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日蓮大聖人・池田大作

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九州本部幹部会 世界平和を築く正本堂

1965.9.20 「池田大作全集」第3巻

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1  正本堂建立の御供養については、なにも私が受けるのでもなければ、創価学会のためでもありません。総本山のためであり、広宣流布のためであり、皆さん方のためであり、子孫末代のためであります。御本仏日蓮大聖人に奉る御供養です。その一念に燃えて供養し奉るところに正しい信心があって、それで初めて大福運が積めるのであります。どうかその原理をわかっていただきたいと思います。(拍手)
 私もおよばずながら、いままで大客殿はもちろんのこと、大講堂、奉安殿、まえの本部の購入等々、私なりに広宣流布のために大御本尊に通ずる御供養をしてまいりました。御本尊のもと、創価学会につききり、一家をあげて全身全霊をもって、御法に仕えてきたつもりです。その結果としていまでは、本当に功徳を受けております。
 私は学会員の皆さん方と親しくお会いできませんので、せめてもという考えから、皆さん方のために毎日お題目を送っております。今後も、さらにさらに題目をあげて、全会員が、仏の軍勢が、みんな幸せになり、繁栄するように願ってまいります。ですから、皆さん方もそのつもりで、本気になって、真心を込めて、御供養をささげなさい。見栄や、無理をする必要はありません。相応に報恩の気持ちでいきなさい。それが功徳になるのです。しかし、すぐにどれだけのご利益になるのだろうという打算的な考えでは功徳になりません。あくまで真心を込めてささげるならば、何百倍、何千倍その功徳に輝くことは間違いないのです。
 大聖人の御書のなかに、幾編も御供養のことがしるされております。末法は万年尽未来際までも、御本仏である日蓮大聖人の仏法の時代です。大聖人の教理、御書、御本尊こそ最高唯一であることは、すでに釈尊、天台、伝教等の証明があり、この大聖人の正統学派であるただ一つの実践団体の構成員として、王仏冥合を成し遂げていくわれら創価学会員が、この正本堂建立の御供養に参加して、大福運が積めないわけは断じてありません。
 正本堂の建立は、事実上の本門戒壇の建立を意味することは日達上人猊下のご説法によっても、明らかであります。この時に生まれ合わせた福運を満身に感じて、真心の御供養を結集しようではありませんか。(拍手)正本堂は、昭和四十七年に建立される予定であり、日本に立正安国の根本が確立されることになります。「広宣流布が達成してから、国家予算によって国立戒壇を建立するのではないか」という評論家がおりますが、すでに御供養も終っているのですから、それは全く誤りであり、ありえないことであります。あくまでも本門戒壇の建立は、純粋で、清らかな、私たちの真心の浄財によって建立されるのです。地涌の菩薩の力によって造られるものです。したがってあくまで「民衆立」であり、本当の民主主義の原理で貫ぬかれているのです。
 それによって「吹く風枝をならさず雨つちくれを砕かず」と御書にあるように、日本は世界一幸せな、平和な国になっていくのです。今度は、その姿を見て、梵天・帝釈ともいうべき世界各国の元首が、どうして、そのように国が繁栄できるのか、平和な国になるのかと学びにくることは間違いありません。
 いま共産主義の世界では、各国の指導者はソ連のクレムリンへと参集し、自由主義国家の為政者が、ほとんどワシントンへ行っているように、あらゆる指導者が大石寺へくることになるでしょう。そのとき、平和と繁栄の根本を教えていくのが、創価学会であります。(拍手)私がきょう申し上げたいのは、昭和四十七年の十月十二日の予定になりますが、
 正本堂建立の儀式には、皆さん方は元気いっぱいに参加していただきたいということであります。そのときには御供養で功徳をうけた姿、希望に燃えた姿で参詣していただきたい。それまでは病気にならないよう、健康であって、長生きをしてください。道理正しい生活をして、広宣流布のために、子供のために、孫のために、一日も長生きをして、題目を唱えていきなさい。そして、はつらつとした仏道修行をしていただきたいと思います。
 幹部の人に申し上げますが、信心のことについては厳しくてもいい。なぜかならば、その人を思い、その人の宿命転換を願うからなのです。ただし、一般のことについては、どうか思いやり深く、やさしい幹部であっていただきたいと思います。
 私は先日、本部の黒板に「題目第一、仕事第一、折伏第一」と書きました。題目第一――題目が源泉です。題目を心豊かに百万遍、二百万遍とあげる決心で幹部は前進していただきたい。そうすれば、しぜんに朗らかになり、力がついてまいります。それから仕事第一――信心即仕事です。男性の場合には、職場で第一人者にならなくてはいけません。それを、仕事はしないで学会のことをやっておけばいいのだという考えでは謗法になってしまいます。その精神でいくならば、今度は仕事にしても御供養にしても、あらゆるものが折伏に通じてまいります。大切なのは折伏第一の精神なのです。幹部になったから、折伏は誰かがやるだろう、そんな根性になった場合には、もはやその人の進歩はありません。どんなに偉くなっても、座談会やあらゆるところで、不幸な人に対して折伏をしていこう、この行動、決心がないならば、その人は退転になってしまいます。
 この理由で三つのことを書きました。幹部になればなるほど、自分自身を革命していこう、自分自身を成長させていこうという、この自覚を忘れてはいけません。
 これからの戦いは、すべて勝っていく決心で、題目をあげ、団結して進んでまいりましょう。この前の選挙では負けたようであるけれども、さすがに最後はこれほど立派に勝ったではないかといわれるように、その証拠を日本中に、否、世界中に示してください。心から皆さん方のご健康とご健闘とをお祈りいたします。

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