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日蓮大聖人・池田大作

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第16回在京高等部員会 生涯信心を貫こう

1966.1.6 「池田大作全集」第3巻

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1  皆さんの元気はつらつとした姿を拝見しまして、心から喜んでおります。王仏冥合へ前進してゆく創価学会は、堅苦しい世界ではありません。幸せを満喫しつつ広宣流布に向かっていくのですから、諸君は口笛を高らかに吹きながら、学会活動に勉学に励んでいってください。
 今日まで、青年部の出身者が、創価学会の支えであり推進力でありました。次に学生部の出身者が、やはり青年部の支えであり推進力となってまいりました。しかしこれからは高等部出身の人が、王仏冥合の総仕上げへ前進をする時であると私は確信しております。(拍手)
 「黎明の年」といえば、高等部の出現の時に決まっており、創価学会は皆さん方が出現するのを待っていたといっても過言ではありません。皆さん方の年ごろには、私は病気で苦しんでおりました。しかし皆さんは、この若き時代に題目をあげ、勉強ができ、健康に恵まれて、大目的に向かって人生を生きていけるということは、最高の青春であると、うらやましく思っております。御書にもありますように、師弟の関係は、師匠は針で弟子は糸になります。針は着物を縫うときに先頭を切っていきますが、最後には不用になり、あとに残った糸が価値をもちます。私は針ですから、あとは皆さん方が創価学会を母体として、広宣流布という最高の文化活動に、活躍していっていただきたいのです。皆さん方の道を開き、皆さん方のために布石をしていくことが、私の本門のなかの本門でありますから、絶対にそれを確信して進んでいってください。(拍手)
 日蓮大聖人と日興上人、牧口初代会長と戸田前会長、そして戸田前会長と私の年齢の関係からみても、次の学会を継ぐのは皆さんであり、高等部に対する私の言葉の真実性がわかっていただけると思います。そのバトンタッチをするまで、先輩の人たちが、私と一緒に、皆さんを擁護し道を開いていきますから、あとは一切皆さん方が王仏冥合の総仕上げをしきっていってください。それについて、私は厳しいことを一言いっておきたい。それは、信心は一生涯貫きとおさなくてはならないということです。幸福な人、正義の人、勇気ある人、また、有意義な人、偉い人、正しい人といっても、それは全部妙法の五字のなかに、信心の二字のなかに含まれており、信心を立派に貫くことは、それよりも百倍も千倍も深く尊い人生であります。したがって、一生涯信心を貫き、絶対に退転してはなりません。
 昨年、民族解放のため祖国復興のために戦う、ベトナムの二十歳の一青年が、政府軍につかまって銃殺された写真が、あるグラフ雑誌に出ておりました。まだ若い命で、家には家族が待っているかもしれないし、いろいろ人生の夢もあったかもしれないけれども、それらを超越して「ベトナム解放軍万歳」「アメリカ、ベトナムから出て行け」と叫んで死んでいったのです。私は信念に徹するその姿をみて、なかなかできないことだ人間として偉いなと思った半面、かわいそうだなと思って脳裏に刻みつけたしだいです。御本尊を持たない青年にもそれだけの人がいます。それに比べれば、皆さん方には御本尊があり、盤石な組織があり、また、私は皆さん方を苦しめるような戦いは絶対にしません。皆さんは勝利の連続の一生です。それをわずかなことで退転するような人があったならばあまりにも悲しい。そういう人は高等部には絶対いないと確信しますが、どうでしょうか。(拍手)
 本当に学会の未来を託すのは皆さんです。戸田前会長もずいぶん苦労して戦われましたが、心の奥の奥では、跡継ぎの青年部がいましたから、非常に安心しておられ、朗らかであられたのです。それと同じく、高等部員が異体同心で次のバトンタッチをうけて進んでくだされば、私は本当にうれしい。したがって私はこれからの十年、二十年は、高等部員、中等部員、少年部員に対し、全魂を打ち込んで、私自身にとっての最後の指導を行なっていく決意です。(拍手)私はいままで学会の先頭にあって広布への道を切り開いてきましたが、いつまでもそればかりやっているわけにはいきません。次は後輩の育成であり、青年部、学生部を仕上げ、最後は高等部の指導に全力を尽くします。(拍手)
 女性に対して申し上げたいことは、私はいくらでも守り、かわいがってさしあげますけれども、長い人生を生きるという問題、宿命という問題、そして、最後にくる死という問題の解決は、自分自身の信心しかないということです。すなわち、生老病死の解決はただ信心しかないということを銘記していただきたい。
 一九一九年三月一日、当時日本が支配していた朝鮮に、空前の解放独立運動が起こりました。京城を中心に全土にわたったその運動の先端を切って活躍していたのは、柳寛順という一女学生であり、彼女は時の日本の官憲につかまって、猛烈な弾圧、拷問をうけて殺されているのです。わずか十六、七歳の少女が、御本尊もない頼るべきなにもないなかで、ただ当時の朝鮮を救おうとの決意一つで戦ったのです。いまでは、その人は殉国の少女として仰がれ歌にまで歌われております。私はそれを読んで立派であると感じました。いま創価学会のなかにも、高等部、学生部のなかにも、目的の成就のために、死をも恐れぬこれだけの精神の人が何人か出てくれば、それだけでも広布は盤石です。時はきております。そうした人が続々と輩出しないわけは絶対にないと確信します。もちろん私は、学会員にそんな苦しい戦いはさせませんし、体を張って守り苦労は全部自分が引きうけていきます。ただし、令法久住、広宣流布の決意という立ち場からいえば、一人一人にそれだけの決意がなくてはならないのです。
 柳寛順は、なにも白状せず「独立運動のために喜んで死んでいきます」といいきっております。ただ信心がないから、宿命転換ができずにみじめな人生を終えたともいえます。いまわれわれは、偉大な力をもった御本尊を根本に強い団結をもって、正しい人、不幸な人を擁護していける新社会をつくってまいろうではありませんか。(拍手)
 体を大事にして、両親に心配をかけず、しっかり勉強して、学会には一生涯ついてくる決心を固めて進んでください。特別に忙しいときがあって、多少勤行しないことがあっても、また成績が悪いときがあったとしても、学会にだけはつききり、一生涯、御本尊を放さないということだけは約束しましょう。皆さんの一年間のご健闘を心からお祈りいたします。

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