆院選に進みたいと決意しました。(拍手)したがって、それ以下の教授補から助師までの昇格試験、ならびに任用試験は、全部、来年六月度に実施することに決定したしだいです。(拍手)
 衆院選が終われば、続いて統一地方選挙にはいってしまう。そして五月三日の本部総会が一つのヤマになり、相当数の組織の拡大も予定されています。したがって、そのあと五月の一か月間、各自で勉強して、六月に試験を実施すれば、平等ではないかと思うわけです。どうしても、忙しい時に教学試験を行なうと、一方に一生懸命、家庭指導に励む婦人部がいるかと思えば、他方には、要領よく時間をつくって勉強している人もでてくきます。それでは不公平になってしまう。それらの条件を考え合わせて、平等に試験を受けられる六月に、教学試験を行なうようにしていきたいと思います。
 次に衆院選の見通しとしては、年内または、来年一月、二月選挙の三段階が考えられます。三段階のいつになるか予測できませんが、学会はいずれにしても完璧な体制は整えておるし、まず第一の十一月解散、十二月選挙の線を目標にして、堂々たる前進をしていこうではありませんか。(拍手)いま政界の腐敗について、種々論議がかわされています。しかし、私は、他を非難するようなことはいいたくない。他を批判するよりも、自分たちの力で、立派な政治を築き、本当に、日本の国民、大衆から、よくやったなと、信頼もされ、尊敬されるようになるべきだというのが、私の心であります。(拍手)
2  言論は自由なのですから、公明党には腐敗政治を大いに追求してもらいたいし、政界浄化は議員として、当然の使命であり、権利であり、また義務でもあります。しかし、人間というものは弱いものです。権力の世界にはいると堕落する危険があります。ただし、信心さえしっかりしていれば、そのようなことは絶対に起こりません。もちろん、いまの公明党の議員には、そういう人は一人もおりません。ただ、私は、日本の政界、議会政治が、いまのような状態で、将来いったいどうなるのかを深く憂うるものであります。私どもの手で、真実の日本の黎明の鐘を打とうではありませんか。(大拍手)そして、第三政党であり、第三勢力である私どもが中枢になって、保守・革新共に指導し、包容しながら、真実の日本の夜明けともいうべき衆院選に、勝利を収めようではありませんか。(大拍手)なにも、創価学会のためでも、公明党のためでもなく、日本の将来の平和と、幸福と、自由と、民主のために、正義の戦いであることを自覚していただきたい。(大拍手)
 建国記念日に関しては、すでに先月の幹部会において、われわれは、当然、昭和二十七年四月二十八日とすべきであると発表し、世論も起こしております。しかし、さらに一歩進めまして、次のように主張いたします。それは、建国記念日という名称は適当でない。四月二十八日という日は、名称を「独立記念日」とすべきであると主張します。なぜなら“建国”としますと、それ以前は、国家として成立していなかったことになります。日本国が古代国家として成立した時期については、歴史的な根拠は、求めようがありません。したがって、建国記念日という名称を使用すること自体無理があり、不適当だと考えます。
 世界の例をみましても、建国記念日とうたっている国は、比較的歴史の新しいパキスタンぐらいで、そのほかはほとんどありません。古い歴史をもった国でも、建国記念日とはしないで、むしろ近代国家としての成立の日を、創設記念日とか、創建記念日という名称で祝っているのです。これらの日時は、いずれも確固たる歴史的根拠をもって使用されています。たとえば、イタリアの場合は、一九四六年六月二日をもって、イタリア共和国創立記念日としています。これは王制を廃し、共和国宣言をした日として有名であります。スイス連邦創建記念日=一二九一年八月一日は、ウリ、シュウィツ、ウンターワルデン三州が同盟を結んだ日であり、ギリシャは、一八二一年三月二十五日を、トルコから独立した独立記念日としています。その他のいずれの国々も、近代国家として独立した日か、革命を成就した日か、または現在の国家体制の始まった日をもって、国民の最大の祝日としております。
 たとえていうならば、中国では、一九四九年十月一日の共産革命を記念した中国国慶節を、ソ連においては、やはり一九一七年十一月七日の革命記念日を中心とし、フランスにおいても、フランス革命の一七八九年七月十四日をもって記念日としており、これらは世界的に有名です。またアメリカにおいては、一七七六年七月四日の独立宣言の日を独立記念日としております。このように、各国とも、必ず設定の根拠は、歴史上の客観的な裏づけをもっております。要するに、私が独立記念日という名称で設定することを提案する意義は、国民の誰もが、喜んで祝っていける性質を含んでおり、また、国民が日本という国家、民族に対して誇りをもち、責任感を再認識していける、機縁となるような名称が必要だと考えるからであります。
 この観点からすれば、二月十一日の説は、歴史的根拠が薄弱であり、国民の大多数が反対意見をもっていますから、この日を建国記念日として決定すべきではないと思うのです。設定の意義からいっても、現在の日本国民として誇りの中核となっているのは、平和と自由の理想を掲げた民主日本であります。伝統は重んずるが、新しい民主主義の形態を時代の要求として尊重しなければなりません。したがって、民主日本の誕生した昭和二十七年四月二十八日のサンフランシスコ平和条約発効の日をもって、独立記念日と名づけ、国民の祝日とすることは、最も道理にかなった、また意義のあることであると、主張したいのでありますけれども、いかがでしょうか。(大拍手)
3  なお、二月十一日は、かつて神道をもとに軍国主義を強める機縁となった日であり、したがって、牧口常三郎初代会長が殺される因となった日であり、また、戸田前会長も大迫害をうけた最大の機縁となった日です。われわれは恩師が殺される因をつくった二月十一日に対しては、断固反対いたします。(拍手)一昨日、建国記念日審議会の会長が、祝祭日等に関する意見を求めに本部をたずねてまいったので、以上の趣旨を主張しておきました。
 最後に、現在の世相は、まさに大聖人の立正安国論の予言どおりであり、三災七難の実相が目前に浮かびあがってきております。それだけ私どもの使命は重大であるといわざるを得ない。先日、ある有名な学者が外国から帰ってきて「国民の生活感情に根ざしたものでなければ、真実の平和はない」という意味を述べておりました。確かに一つの問題の確信をつかんでいます。では、国民の生活感情とは何か。この国民の生活感情の基調をなすものこそ宗教なのであります。
 したがって、生活感情即宗教であり、末法における正法とは日蓮大聖人の仏法なのであります。その正法を流布していくことが、すなわち「立正」であります。その「立正」の宗教を国民感情として基調にもってこそ、初めて「安国」という平和世界が実現するのであります。したがって、その学者がいわんとする具体的な実践は、結局「立正安国」ということになります。では、なぜその学者は「国民の生活感情」を問題にしたか。心ある人は、結局「立正安国」以外にないということを心の奥底では感じとっているのです。それ以外に日本の民主主義も、平和も、自由も実現しえないという卓見の言葉なるゆえに、ここに取り上げて述べたわけです。すなわち、その学者がいっていることは、私どもが事実のうえで実践している「立正安国」の正しさを、明確に証明しておると、私はいいたいのであります。(拍手)
 どうか、体を大事にして、決して事故など起こさないように、伸びのびと活動し、夜は早く帰って、一家だんらんの時間をつくってください。また、寝不足したり、会社を休んだりすることのないよう、そして確信と勇気と希望をもって、人間革命しつつ、家庭革命、社会革命への歩みをしっかり進めていこうではありませんか。(拍手)十一月の幹部会のときに、全員明るい、楽しい姿で、またお目にかかりましょう。

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