Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第69回本部幹部会 明るく自信に満ちて

1966.1.25 「池田大作全集」第3巻

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1  創価学会は会長をはじめ、理事長、副理事長、また一組員にいたるまで全部平等であり、組織上、役職が少し上だからといって、その人を優れているなどと思うのは間違いです。同様に、いまの政治家にしても財閥にしてもみな同じ人間であり、一般の人と変わりはない。それを、ともすると自分を卑下して、そうした人たちを違うように見がちでありますが、そうした卑屈な心は信心によって革命していかなければなりません。また反対に、組織の上で役職が上になったり、金の力やなにかのはずみで社会の中で偉くなって、それで自分はたいしたものだと思い込むのも間違いであります。特にわれわれは同じ御本尊を拝んで広宣流布に進んでいる同志です。役職の上下はあくまでも単なる役目の違いであり、それによって後輩を見下すようなことは断じてあってはなりません。この精神は、王仏冥合の戦いのうえにおいて永久に忘れてはなりません。
 私一人ではなにもできません。したがって、皆さん方全員がおのおのの立ち場で、自分がそこで戦わなかったならば学会の大きなギアは回っていかないのだ、広宣流布はできないのだという自覚で進んでいただきたいし、また全員が、責任感においては会長のつもりで、そして、戦いにおいては全部、一組長の精神に立ってがんばっていただきたいと思います。(拍手)令法久住のために広宣流布のために、自分自身の幸福のために戦うことが、同時に根本的に社会のためであり日本のためであり、東洋のためであり世界のためになっていくのです。このことを深く自覚して、しっかりがんばってまいりましょう。
 千七百以上の支部ができました。大幹部も一万一千人となり、広宣流布への体制はさらに盤石の重みを加えてまいりました。皆さん方は学会精神を会得した闘士であり指導者です。どうか、あらゆる会合で、あらゆる戦いで、人のため世のため法のため、そして自分自身のために、明るく自身に満ちみちて指揮をとっていただきたい。そして求道心に燃えて、信心を求め幸福を求めて皆さん方についてくる支部員の方々に対しては、細かい点まで気をくばってあげてください。会合等に臨んでは、集まった人たちが全員満足しきるまで、十分に与え、指導してあげていただきたいと思います。それを権威主義や組織主義になり、または感情になってしまって、何を与えれば純真な支部員の人たちが本当に強信な人になれるか人間革命に進んでいけるか、という着眼点を見失うことのないようにしていただきたいと思うしだいです。
 政治は賞罰ですから、正しいものをたたえ、伸ばし、悪いものを罰するのが政道の基準であります。したがって、社会の幸せのために最もまじめに戦っている人の団体、すなわち創価学会を最高にたたえるのが真実の為政者のとるべき道であると思いますがどうでしょうか。(拍手)それを反対に、学会や公明党の発展に対し、ヤキモチをやく姿は、根性が狭いというか臆病というか、とにかく正常ではありません。学会は右でも左でもなく中立であり、中道法相の道を進むものです。それをおさえようとし、しかも正面からではなく、権力・財力を頼みにして陰で策動しているのです。しかし、権力も財力も、信心には、御本尊の力には絶対にかなわないのです。いかなる為政者たりとも、大聖人に師敵対すれば仏敵になることを知るべきです。(拍手)
 先日、政治家のご主人を亡くしたある婦人がたずねてまいりました。党派を超越して人間としてたずねてきたので会ったわけですが、その婦人の話では、生前主人は偉かったが、亡くなってしまったら誰もかえりみてくれないというのです。親戚もあり子供もいるので生活は困らないが寂しくてたまらないと慨嘆しておりました。これがじつめた世の中の残酷さであり人生の縮図です。百人が百人、千人が千人そうだという意味ではありませんが、そうした場合が非常に多いわけです。私どもは大聖人の教えを実践し、それが即自分自身の成仏の源泉となっております。不幸な人はいっぱいおり、正しいものを求める人も大勢います。二月、三月は威風堂々と折伏し、前進いたしましょう。(拍手)
 いかなる戦にも最高の布石をしておきたいと思います。衆議院選挙についても、いつ解散されても“さあこい”といえるだけの体制をつくっておきましょう。(拍手)万事“備えあれば憂いなし”です。生活も貯金しておけば、いざという場合にも心配ありませんが、われわれも悠々たる体制で、積み重ね式に築いておきたいと思うしだいです。どうか、くれぐれも体を大事に、寝不足をしないようにしてください。特に、後輩の人たちや中堅幹部の人たちに対して、寝不足をしないように、生き生きと生活がしていけるように、注意していただきたいと思うのです。お互いに人間です。そうでなければいい指導もいい仕事もできませんし、長続きしません。仏法は道理であり、道理ということは常識です。口笛を吹きながら、余裕をもった朗らかな折伏・仏道修行で、幸福を満喫しながら、その諸法実相で、いくらでも御本尊の力を人に示していけるのです。
 生き生きと、礼儀正しく、暴言を用いず、自愛に満ちみち、包容力をもちながら、豊かな常識のうえから折伏して「それなら私も信心できる」「よし、やってみよう」という決意をさせていくのが“口笛を吹き、幸福を満喫しながら折伏する”ということなのです。所詮は、皆さんが強盛な信心で幸福になってくださればいいのです。衆院選がどうの、参院選がどうのということは枝葉なのです。あくまでも大衆福祉のための戦いであることを知ってください。
 では、二月の幹部会のとき元気いっぱいにお会いしましょう。

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