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日蓮大聖人・池田大作

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高等部部旗授与式 勉学第一で進め

1965.10.1 「池田大作全集」第3巻

前後
1  私の恩師は戸田城聖前会長であります。その恩師が去されてから満七年を過ぎました。また、私が会長になったのは昭和三十五年五月三日であり、会長就任より満五年を経過いたしました。その間、同志と共に、日本の国の広宣流布の道を開き、さらに世界広布の道も開いてまいりました。
 会長就任より満五年を過ぎまして、最高にうれしい日は本日であります。(拍手)なぜならば、この高等部員を第一陣として、諸君の後輩である中等部員ならびに少年部員が、第二陣、第三陣と続いております。この三つの部より、将来の代々の会長が出なくてはならない。出てもらいたい。また出るのが当然ではなかろうか。これが私の希望なのであります。(拍手)
 戸田前会長はよく私どもに“大楠公”の歌をうたわせました。“大楠公”の歌といえば、非常に古い。したがって、皆さん方は、あまり知らないかもしれない。戸田前会長は明治のお生まれであり、私どもからみれば非常に古い年代の方であったわけであります。立ち場をかえて今度は、諸君からみると、私どもは戦中派といわれてもやむをえない。私は昭和三年の生まれです。皆さん方は昭和の二ケタ生まれです。昭和の一ケタと、二ケタでは、ずいぶん違う。皆さん方は俗に戦後派といわれている年代であります。
 さて、その“大楠公”の一節に「早く生い立ち大君に……尽くしていけよ……」という意味の個所があります。この歌をうたわせた恩師の真意は何か。それは、当時の私達に対して、“青年幹部よ。早く広布の人材となり創価学会の中核となって、日本の大指導者となっていきなさい”ということであります。そして“日蓮大聖人の予言を全うし、共に王仏冥合の実現をして、世界を救え、東洋を救え、日本の国を救うのは当然である”とのお気持ちであったのであります。この歌をうたうたびごとに、前会長は非常に真剣になられ、なにか深く回顧をなされておられた。また未来を考えておられました。
 いま私は偉大なる戸田前会長のお力、お気持ちの何千万分の一ではありますが、せめて私が第三代会長として続くかぎり、諸君に道開いてあげたいし、諸君に立派に広宣流布の総仕上げをさせてあげたい。思う存分に、わが人生を謳歌し、大聖人のご遺命を達成していく革命児として、春爛漫と咲くような、かおり高い活躍をさせてあげたい。広布の思い出をつくらせてあげたい。こういう気持ちでいっぱいであることを、私は心の底から、諸君にはなむけとして、申し上げたいと思うのであります。(拍手)
 どうか、きょう集まった高等部の第一陣の幹部の諸君が、十年先も、二十年先も否、三十年、五十年先までも結束を固めていっていただきたい。そして創価学会を守り、学会員を守っていただきたい。それと共に“王仏冥合のバトンは引き受けた。全部、責任をもって最後の総仕上げをするのだ”との決意をもっていただきたい。
 それには、現在、皆さん方は、あくまでも勉強第一で進みなさい。題目をしっかりあげ、あとは勉強第一でいき両親に迷惑をかけたり、嘆かせてはいけません。学校の成績は誰よりも立派であり、優秀であり、そしてまた健康であるというように、色心不二の人間革命の確立をいまから基礎づけていただきたい。
 次に申し上げたいことは大御本尊に甘えることは、うんと甘えなさい。両親の愛情にすがることもこれまた結構です。皆さん方には、立派な先輩がたくさんおり、よい信心の先輩がキラ星のごとくおります。その先輩にも大いに甘えていきなさい。ただし信心それ自体においては峻厳として、甘えてはいけません。自分自身が、信心、そしてまた、広宣流布、王仏冥合という、一生成仏という根本問題にはいったならば、絶対に甘えず、自己に厳しく進んでいただきたい。これが私の願いであります。(拍手)
 高等部員に対する未来の指針については、概略ではありますが、十一月号の大白蓮華の巻頭言、すなわち「鳳雛よ未来に羽ばたけ」と題して、書いておきました。それをお読みになっていただきたいと思います。なお、これからも何回となく、私も諸君とお目にかかり、およばすながら、訓練もしていきたいと思っております。
 諸君の先輩である青年部長をはじめ、たくさんの学生部の先輩、青年部の大幹部もおります。その人たちとよく接して、指導をうけ、擁護され、訓練をうけて、逞しく成長していただきたい。以上、心から申し上げて、皆さん方のご活躍と、ご健闘と、ご健康とを重ねてお祈り申しあげまして、私の挨拶とさせていただきます。

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