Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第67回本部幹部会 題目第一で進もう

1965.11.27 「池田大作全集」第3巻

前後
1  本年一年だけの戦いをみましても、七月の参院選の闘争、正本堂御供養の完遂等々、本当に多繁でありました。他の団体やその他からみれば、何倍、何十倍の前進でありました。私は、外部からなんといわれようとも、広宣流布、王仏冥合の道だけは、絶対に開ききっていく、この確信だけは満ちみちております。尊い広布に日夜精進している皆さん方が、一人残らず、全部、幸福になってくだされば私の本望であります。それまでは、全魂を尽くしますから安心してください。
 さまざまに批判され、誹謗され、時には脅迫されますが、そんなことはなんとも思っておりません。仏の御金言に照らして、障魔は当然のことであり、そしられるのは仏道修行者としての名誉であります。私はただ皆さん方を守りたい。純真な皆さん方の幸福は、他の団体や、利害だけの政党や指導者では守りきれない。その意味において、私は元気いっぱいに皆さん方を守り、道を開いていきます。(拍手)皆さん方のお子さん、お孫さんまでの道は断じて切り開いていく、その決心でありますから、どうか安心していってください。(拍手)
 今回、多数の理事、大幹部が任命され、これで理事室は四百六十一名になり、大幹部は一万九百名を突破する陣容となりました。東洋広布をめざす王仏冥合への着実なる前進の歩みは、ますます磐石ともいうべきなかの磐石の体制が完備されております。大幹部の皆さん方、ならびに中堅幹部の皆さん方は、学会の根本精神を瞬時も忘れることなく、不幸な人のために、また後輩のために、いつも変わらず、来年も私と共に悠々と力強く前進していっていただきたいことを、心からお願い申し上げます。(拍手)
 学会もこれだけの前進を重ねると、ほかのほうから怨嫉も出てきます。政界のある筋の者が金を使って邪宗を動かしたり、暴力団を動かしたり……、それは乱世ですから当然でもありますが、しかしあまりにも卑怯な振舞いであります。正々堂々たる戦いではない。しかし、どんな人でも、ひとたび妙法蓮華経に縁すれば仏縁を結ぶわけですから、順逆共に救いきり、師子王のごとき信心をもって、来年からまた昭和四十五年を目指して、がんばってまいりましょう。(拍手)
2  来年度の大綱といたしまして、第一に題目第一、第二に個人指導の徹底、第三に座談会の徹底、この三項目が目標となっております。三つとも非常に地味な活動であり目標であります。これらはいままでも常に実践し、学会の根本方針として進んできたものであります。
 題目第一ということについて、特に中堅幹部の皆さんに申し上げたい。朝晩の勤行、題目、それはわれわれ信心していく者の当然の義務であります。正法においては信心即生活であり、題目が一切の生活、活動のエンジンであり原動力であります。しかし、中にはともすると惰性に流されてしまっている人があります。したがって、一年間に題目を百万遍あげるということを一つの目標にしてはどうかと思うのですが、どうでしょうか。(拍手)一日に三千遍です。もっとあげている人もたくさんいると思います。またあげられることも知っております。だが、信行の題目が大切です。信とは自分自身の生活、自分自身の祈りを真剣に願いきっていく題目であり、行とは学会活動、また自分自身の人間革命、生活の実戦をしきっていくところの題目であります。その題目を百万遍あげきっていけば、そうとうの革命がなされることは間違いありません。
 青い顔をしたり、また人の悪口をいって罰をうけていたり、なんとなく生活も暗かったり……、そういう人たちはやはり、ほとんど題目があがっていない。日頃の信心が義務的になっているし、万事が惰性になっております。これを防ぐためにも自分自身の向上をめざして、百万遍の題目をあげきっていくならば、一念三千の法門なるゆえに、その力は全宇宙にも瀰漫し、地区や支部や総支部、本部に妙法の力が原動力となって瀰漫してゆくことは当然であります。依正不二の原理からいっても、全部、自分の境涯と一致してくるのです。すぐれた指導力の源泉は、この題目にしかない。中堅幹部の、すなわち班長、班担当員以上の方々でいいと思うのですが、この一年間気をそろえて題目をあげきっていこうと提案申し上げますが、どうでしょうか。(拍手)
 そうするならば、自分にとっても、第一に顔色がよくなります。また一家が円満になったり、仕事が楽しくなります。どんなことがあっても、いっぺんに変毒為薬しきっていける当体になります。すなわち、事の一念三千の当体といい、妙法蓮華経といっても、その題目をあげきっている汝自身の当体に尽きるわけです。それを確立するための信心であり、その実践が基になって一切の生活の実践となります。それをもう一度、信心を新たにした気持ちで出発したい。こういうわけであります。
 この話がでましたら、ある人が「いや一年間で、三百万遍でも五百万遍でもあげますよ」と……。そんなことをいってはいけいない。必要もありません。自分の信心、さもすごいと思わせるために宣伝していく、そんないい方は、もはや信行の題目ではありません。それは口先だけの宣伝です。信心の本質は御本尊が全部お見通しです。また自分自身が、いちばんよく知っていることです。因果の理法であり、現象がきちんと証明をします。そうすると人も「あの人、ずいぶん変わってきた。ずいぶん円満になった。力が出てきた」と、こう認めると思いますけれど、どうでしょうか。(拍手)「題目をあげなさい」などと義務的な感じを与える必要もありません。特に組長さんや組員さんにそうさせる必要はありません。幹部が、自分のために実践すればいいことであります。それによって全員が一歩前進し、二歩も前進いたします。そのために申し上げたしだいであります。
3  次に個人指導の徹底。大聖人の御書は、ほとんど全部が個人指導です。牧口門下生が、いまでも燦然と輝く存在でいることは、牧口初代会長のもとで個人指導をうけ、さらに戸田前会長のもとで個人指導をうけてきたまものであります。同じく、また後輩に対しては個人指導しきって、自分自身を建設し通してきたからであります。信心は一対一の生命のふれあいが大切なのです。組員の人々がなんで悩んでいるかを真剣に考え、それを解決してあげようという責任感、慈愛が必要です。また幹部の人々は、どのように指導すれば、後輩が安心して信心できるかを親身になって考えていただきたい。やはり一対一で、兄弟のような、姉妹のような、親子のような気持ちでふれあって指導してこそ、初めて後輩の悩みを解決していけると思います。
 遠くにいる支部員には、なかなか徹底できない場合、会えない場合があります。そのときの指導は手紙でもいい、ハガキでもいい。ある場合には、電話で指導できる場合もあります。ただし勤務時間中に電話で指導したり、指導を求めたりすることは、お互いの迷惑になりますからそれは慎むべきであります。いずれにしても、今日までの創価学会の磐石なこの強さは、個人指導と個人指導のギアが、がっちりかみ合ってきたがゆえにできあがったのです。
 往々にして大きい会合が多く、また非常に幹部が多繁になってきたために、講演して帰ればいい、または支部総会、地区総会等で話をしてくればいいと、うわべだけ動いて帰ってくるような場合があります。それも大事です。総別の二義からみて、総じては幹部会等で全員に対して大綱を誤りなく話すべきです。しかし、別しては、自分の責任ある範囲においては、支部員の生活問題、ならびに後輩の人たちのいろいろな問題を、最大限に全部、把握しきっていかなければ、本当の指導者とはいえないのであります。
 不特定多数に対した場合、口ではいくらでもうまくいえます。また義務を果たせます。だがそれだけならば、講談師か落語家を連れてきたほうがいい。(笑い)本当に忙しいときでも、相手が悩んでいるのを見たならば、その人をどういうふうにめんどうをみてあげようかと、心の底からそう思う人が偉く尊いのです。そう私は思っております。また、私もせめてその気持ちで進んできておりますし、進んでもいきます。皆さんも同じ気持ちでお願いいたします。(拍手)
 第三番目の座談会の徹底。これも牧口初代会長以来の伝統であります。微塵積って泰山を成ずが如くその座談会の累積によって今日の学会の体制ができあがったのであります。どうか、来年からもう一度、これを実践しきっていただきたいと思います。すなわち幹部自らが率先して座談会に出席しなければいけない。なんでも幹部から実践することです。また幹部の家で座談会を開くことを提案いたします。もとは全部、最高幹部の家で座談会を開いたものです。いまは、だんだん班長さんや組長さんのお宅へいってあげたほうが親切だと思って、そこだけを会場にしていく傾向になった。しかし、私はそうではないと思います。やはり地区部長のさんのお宅、支部長さんの家、理事の家などで座談会を開くことが正しいと思います。
 また、大事なことは座談会へ行った人の情熱、確信です。中心者の知恵が大事です。そうすれば座談会が楽しくなるわけです。行った人に確信がない、おもしろくない。たとえば五重の相対、三重秘伝、日蓮正宗と創価学会などと、いつも同じことばかりくりかえしているのでは魅力を失って、座談会にくる人がいやになってしまう。ですから、中心者は知恵を働かせていただきたい。随縁真如の智をもって、楽しく明るい座談会を開いていこうではありませんか。どのように指導して、この人を一人前の信心に立たせるか、どのように救いきっていくか、理解させきっていくかという確信と知恵とをもって、もう一回、生き生きと充実した座談会を行っていきましょう。
 日本国中で、地味ではあるが、座談会というギアさえしっかりと回っていれば、デモ行進などはやらなくても、すんでしまうのです。(笑い)衆議院だ、参議院だ、教学だといっても、また学会を認識させる言論戦だといっても、全部、座談会のなかで推進されてしまうのです。座談会こそ仏道修行の道場であり、座談会のなかに一切が含まれてしまうのであります。この活動こそ学会活動の縮図ですから、ほかにこと新しくなにか活動しなくてはならないということは、なくなるわけなのです。地道でありますが、この座談会は立派にやりきっていきたい。
 本当は私が座談会へ行きたいのです。ただ私が行きますと、大勢の人があとについてきて、おまわりさんにデモと間違えられてしまう。(笑い)行ったところ行ったところ、全部、床がこわれてしまって、そのたびに私が弁償するのは大変です。(笑い)ですから、その点はご理解をいただきたい。(笑い、拍手)もしか私が会長でもやめて、支部長でも地区部長にでもなったら行きます。(笑い)そのときは日本一、世界一の支部にし、地区にします。でもこれは、来世の問題らしい。
 では、どうか十二月は事故をおこさないように、教学の試験等がありますけれど、しっかりがんばってください。また地方からこられた方は、これで今年はお目にかかれませんもので、よい年をお迎えになっていただきたいと思います。なお十二月、月は指導の月とすることを付け加えておきます。

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