Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第66回本部幹部会 日本一の幸福者に

1965.10.17 「池田大作全集」第3巻

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1  日蓮大聖人のご遺命であり、宗門、七百年来の念願であった本門戒壇の事実上の建立が、私どもの時代に、私どもの手で、私どもの御供養によって、達成できることになりました。妙法流布の地涌の一員としてこれほどの栄誉と誇りはないと、ともどもに喜び合いたいと思います。(拍手)昭和四十七年の落慶入仏式の時には、いまの十倍、百倍、千倍の大功徳をうけて、胸を張って、全員で大御本尊にお目通りしようではありませんか。体を大事にして、みんな幸福に満ちみちて、一家和楽の生活をもって、その実証を、戒壇建立のその日に示していただきたい。それが私のお願いであります。
 立派な御供養ができたのでありますから、私たちはもう大福運は間違いないと、確信しようではありませんか。(拍手)「若し供養せん者は福十号に過ぎん」等々、御供養の功徳は御書に厳然としたためられております。もし大御本尊に、猊下に御供養申し上げて、御書のとおりの厳然たる証拠がなかったならば仏法は虚妄になります。そんな御本尊では絶対にありません。そのことは、皆さん方が、いままで体験して、十分おわかりのことと思います。(拍手)どうか信心強盛に、絶対の福運を積みきってください。世間には悪い人がいるものです。御供養もなにもしないのに、創価学会の威を利用して、自分を対外的に宣伝していくような人が、いままでにもいたし、これからもいるかもしれません。そういう人物は、どんどん追放していこうではありませんか。
 私どもは大きい戦いをしてまいりましたけれども、それは、あくまでも信心の誠のうえでの戦いでありました。したがって、おごらず、たゆまず、勝って兜の緒を締めて、また、次の目標に向かって和気あいあいと、楽しく、朗らかな前進をしてまいろうではありませんか。御供養を、誰それはいくらしたなどと金額についてうんぬんするのは、大きな間違いであります。御供養は金額の高ではありません。その人の真心です。御本尊は全部それを照覧されております。その人の信心の一念で功徳は決定されるものです。したがって、御供養の金額等のことを軽々しくいいあうのは、厳に慎もうではありませんか。
 今回、御供養に参加した約八百万人の方々全員に、猊下が自ら揮毫それたフクサをくだることになりました。ただし、八百万枚なので、全部できあがるまでに約四年間かかります。したがって、正本堂建立までには全員のお手元に届くことになると思いますので、ご了承願いたいと思います。また、御供養の受け付けの拠点となったお宅にも、やはり猊下から特別のフクサをくださることになっております。
 いままでは、創価学会は貧乏人の集まりであるとか、病人の集まりであるとか、さんざん誹謗され、批判されてまいりました。しかし、この不景気のさなかに、このまえの大客殿の御供養の十倍にあたる、これだれけ大きな御供養ができました。これは経済力においてもまさに日本一の実力を有するにいたったといえましょう。私は、この実証、この現証こそ大御本尊の絶対なる大功徳の証明であると訴えたいのであります。(拍手)今後、さらに幸せになって、われこそ日本一の幸福者であるといいきれる実証を示す人こそ、本当に御供養をした人であります。以上をもって私の話を終わらせていただきます。

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