Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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全国高等部員会 諸君こそ学会の跡継ぎ

1966.1.3 「池田大作全集」第3巻

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1  最初に申し上げたいことは、正本堂の建立は、昭和四十七年に完成する予定になっているということであります。非常に大規模な建築でありますから、私どもも、設計者も、また建設担当者も、全力をあげて進める決意であります。(拍手)そこで昭和四十六年一月三日、つまり五年後のきょう、全国の高等部員を代表して参加した皆さん方全員と、また、この大客殿の広間でお会いしたいと思いますけれども、どうでしょうか。(拍手)
 そのときには、一人の退転者もなく、信心強盛に立派に成長しておっていただきたい。ある人は大学生になっているかもしれない、ある人はお嫁にいっているかもしれない、またある人は教学部教授になっているかもしれません。青年部の部隊長、部長になっている人もいるでしょうし、海外に行っている人もいるでしょう。それはさまざまであっていいと思う。
 いずれにしてもこの五年間の成長は、あらゆる点で一生涯を決定する時期であると自覚し、自重して前進していただきたい。私は、その日を楽しみにして、正本堂建立を根幹に、あらゆる総合戦の指揮をとってまいりますから、一人ももれなくお会いすることを約束しましょう。(拍手)
2  次に申し上げたいことは、皆さん方高校生に対して、学校の先生も社会の指導者も、またお父さんやお母さんもいろいろ期待しておりますが、その全部が“信心”の二字に収まっているということです。皆さん方への要望は実にさまざまです。勉強をしっかりして立派な人になってもらいたい、正義感のある人になってもらいたい、親切な人になってもらいたい、強い人になってもらいたい、真心ある人になってもらいたい、親孝行な人になってもたいたい、兄弟仲良くしてもらいたい、科学者になってもらいたい、お金持ちになってもらいたい、芸能人になってもらいたい等々、たくさんあって大変だと思います。しかし私は、おとなたちが、子供に、少年に、青年に期待する全部のことが“信心”の二字にはいっているということを申し上げたいのです。
 信心まじめな人、信心強盛な人、その人は正義の人です。その人は親切です。その人は勇気ある人です。その人は最高に勉強しきっている人です。その人は親孝行な人なのです。なにからなにまで、一切の根本は、三大秘法の南無妙法華経の題目のなかに、御本尊のなかに、その御本尊と境智冥合していく信心のなかに含まれております。信心を土台にしておれば、政界へ入ろうが、外交官になろうが、平凡な暮らしをしようが、全部おのおのの希望どおりに大成していくことができます。若き地涌の菩薩として、まじめに学会活動をし、信心し、勉強していくならば、進む先は自ずから決定されていくことは間違いありません。詮ずるところ、絶対の幸福は信心にしかなく、最高に偉い人、立派な人とは、生涯、信心を貫き通していく人であるということを銘記していただきたい。
 きらびやかなことを追うのは迹門であり、爾前経です。本当に幸福な人、偉い人、正しい人になりたかったならば、日蓮大聖人のまことの弟子らしく、御本尊のお使いとして、若き地涌の菩薩、即高等部員としての誇りをいだいて、この人生を生ききっていただきたいのです。あらゆる哲学、あらゆる思想が妙法華経のなかに含まれていますから、信心を一生涯貫き通す人は最高の学者であり、不幸な人を救い、最高に正しい人生を歩んでいる人といえるのです。私は皆さん方に、信心は強く、人に好かれる心のやさしい人間性豊かな円満な青年に、社会の指導者に育っていただきたいのです。
 権力だけを目的にしていく人は、必ず権力に酔い権力に倒されます。財力だけで進んでいく人は、時代の大変動によって財力で苦しんで、人生を滅ぼしていく場合があります。“有名”だけで背伸びしていこうとする人は“有名”の二字が時代の流れによって消えていくならば、あとはみじめな人生です。生涯、永久に栄えていく根本は信心しかありません。いかに平凡に生きようが、どんな境遇になろうが、どんなに偉くなろうが、一生涯の支えは御本尊しかないということを、皆さん方は心の奥底に刻み込んでいくべきです。
 日蓮大聖人の跡を継がれたのは日興上人であり、日興上人は、本門弘通の大導師、すなわち、色心不二の大哲理を全世界に弘める、代表の仏であります。その日興上人にそば近く仕えて大活躍をしたのが南条時光少年でありました。皆さん方と年齢もさほど違わない南条少年が、世界広布の根本道場たるべきこの富士大石寺の土地を日興上人にご寄進申し上げ、またあらゆる方面に輝かしい法戦を展開したのであり、これこそいまの高等部諸君の姿であると私は思っております。
 私はただ諸君があとに続くことを信じて、王仏冥合の総仕上げのために、日本の国は当然のこと、全世界にもあらゆる分野に手を打って、道を開き布石をしきっておきますから、最後の総仕上げは、諸君が南条少年と同じように、否その百倍、千倍、万倍の活躍によって達成していっていただきたいことを、心から切望するものであります。(拍手)
 大切なことは信心即生活の実践であります。高校生の生活は勉強です。したがって、まじめに真剣に勉強し努力をして誰よりも優秀な成績を示していきなさい。また、健康で明るく逞しく、朗らかに学業にいそしんでいっていただきたい。ある場合にはサークル活動にはいって、そこで大いに活躍するぐらいの余裕もなければいけません。自分は信心しているからどこへも行かないとか、学会活動以外は見向きもしないとか、そんな片寄った学生時代であってはならないと思います。
 ある場合には、学友と一緒に思う存分遊びに行くもよし、ほかの学生と同じように、仲良く伸びのびと進んでいくべきです。高等部員になったからといって、何か特別な行動をしなければならないということは、決してないのです。ただ違っていることは、高等部員は朝晩の勤行をすることと、どこかあの学生は違う、あの少年、あの青年は立派だと周囲の人からいわれるようになることです。それはなぜか。諸法実相です。御本尊を受持している人の生命には輝きがあり、生活のうえに、すなわち学業のうえに必ずなんらかの実証が出ることは間違いありません。その実相が無言の大折伏になることを確信して、希望に燃え襟度をもって進んでまいろうではありませんか。
3  次に申し上げたいことは、第一に、成績のよい人も成績の悪い人も、決して差別をつけず、互いに尊敬しあっていっていただきたいことです。高等部員は全員、若き地涌の菩薩であり、どういう人がどういうところで立派な活躍をしていくかわかりません。学校の成績だけで人を判断することはできないのです。第二に、大学へ行けない人もあるでしょうが、大学へ行けないからといって卑屈になってはいけません。また大学へ行ける人はそのことでおごってはいけません。高等部員は温かい同志愛をもって、しっかり団結していっていただきたいのです。第三に、家庭的に苦しい人もあろうし、いろいろな苦境にある人もいるでしょうが、そういう人たちに対しては、みんなで守り合っていこうではありませんか。(拍手)
 もしも御本尊を持ち、広宣流布のために進んでいる皆さん方、そして創価学会を批判する人がいれば、その人はどれほどの仏罰をうけるかわかりません。皆さん方は、御本尊の偉大な力を確信して、どんな障魔があろうとも、くじけることなく、信心根本に悠々と進んでいっていただきたい。大聖人は御書に「生て御坐ば御覧有るべし、又如何に唱うとも日蓮に怨をなせし人人は先ず必ず無間地獄に堕ちて無量劫の後に日蓮の弟子と成つて成仏す可し」と仰せになっております。「命生て御坐ば御覧有るべし」――一往は、御本尊を誹謗し、和合僧であるわれわれを誹謗した者は、どれほどの仏罰をうけるか、長生きしてその実相を見なさいとの仰せなのです。われわれは肉眼ではっきりとその仏罰の現象を見るようになるというのです。また「如何に唱うとも」――いかに御本尊を持ち、学会員であったとしても「日に怨をなせし人人は先ず必ず地獄に堕ちて」――大聖人を批判し、御本尊を疑い、創価学会を批判し、学会員でありながら学会に迷惑をかけたり、悪いことをして、和合僧の団結を破壊するようなことをする人々は、まず、必ず地獄へ堕ち、そして「無量劫の後に日の弟子と成って成仏す可し」。それほど仏法は厳しい。
 したがって、信心は自己に厳しくしていくべきです。どんなにお父さんお母さんにあまえても、御本尊にあまえても、私にあまえてもいい。しかし、銭ずるとこと自分自身の信心だけは厳しくしなくてはいけません。間違いのない信心、純粋な信心、御本尊に照らして一つの悔いもない信心、自分が成長して学会をきちんと守りきっていける信心、学会の代表として恥ずかしくない信心でなくてはいけません。そうなったときに初めて大福運が積まれ、仏になっていけるというのです。
 反対に、せっかく学会員となり高等部員として御本尊を拝んでいるとしても、堕落し、大勢の純真な人をいじめ、信心をやめさせていこうという働きになった場合には、もはや地獄の境涯、地獄の生活になってしまうという厳しい戒めであります。
 要は、きょう集まった諸君は、信行を全うして一生成仏を成就できる資格のある人たちであり、ある人はヒノキ舞台で、ある人は陰徳を積む影の立ち場で、それぞれ最高に幸せな境涯で縦横無尽に活躍できることも間違いありません。輝く未来は約束されているのですから、仲良く、しっかりと学会につききって“私どもがいまからしっかり勉強し、福運を積んで、創価学会の跡を継ぎ、広宣流布の総仕上げは立派にやりますから安心してください”といえる高等部員になってください。(拍手)
 最後に申し上げたいことは、皆さん方が何か悩んでいること、苦しんでいることがあったならば、遠慮せずに先輩の幹部に相談をしていただきたいということです。悩みを解決していく根本は御本尊であり、真剣に祈ればどんな願いも叶わないわけはありません。しかし、おのおのの信心の強弱、罪障の軽重等によって、功徳の結果がすぐに出る場合、出ない場合が当然あります。したがって一人で悩んでいるのでなく、どんなことでも、お父さんお母さん、また部隊長、理事に相談していくことを実践していただきたいと思います。

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