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日蓮大聖人・池田大作

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文化局バッジ授与式 本門とは価値創造

1965.12.9 「池田大作全集」第3巻

前後
1  本来、わが創価学会は形式主義を排します。すなわち、バッジを重んじて役職の印しにするという考えはありません。世間の団体がつけているバッジの多くは、利害に結ばれ、権威を誇示するために用いられておりますが、わが創価学会の王仏冥合を目指す、その象徴のバッジは、それらとは本質的に違います。胸につけるつけないは別として、一念の中にしっかりとつけて、輝かせていっていただきたい。
 私は、いま小説「人間革命」を後世に残すために努力しております。有名なユゴーの小説は非常に好きです。“あのぐらい偉大な小説が書ければいいな”と思う。しかし、あまりにも忙しいし、また天分も自ずから違うので、そうはいかない。私は妙法の革命児です。彼は小説家です。
 そのユゴーが、 
  「きょうの問題は何か 
   それは戦うことだ。
   あすの問題は何か
   それは勝つことだ
   そしていつもの日の問題とは何か 
   それは死という問題だ。死という問題を解決する問題だ」
2  あらゆる世界において、さまざまな目的をもって各人が戦っております。また勝とうとしています。しかしそれは一場の人生劇であって、本質である死という問題、生命の解決をどうするかという究極の問題については誰も解決できない。宿命打破、社会革命、文化革命、政治革命、すなわち王仏冥合というタテにもヨコにも矛盾のない、恒久的にすべてを本源的に幸せにしていく戦いは、われわれにしかできないのです。また、あす勝つという問題も、その真実の勝利は、第六天の魔王を屈伏させて、仏国土を建設することであります。個人も社会も人類も何千年待ちこがれた真実の恒久平和を確立することがその勝利の帰趨であります。
 誰人も、ひとたび「自分自身とは何か」という問題、死という問題になった場合には、解決できない。それを解決しうるものは御本仏が久遠の遠寿を説き明かした妙法以外にない。われわれはその根本問題を解決しきっていける妙法をもっているのです。所詮、ユゴーの言葉が全部あてはまり、解決できるのは、広宣流布を目指しているわが創価学会しか断じてないと私は思います。どうか勇気をもって、大胆に進んでいただきたい。もう一回、信心したときの情熱、求道心、すがすがしい生命の躍動に帰り、それを“黎明”として進んでいただきたい。
 学会は日本一の団体です。世界を動かしていく学会です。その中枢幹部が惰性に流れてしまったり、役職にとらわれて実際の行動がともなわなったり、身はおちねど心がおちてしまったならば、もはや退転です。何ものをも貫き通し、前進していく、その勇気ある信心をしきって来年一年も公布の歴史を大きく飾ろうではありませんか。
 先日、ある人が話しておりました。第二次世界大戦が終わった直後のウィーンの町に行ったが、オペラ座も、ドイツの爆撃によりほとんど壊滅状態で、あらゆる建て物には弾痕がそのまま残っていたそうであります。ある時用事があって、その廃墟のなかのオペラ座に招待された。その日は有名な指揮者がタクトをふるってベートーベンの「第九交響曲」を演奏していた。その演奏はすばらしかった。あれだけみじめな敗戦国となり、町は廃墟となり、他国の占領下にありながら、町もまだ復興されていないのに、戦前と少しも変わらない、情熱あふれる真剣なその演奏の姿を見て、その人は実に感動したということであります。戦争があろうがなかろうが、音楽の都として、文化の誇りに満ちた民族として、まずそこから立ち上がろうとするその息吹きと信念と誇り、これが大事であると思います。
 皆さん方の活動は地味であり、仕事も他の人たちよりも多いかもしれない。しかし、文化局の方々は第三文明の指導者として、どんな嵐も、どんな怒濤も乗り越えていただきたい。縁に紛動されることなく、自分が灯台になったつもりで、“時代は刻々と展開され、建設され、新しいわれわれの時代がくるのだ、恐れずひるまずみんなついてきなさい”と、すべての人を激励しうる勇気をもって進んでいただきたいと思います。
 第三文明といい、また文化局といっても、いまはまだ小さい活動かもしれない。だが十年先、二十年先には、皆さん方は真実の第三文明の先駆者です。そのときに“こういう人が先輩として戦ってくれた、支部の会合も仕事も忙しいなかを、人には見えないうちに、後輩が戦いやすいようにと、厳然たる第三文明のレールを敷いてくれた”といわれるでありましょう。皆さんはそれを自覚していただきたい。
 そういう人でなければ、文化局の、すなわち王仏冥合の真実の最高幹部とはいえません。革命児とはいえません。たくさんの人の代表として、きょう集まったこれだけの人が、その決心であればいいのです。私は、しいてきょうは、皆さん方に「黎明の年」の新しい本門の出発として、本因妙として、二十年先のために、心からお願い申し上げるしだいであります。
 当然行うべきことをしているだけであったならばそれは迹門です。広布推進の価値創造にはならない。ただ専攻した学問だけを勉強してゆくだけならば、それは迹門です。本門は実践であり、価値創造です。その迹門、本門を本源的に生かしきっていくのが独一本門です。それが仏道修行になるのです。所詮は強い信心によって、あらゆる価値創造をおのおのの立場、分野、境遇において実践していく、これほどやりがいのある仕事はないと思う。これほど大きい民主主義の縮図はないと思うのであります。どうかこれを心に刻んで立派な文化局を建設されんことをお祈り申し上げます。

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