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日蓮大聖人・池田大作

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壮年部結成式 伸びゆく青年を擁護

1966.3.5 「池田大作全集」第3巻

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1  壮年部の結成式、大変におめでとうございました。私もこの結成式を非常にうれしく思い、心から将来に対して安心感を深めております。
 ある日本の思想家が、かの老大国であるイギリスが、なぜあのように長い歴史を堅持しながら栄えてきたかについて述べております。それによると「イギリスには二つの島があり、一方の島の民族が非常に保守的であるのに対し、もう一つの島の民族は非常に革新的である。そして保守、革新のこの二様性が、会社においては社長と専務、学校においては校長と副校長というようによきコンビを自然につくっている。同じように官庁においても、あらゆる階層においても、保守的な堅実な分別ある人と、盛り上がる革新に燃えた青年的気性をもった人が、互いにかみあって今日のイギリスを保っている」と、このような意味のことをその思想家はいっております。
 牧口初代会長の時代は、門下生三千人といわれておりましたが、そのなかに青年は少なかった。牧口初代会長も非常に待望していたのですが、当時は残念ながら青年の輩出は見られなかったのです。時代は変わって、戸田前会長は青年の訓練、教育、成長に力を入れ、それが今日の創価学会の推進力の因となっております。当時、五十代の戸田前会長を中心に、実質的に学会再建に戦った最高幹部は、ほとんど三十代、四十代の人たちでした。だが、もう一つの原動力として、戸田前会長は、私ども青年部に大きい期待をかけられ、縦横無尽の戦いの指揮をとっておられました。そして、表面には目だちませんでしたが、かの義経が“ひよどり越え”で戦ったような、あの敏速な戦いは、一切、青年部にさせておりました。ここで私は、戸田前会長当時の、壮年幹部と青年との模範的なコンビが今日まで続いて、盤石な学会の基礎ができあがったと考えてさしつかえないと申し上げたいのです。
2  戸田前会長は、学会の発展のためには、大聖人と日興上人のご関係における深い原理のうえからも、また牧口初代会長と戸田前会長の師弟の関係、年齢の開きのうえからも、代々の会長は青年部から、現在でいえば高等部、中等部、少年部のなかから、学会の中心者を出していく以外にないとお考えになって、青年部は会長の直属の組織としてまいりました。壮年部になんら左右される関係にない青年部こそ、本化地涌の菩薩の立ち場であるとの考えであったようです。
 私の時代にはいりましても、戸田前会長のその深い指導原理は尊重しております。なにか大闘争を行なうときには、青年部は直属として私と共に戦っていくのは当然であります。しかし実際上は、私は壮年部も婦人部も、男子部も女子部も、全部、協調していくべきであると考えてまいりました。一家においても、父親が柱であることがしぜんの姿であるように、支部においても、当然、柱は壮年部の方でなければなりません。この点は、昭和三十八年十一月の大白華巻頭言「壮年幹部に望む」で申し述べておきましたので、それをよく読んで指針としていただきたいと思います。壮年部が立派な支部は、婦人部も青年部も立派に成長します。よき壮年の指導は、婦人部や青年部から、大人材を輩出させていく力となります。したがって、これから伸びゆく青年は擁護し、責任をもって指導してあげていただきたい。そして婦人部ならびに女子部の人に対しては、大きくかばってあげていただきたいと思います。(拍手)
 最近、非常に痛ましい飛行機の墜落事故が続いております。亡くなった方々は本当にお気の毒であり、私はいつも題目をおくっております。専門家によりますと、飛行機事故の七〇パーセントは着陸のさいの事故であるといいます。
 恩師が会長になられてから今日まで約十五年間たっており、恩師が亡くなられてから八年になろうとしています。この間の学会の戦いは、大変、自画自賛のいい方になりますが、青年部出身の幹部ならびに青年部の最高幹部の戦いが、絶対過半数を占めているといっても、決して過言でないと思うのです。異体同心でありますから、当然、四者一体になって戦い、今日を築いてきたといえますが、しかし、戦いの矢面に立って、また学会を推進してきた原動力は、青年部ならびに青年部出身の最高幹部であります。しかし、これからは壮年がしっかりしなければなりません。着陸の場合、すなわち広宣流布の総仕上げにはいった場合は壮年部の戦いが重要です。青年部はエンジンの役割りを果たしておりますが、着陸の場合にはあまりエンジンをかけないのが普通です。したがって、あとは壮年部の経験、年功、分別をもって総仕上げをする、すなわち安全着陸をしていくのが、私は当然正しい方程式ではないかと思います。(拍手)
 青年であると思っていた私たち最高幹部も、すでに三十代・四十代になり、子供が三人・四人とおります。恩師が会長に就任された当時、壮年部の代表として戦っておった現理事長をはじめとする先輩たちも、そのころはだいたい三十代か四十代・五十代で、いまの私たちと同年配でした。したがって、私をはじめ皆さん方全員が壮年としての自覚に立ち、次の青年たち、または高等部員が、立派なエンジンとなれるよう、そしてまた、バトンをタッチして「あとはよろしく頼むよ」といえるまでがんばりましょう。壮年の壮とは“盛ん”という意味です。信心を根本として、学会精神を根本として柱となっていき、後輩に「安心して戦いなさい。擁護してあげます」といえる自分でありたいと思いますけれども、よろしくお願いいたします。(拍手)
3  太平洋戦争の直後、日正宗総本山の疲弊ぶりは大変なものでありました。戦争中は軍部から身延へ合同せよと弾圧される大難もありました。しかし二十年たった今日、日正宗のこの大繁栄の実相はどうでしょうか。これが三大秘法の御本尊の威力なのであります。したがって信心は長くしなければいけません。一生の問題です。このことは創価学会においても同じであります。恩師が会長になられた前後の学会に対する誹謗は大変なものでした。さらに学会員でありながら学会を疑い、臆病な心で外部の人以上に学会を批判していた人もおりました。しかし、当時真剣に信心した先輩たちは、今日、繁栄し功徳にあふれた実相、現証を示しております。これに対して当時疑い、自分だけがいい子になって、大御本尊を捨て、また世界唯一の創価学会の和合僧を裏切った者は、一人の例外もなくみじめな姿になっております。
 この事実を見ても御本尊は絶対であります。疑わず、否、大冥益を信じきって勇猛精進し、一生涯、信心を全うしなければなりません。多少、外部から批判や罵倒があったとしても、信心しきった者が、最後は大勝利を博するのが経文にいう「諸願満足」「現世安穏・後生善処」です。大聖人のこのご聖訓が、信心を全うした人に現われないわけはありません。特に壮年部の皆さん方は、これから二十年、三十年または四十年が人生の総仕上げです。この間、微塵も疑う心なく、御本尊の使いとし、大聖人の弟子とし、学会の幹部として戦っていくべきです。その戦っただけの結果は必ずあります。またその実証は必ず子孫末代に現われてきます。これを確信しきって、信心のこと、王仏冥合への前進においては、勇敢の二字を満々と胸にたたえて、戦っていただきたいと切望するものであります。
 御書に「かりにも法華経のゆへに命をすてよ、つゆを大海にあつらへ・ちりを大地にうづむとをもへ」と仰せです。詮ずるところは、どんなことがあっても末法の法華経すなわち御本尊を受持しきって死んでいきなさいといわれております。具体的には、学会員として王仏冥合の大道に生ききり死んでいきなさいという教えであります。
 どんなことがあっても、壮年部が立派に信心を全うしておれば、その実相、その尊い戦いの姿をみて、男子部も女子部も婦人部も無言でついてくるものなのです。それが反対に、壮年部が要領よかったり、いいかげんであったり、退転してしまったならば、後輩の人たちが目標を見失います。疑いを起こさせてはなりません。
 公明党の議員も大部分が壮年です。社会的には当然のこと、また学会内においても、時代の要求として大事な存在になっておるのが壮年なのです。壮年の活躍いかんによって広宣流布の大きい推進も決定されます。その意味において、私は、壮年部の結成は時を得ていると思うものです。
 どうか壮年部長を中心にするのは当然でありますが、総務、副理事長、理事などの先輩をよく見習い、また指導をうけていってください。そして、各本部においては本部長がその本部の壮年部の責任者です。総支部においては総支部長が総支部の最高責任者です。以下、支部でも、地区でも、班、組でも全部同じです。壮年部の各人がその部署において調和をとり柱となって、責任者という意義を再認識して、きょうから進んでいってください。(拍手)皆さん方が、一段と創価学会を守り、全学会員を守る強い強い存在になっていただきたいことを切望いたします。
 重ねて申し上げれば、壮年部さえ成長し、盤石の構えにあるかぎり、わが創価学会は永久に盤石であるという確信をもって進んでいっていただきたいのであります。(拍手)

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