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日蓮大聖人・池田大作

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支部旗返還授与式 常識豊かに指導を

1966.3.27 「池田大作全集」第3巻

前後
1  幹部として心がけるべきことを申し上げます。
 第一に後輩に対して親切にしていただきたい。後輩は決して自分の子分でもなければ目下でもありません。仏法のうえでは先輩と後輩との仲は善知識という立ち場になるのです。
 後輩に正しい仏法のあり方を教え、あらゆる点で信心を伸ばし、幸福にさせていくのが善知識です。反対に後輩が苦しみ悩み、後輩の信心を成長させないようにしていく行為は悪知識です。一般的に、仏道修行を妨げるのが天魔の所為であり悪知識になります。しかし、悪知識は信心している和合僧のなかにもおります。すなち体内の悪知識です。これは体外の悪知識よりもさらに罪が重い。先輩も後輩も同じ人間であり、また同じ御本尊のもとに集った弟子です。後輩の人たちにはできるかぎり真心を込めてやさしく親切にめんどうをみてあげ、自分よりも成長させていこう、偉くなってもらおう、幸福になってもらいたいとの念願で指導していただきたいと思います。
 第二には常識豊かであっていただきたい。もちろん一切の出発は信心であり究極も信心です。それは根本原理であり絶対のものです。しかし「一切の法は皆是れ仏法」であり、正法の哲学のうえからみるならば、社会人としての全部の行動が仏法です。そしてまた、社会行動は常識を基準として考えていくのが当然です。どうしたら相手が最も信心しやすくなるか、納得できるかということを考えていっていただきたい。学会内でも世間においても仏法はどこまでも道理ですから、常識、価値判断をよくわきまえて賢明な指導をしていただきたい。それはまた、火の信心ではいけない、水のような信心でなければならないということにもなります。
 私が入信した当時、自分が最高の強信者であるようないい方をしていた青年がおりました。皆はすごい人だというし、私も偉い人だと思っておりました。ただ、私はなんとなく心の中でいやだなあという気持ちが強かったのです。私の見方が悪いのかと反省をしたことがあります。だが、どうしようもない冷たさ、なまいきさ、傲慢さを感じていたのです。ところがその人はやがて退転し、最近やっと立ち上がってきております。結局その人は非常識だったのです。信心が強そうに見えても、実は学会精神、戸田前会長の真の指導がわからずに、火の信心で、一時的な増上慢が確信に見えていたわけです。
 仏眼、法眼ということがあります。いまでいえば和合僧のなかでは「あの人はたしかにまじめな信心をしている」「あの人のいっていることは真実性がある」と、このように大勢の人が納得するのが法眼であり仏眼になるのです。したがって、信心がまともであり強盛であれば、仏法は円教ですから、自然のうちに円満な常識が身につき、正しい価値判断ができるようになるのが道理です。どうか円満な常識家になっていただきたい。自分は信心が強いから座談会へ行っても挨拶する必要はないとか、自分は大幹部だから支部員から金を借りてもかまわないなどということがもしあるとすれば、それは大変な非常識です。信心にかこつけて非常識な指導をしたり、人が納得できない行動は絶対に避けなければいけません。
 第三に要領主義になってはいけない。電気をつければ書いた字は見えるが消せば見えない。しかし見えなくても字は厳然と書いてあります。因果倶時は仏法の方程式であり、因果の理法は色心不二の仏法の基本哲理であります。要領がよければそれだけ自分が損をするのです。他の団体はいざしらず、学会は御本尊に照らされた世界であり、倶生神の働きもあり、因果の理法を根幹とした哲理の実践の団体です。したがって、冥の照覧、冥の利益を堅く信じて、一生涯、着実に指導の任にあたっていただきたい。そうでなければ後輩がかわいそうです。
 したがって、幹部は支部員の人たちから、あの人に相談し指導をうければ自分はすっきりする、自信がわく、信心がやりやすくなるといわれる当体になっていただきたい。後輩の人がなにを相談しても結論を出さない幹部であっては後輩の人は戦えません。なにを相談しても確信ある意見をいってくれなければ、後輩の人はやりがいがない。いずれにしても、指導者になった場合には責任があるのですから、強い確信と公平な意見を述べるべきです。指導は後輩の人に自信を与える言々句々であっていただきたい。それを要領よくその場をうまく切り抜けようと思うのでは、指導者としての資格は断じてない。魔のような存在の人には決してなってはなりません。
 最後に申し上げたいことは、詮ずるところは題目をあげ、よき先輩にたくさん接することです。幹部の一切の行動が大勢の人に影響を及ぼします。妙法流布のために自分が立ち上がれば、多数の人がよくなっていくし自分も大福運を積んでいけます。反対に、大勢の人に悪影響を及ぼすようなことがあれば、それだけ自分が罪をつぐなわなくてはならない。このように、幹部は、正しければ早く深く福運を積んでいけるし、逆に誤りがあれば自分も大勢の人も福運を消してしまうという、実に大事な立ち場にあるということを知っていただきたい。
 その証拠は五老僧です。五老僧が出たために、今日までどれだけ大勢の後輩が地獄への道をたどったかということです。日興上人は教学の指導を行なっているとき、日尊がわきみをしたので破門をしております。それはたんにわきみという表面の現象だけで破門したのではなくて、かねてから日尊の本質を見抜いておられたのです。日尊は三十六か寺を折伏して改宗させて、心から謝って初めて許されております。それほど真の仏道修行は厳しい。これが峻厳な仏法の姿なのです。いま私は、皆さん方が信心しやすいように、自由奔放に活躍できる舞台を与えております。これからも皆さん方を信頼しきって思う存分に戦っていただきますから、自分自身が自重して責任をもって進んでいってください。(拍手)

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