Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

6月度教授会 永遠不滅の学会精神

1966.6.25 「池田大作全集」第3巻

前後
1  このたび立正安国論の講義録が完成いたしました。四人の青年教授の絶大なる協力を得、待望の王仏冥合を実現していく根本の原則論・理念を完成することができました。なにごとをなすにも私一人ではできえません。どうか皆さん方が、この講義録を読んで縦横に応用していただきたい。日興上人のご精神も、日寛上人のご精神にも「宗祖大聖人の御化導は立正安国論に始まり立正安国論に終わる」とありますとおり、大聖人の仏法を実践する者はこの決心で色読し、後世に伝え切っていただきたい。これが私のお願いであります。
 誰がなんといおうが、どんな時勢がこようがどんな迫害があろうが、立正安国論でいくのが創価学会の精神であり戸田前会長の精神です。したがって、私は大聖人の門下とし、また戸田前会長の弟子として、立正安国の実現のために、立正安国論の精神にのっとって進んでいきたい。すなわち戸田前会長の精神で生き、戦い抜き、それで死んでいきたい。これが私の決意であります。(拍手)
 皆さん方も、本当の大聖人の弟子、日興上人の弟子、そして戸田前会長の弟子であるというならば、また私と同志であるというのならば、同じ決心で一生涯進んでいただきたいのであります。今後はだんだん立体作戦も多くなり、さまざまな立ち場で戦わなければならない。そのときに名聞名利に流されて根本精神を忘れていく人が出てくることも考えられます。私はそのような人も包容して、なんとか人生の総仕上げをしてあげたいという気持ちでおります。しかし名聞名利を求めていては立正安国は実現できません。それは大聖人の厳しく戒められているところであり、幹部が名聞名利に走ったならば、もはや妙法を根本とした革命はありえないし王仏冥合は絶対に達成できない。私たちは、七つの鐘を鳴らしきり、王仏冥合の総仕上げをするまでは、捨て石にならなければならない。そして次の世代へバトンタッチをしなければならない。これが立正安国の精神であります。
 王仏冥合の本当の出発である衆議院選挙が近くあります。いつになるかはわかりませんが一年以内はたしかです。衆議院に出るということは大変な事件です。あらゆる妨害があることは覚悟しなければならない。それら全部と戦ってまっしぐらに進まなければならない。卑怯なことは断じてできない。立正安国論講義を出したのですからその宣言どおり実践する以外にありません。私はこういう決心であります。しかし私一人ではなにもできませんから、せめて皆さん方がより以上に勇気をもって、確信をもって、共に進んでいただきたいと願うしだいです。(拍手)
2  臨終正念という言葉があります。臨終正念とは、これでよしと全力をあげて戦っていくことであり、生涯、それで戦い切ることであります。臨終正念とは成仏であり、人生の総決算、仏道修行の総決算です。最後まで御本尊を疑わないで正念する、すなわち題目をあげ抜くというその一念ともいえます。すなわち、生涯、信行学の実践を、本当の王仏冥合の戦いをやりぬくかどうか.教学部の教授であれば教授としての勉強をしとおせるかどうか。また選挙であれば選挙の戦いを、折伏であれば折伏の戦いを死ぬ瞬間まで遂行できるかどうか。これが勝負です。それでその人の偉さが決まるのです。
 いまは広宣流布が、非常に順調に進んでいる時代ですから問題はないかもしれない。しかし、どんな時代がきても、どんなに学会員がふえても、どんなに立体作戦になっても、またどんな事件や苦難があろうとも、そしてたとえ同志がいなくなっても、いまの信心、境涯、確信で死ぬ瞬間まで前進できるかどうか、このことを各自が峻厳に自覚しなくてはならないと思うのです。皆さんはこの自覚をもった最高幹部として、互いに激励しあいながら進んでいっていただきたいことを心から願うものであります。(拍手)
 次に、昨日猊下にお目通りして正本堂のことについてお話いたしましたので、そのことに関して申し上げます。先日、正本堂建設小委員会によって、ほぼ決定に近い線で構想が具体化しましたので、聖教新聞に縮尺五百分の一の模型を発表いたしました。規模としてはバチカン宮殿よりひと回り小さい。しかし周囲の広さは何倍といっても過言ではありません。最終決定については、六月末か七月にはいってから合同委員会をもう一回開いて協議をすすめ、その結果を待って発表いたします。大綱を申し上げれば、まず大きな庭があります。その後方に建て物が三段階に建てられ、その最後の建て物に本門戒壇の大御本尊が御安置されることになります。そこでこれら正本堂の各部分について、やはり名称をつけたほうがいいのではないかという意見が出まして猊下にお願いいたしました。その結果、昨日、猊下よりその名称をたまわりましたので申し上げておきます。
 まず最初の庭は「法庭」と呼びます。猊下は、これは非常に深い仏法上の意味があると仰せです。すなわち、儀式の初めに整える場所、儀式の準備をする場所という意味だそうであります。次に妙法五字を象徴する五本の円柱のある最初の建て物は「円融閣」という名称です。意味は円融・円満――すなわち円融にして闕減なしという意義であると仰せであります。その次の中央の部分は「思逸堂」です。これは謗法の念慮を絶する堂という意義です。それから最後の建て物が「妙壇」です。ここは大御本尊をご安置する戒壇堂ですが、これを普通名詞にするのはもったいないので「妙壇」という通称にしておくと、こういうご説法がありましたことをお伝え申し上げます。全部を含めて総じて本門の戒壇であり戒壇堂であります。また一般的には「正本堂」という名称にはかわりありません。普通に玄関とか中廊下と四部のではもったいないし味がありません。そこで最終的な究極中の正本堂に対し奉るお名前として、以上のように猊下に決めていただいたわけであり、そのことをお伝えしたしだいです。七月度の教授会のときにも元気いっぱいにはせ参じてください。

1
1