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日蓮大聖人・池田大作

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学生部部旗返還授与式 本門の学生部たれ

1965.9.10 「池田大作全集」第3巻

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1  先日、男女青年部の部隊旗の授与があり、それは学会始まって以来の大発展ともいうべき人事の拡充でありました。引き続いて本日は、学生部が偉大なる進歩を示し、その人事の発展があり、特に私はうれしい。部旗を授与し、そしてまた皆さん方のお顔を拝見していて、本当に俊逸の集いであり、創価学会も磐石であり、未来は、燦然と輝いていると、このように心の底から感じております。
 昭和三年、牧口初代会長と、第二代戸田会長とによって、創価学会は設立されました。今年には以来三十七年目であり、したがって、創価学会の年齢は三十七歳であります。公明党は、昭和三十一年に初めて公明会として発足し、王仏冥合の歴史、伝統を築き、今日にいたって満九年、すなわちまだ九歳であります。民主音楽協会は、まだ二、三歳であります。創価大学はできておりませんから零歳であります。(笑い)
 王仏冥合達成のために、そしてまた創価学会の広宣流布の総仕上げのためには、これからのが真実の戦いであります。諸君が社会の中堅になったときこそ、王仏冥合の花が開き実を結ぶ黄金時代だといっても過言ではありません。そのときに、五十、六十、七十歳になるいまの先輩ではもう遅い。そこへくると、これからの十年、二十年、三十年は、諸君の時代です。なんといっても未来には、諸君の時代が待開いていく、それしか私の戦いはない。
 私は愚かでありますけれども、豊かな福運に恵まれていることを確信し、それを誇りとしております。その証拠に、壮年部においては、理事長はじめキラ星のごとき大人材が私のそばで戦っております。また未来を考えた場合には、何十万、何百万の優秀なる青年が成長し戦ってくれております。世界中で、いちばん私は幸せであると思っております。本当にこれだけの人材がいる世界がどこにあるかと、誇りに思うしだいであります。
 先日ロサンゼルス寺院の起工式があって、猊下をご案内して行ってまいりました。その途中、ある人と小一時間ほどいろいろと話し合いました。それは「私はいま世界を回って寺院を造ったり、会館を造ったり、そしてまた世界に散在している会員を守り、育成しております。それはなんのためか。一口にいえば世界平和のためであります。私は、自分が偉くなろうとか、野心を果たそうとか、そんなことは微塵も考えていない。ただ一筋に、日本の、世界の平和を願っているだけであります。いま創価学会には、未来を背負っていく三百万以上の青年がおり、十万内外の学生がおります。いわんや、大仏法を根底として、それぞれ大きく、日本の国のことはもちろん、世界の平和のために尽くそうとして懸命に戦っています。総理大臣や、いまの指導者が心からその青年たちを守り、期待をかけ、そしてまた、その戦いに感謝すべきではないか。それが反対に怨嫉をいだいて選挙区が荒らされてしまうなどと、自己保身のみを考えており、未来の日本、未来の世界平和を考えて、学会の青年を見ている指導者などは、一人もいないではありませんか。いまの代議士などは、青年のことなどは、毛すじほども考えてない。今日の行き詰まった日本および世界を導いたのは、みんないまの指導者の責任です。これからは学会の青年のなかから、学生部のなかから、二万、三万と真実の平和を目指す世界の指導者が育つことは絶対に間違いないと私は断言いたします。そのためには疲れようが、倒れようが、私は少しでも道を開いてあげたい。私はそのために動いているのです。物見遊山などのそんな軽薄な気持ちで世界を回っているのでもなければ、わが学会の青年を指導しているのでもない」このように強くいいきったのです。これが私の本心です。
 「三国志」のときには、伏竜と鳳雛という二人の、時の学生出身の人物がおりました。ある人が「伏竜なり鳳雛なり、一人でも起用してわが陣営に収めていくならば、天下を治めることは間違いない」と、こう語ったと記されております。伏竜は諸葛孔明であり、鳳雛は龐統です。いま日本においては、伏竜ならびに鳳雛は、当然、創価学会を意味します。否、創価学会のなかにおいて、伏竜、鳳雛は学生部の諸君です。学生部の諸君が将来大きく活躍していくならば、創価学会の発展および日本の国と世界の平和は間違いありません。したがって、未来豊かな学生部諸君を立派に成長させることが、最高善の指導であり、私はその責任完遂を目指して全力を尽くしてまいります。
 先日は印・パ紛争が起こり、また十年、二十年とベトナム紛争が続いております。ところが、日本の国にも世界にも、平和回復のためにそれを完全に指導し、解決しきる指導者はいない。しかもその紛争は、仏法有縁のアジアを中心として動いております。濁悪の末法を救うべき大聖人の仏法から照らして、どれほど私どもの使命が大であるか、否、伏竜、鳳雛の諸君が育って解決をしなくてはならないか、事態が意味するところは明瞭であると思います。評論家などは、実践を伴わぬ無責任な評論に終始し、小さい自分の目で世界を見、学会を思案しているにすぎない。大聖人の仏法は、法眼であり、仏眼であります。絶対正しい世界観を確立することができ、事態を如実に知見し、かつそれを根源的に解決していく大原理であります。
 若くして、いま諸君はその原理を身につけ、実践し、成長しているのです。
 特に男子学生部の部長に申し上げたい。きょうからは、甘い考えではなくして、信心も学業も、全部、立派にやりきっていただきたい。そして一人も残らず教学部教授になって、本門の学生部として、名実共に偉大なる前進をしていただきたい。
 一生涯、創価学会の先駆者とし、王仏冥合の最高の責任者として戦い抜く決心で、きょうから進んでいただきたいと願うものであります。(拍手)諸君の健闘を心から祈って私の激励とさせていただきます。

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