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日蓮大聖人・池田大作

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第8回学生部弁論大会 世界を平和に導け

1966.7.26 「池田大作全集」第3巻

前後
1  本当に立派な弁論大会でした。実のところ私も非常に驚き、またうれしい思いであります。(拍手)
 先日、一流新聞のある記者と懇談しました。その記者は「いまの指導階層が、創価学会では十五万の学生部が立派に成長し、団結して信心し、広宣流布という大目的に向かって進んでいるという事実を知ったならば腰を抜かすであろう」といっておりましたが、日本で、また世界の国で、これほど多くの大学生が、新しい潮をつくるために、世界に恒久平和を築くために、団結して進んでいる団体は絶対にありません。(拍手)
 都知事選でも、もはやわが公明党がキャスチングボードをにぎっております。自民党も社会党もこの事実を無視することはできません。同じく大阪府知事選のキャスチングボードをにぎっているのもわが公明党であります。その他の地域における市長選、県知事選等々、日増しに、年々に、キャスチングボードはわが公明党がにぎりつつあるのであります。このように首都におけるキャスチングボードを、わが公明党がにぎったということは、衆・参両院でも、キャスチングボードをにぎれる時期がそれ程遠いことではないということです。これから将来にかけて、日本の運命、動向を決定するのが創価学会、公明党であるということは厳然たる事実であります。(拍手)
 これは創価学会、公明党が日本の柱である証拠なのです。日本は保守党のほうに歩んでも行き詰まりであるし、また虚飾の革新党のほうに道を開いてもあぶない。日本の国が両極端のいづれかへ進んでいくことは国の不幸を招くだけであります。
 日本民族の真実の安泰と幸福、そして平和を招来するために中道を行き、大衆福祉社会建設を力強く推進するのは、もはや創価学会、公明党以外にないのであります。私はまずそこまでの基盤を築きました。考えようによっては、第一党・第二党よりも、第三党でありながらキャスチングボードをにぎったほうが偉大であり力を発揮できます。その基盤の上に、あとは諸君が団結して総仕上げを行ない、日本の運命を決め、一億の民族を恒久の安泰へと導き、さらに、世界を平和に幸福に安泰に導いていく使命があります。それはすべて諸君の双肩にかかっております。何度も何度も諸君に期待します。最後の総仕上げを必ず成し遂げていただきたい。諸君に頼むゆえんはそこにあるのです。(拍手)
 話はかわりますが、大会社などにおいてはたぶんに世襲制をとっております。もっとも近代的で進歩的な学問を教える学校でさえも世襲制のところが多いのです。特に宗教関係では全部といってよいほど世襲制であります。戦後二十年、民主主義を叫び、進歩的な言論、革新的な言葉を吐いてきた指導者の多くが、事実は世襲と権力を背景にして保身に身をやつし、あまりにも矛盾した封建的な姿をさらしております。日蓮正宗は、宗祖日蓮大聖人以来、第六十六世の現日達上人猊下にいたるまで、厳然と世襲制を排しております。創価学会も世襲制は絶対にとっていません。一切が師弟の道であり、これを骨髄として今日まで歩んできたのが日蓮正宗であり創価学会であります。(拍手)同じく未来においても、師弟の関係に立って、私は最も優秀な諸君に一切の将来を託すことを希望し、諸君の成長をお願い申し上げるのであります。(拍手)
2  ある週刊誌に、宗教団体の世襲の姿が、さもそれであたりまえのように取り上げられておりましたが、私は、ずるくはかない宗教団体と、またそれを見破ることのできない愚かな民衆の多いことを嘆きます。創価学会には世襲はありませんが、ただし譲るべき会長は一人であり、それはご仏意で決まるものです。したがって諸君は会長になろうなどという気持ちは捨てなければいけません。そういう考えをもつこと自体もはや名聞名利であり、五老僧の眷属に落ちるのです。誰が会長になろうとその会長を中心に、その人を支えながら、御本尊を根本とし、日蓮大聖人の仏弟子として、お互いに尊敬し合い、信頼し異体同心という大聖人の御金言どおりに進んでいくのが真実の団結であります。「異体同心ならば万事を成ず」という、根本のなかの根本を忘れないで進んでいっていただきたいのであります。(拍手)
 さきほど、皆さんと一緒に富士学生交響楽団による“軽騎兵・序曲”を聞きましたが、本当に真剣で立派な演奏でありました。私も、“軽騎兵・序曲”は好きでした。
 かつて部隊長当時、多数の部隊員がわが家に訪れて、信心の指導打ち合わせ等々が終わったあとなどよく一緒に聞きながら「信心を根底にした“軽騎兵”はいちだんと意味がある。ここのところは、全員が集合したところだ。ここは、点呼をとったところだ。ここは、暁の闇を破って先発隊が第一線に進んでいるところだ。わが部隊も、われら若き地涌の菩薩も、広宣流布にそのような心意気で前進しようではないか。この“軽騎兵”に合わせて威風堂々と進もうではないか」と励ましあってきたものです。
 皆さん方も、そのくらいのゆとりをもち、幅広い心豊かな指導者になっていただきたいと思います。(拍手)またさきほど“運命”も聞きましたが、これも大好きな曲です。ゲーテは“運命”を聞くと天井がグラグラ動く思いがするといっております。また、あるロシアの文豪は“運命”を聞くと勇気がわいてくると語っております。私は作者が全魂を打ち込んだこの曲によって、同じように全魂を打ち込んで生ききっていく人生を実感したかったのです。疲れたときには必ず“運命”を聞いて、信心のうえから次の闘争の糧としてきました。真夜中にたった一人でじっとこの曲を聞いて“よし! 御本尊を持った自分が、戸田先生の弟子が、なんでよその青年に負けてたまるか”と助縁としたものです。
3  有名な話ですが、ベートーベンがウィーンで有名になってきたころ、皇帝が一席ごちそうしてくれるというので行ったのです。すると、皇帝夫妻が真ん中にすわっており、ベートーベンの席はいちばん端のほうだった。そのときベートーベンは「彼は国王であるかもしれないが自分は音楽の世界の王者だ。招待しながら末席にすわらせるとは何事だ」といって席をけって帰ったのです。その信念・自尊心は立派であります。信心の世界でも同じであり、どんな世間の権力者や有名人の前においても、これだけの信念と自尊心を、諸君は生涯もち続けていただきたいのであります。(拍手)
 ベートーベンは途中からつんぼになりました。あの“運命”も、つんぼを克服しようとする戦いの作曲です。絶対に負けてはいけないという意思から発露する内面の藤を、音律にしていったものと思います。全生命の発露です。これが本当の音楽であり、十界三千のなかの一分が芸術に発露した証明であります。
 ベートーベンがあるとき聴衆を前にオーケストラの指揮をとっていました。だが彼はつんぼで、全魂を打ち込んで指揮をとっていたけれどもシンフォニーのいろいろな音調は聞こえません。それでも一心不乱に指揮をとり、静かなところを静かにやりすぎて、大勢の聴衆には演奏がぜんぜん聞こえなくなってしまいました。数分のあいだ、いや、二十分のあいだという説もあります。けれども聴衆は、ベートーベンの全生命を打ち込んだ指揮に感動して、水を打ったような静けさであったといわれ、そしてベートーベンが指揮を終えて挨拶したときには、万雷の拍手が鳴りやまなかったというのです。音が聞こえようが聞こえまいがそんなことは問題ではなく、一心不乱に指揮をとっている姿、それが諸法実相です。
 どんな立派な口をきこうが、どんな立派な身なりをしていようが、そんなことで民衆の心の奥底を打てるものではありません。音楽も聞こえずして、全身全霊を打ち込んで指揮をとり、聴衆を沸かせき、さらに全員が涙を流すほど感動せしめたかの大音楽家のごとく、その信心、一念の力をもって、諸君は名将となって、広布への指揮をとっていただきたいのであります。(拍手)
 毎年の学生部登山講習会がいちだんと充実し、それが即、広宣流布に、王仏冥合に、日本の社会の大革命に響き渡ることを心からお祈り申し上げまして、私の話といたします。(拍手)

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