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日蓮大聖人・池田大作

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女子部部隊旗返還授与式 強く懸命な人生を送ろう

1965.9.3 「池田大作全集」第3巻

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1  本日は多数の新任幹部が誕生し、新しく部隊旗を受けた人も多数おり、私は非常にうれしい気持ちであります。大変おめでとうございました。(拍手)
 部隊長になり、幹部になると、当然のこととして一組員、一組長当時とは非常に違ってまいります。いままでどおりに自己の生活もあり、仕事もありますが、そのうえに、何百人、何千人の不幸な人々のめんどうをみていく責任が加わってきます。しかし、絶対に力のある御本尊を根幹としての学会であり、部隊であり、会長であり、部隊長であるゆえに、詮ずるところは、すべて御本尊に帰一し、強い信力を奮い起こして御本尊に題目を唱え、それによって力をちょうだいして、楽しく、悠々と部隊の指揮をとっていきなさい。そうすれば、自信は、しぜんのうちに備わってまいります。
 きょう部隊長になったから、きょうから部隊長らしく指導していかなくてはならない、ということを心配する人がいるかもしれませんが、仏法は因果倶時でありますから、自覚し決意したときに、当然その力が備わっていることは間違いありません。とはいっても、きのうまでは区長であった、または班長であったということは、それだけの力を認められ信頼されて、多数の人のなかから選ばれたのですから、自信をもっていただきたい。
 これからも、いろいろと困難なこと、楽しいこと、辛いことがりあるかもしれません。しかし、日常の努力が積み重なれば、雪が音もたてずに自然に積もっていくように力がついてきます。しっかりと御本尊を受持し、まじめに学会のなかで生きていけば、立派な強い自信が半年、一年、二年、三年と過ぎていくうちに、必ず力として備わってはいります。安心して自分らしく最善を尽くしていきなさい。観念的に、自分はもう自信をもてた、自分にはもう力がりあるといっても、それは観念の世界です。自信、確信というものは、長い信心のうえに、絶対に滅びない金剛不壊の力としてついていくものであり、それが妙法の功徳であり冥益なのであります。
 なかにはいままで、なんとなく信心の弱かった人もいるかもしれませんが、過去は過去として、きょうから本門の、真実の青春時代にはいったという決心で、またきょうから第二青春時代にはいったとの希望をもって進んでいただきたい。
 なぜならば、信心がない人の青春は、爾前迹門の青春であり、化城のごとくに消え去ってゆく青春であります。これに対して仏道修行をしながら、人々を救いながら、衆生所遊楽していける福運を積んでいける青春こそが、生涯の建設に通ずる本当の青春であります。いままで皆さん方の先輩が、如実にその実相を示してきました。私たちは男性でありますが、われわれも悔いのない、最高の青春を生きてまいりました。学会の世界にあって、社会にあって、この日本にあって、また地球上を舞台にして戦ってきました。皆さん方も、それぞれの境遇で、それぞれの法戦上で、生活のなかで、きょうから有意義で力強い、新しい青春時代にはいったと自覚して、進んでいただきたいのであります。
 かつて花々しい人生を送っていた人でも、今日では地獄の苦しみをうけている人が、たくさんおります。運命というものは、アッというまに、急転直下変わってしまいます。人生は無常であり、そこに凡夫の悩み、苦しみがあり、はかなさがあるのです。この解決は妙法以外に断じてありません。爾前迹門の幸福、爾前迹門の人生観では、諸行無常以外の何ものでもない。皆さん方は、そのへんのきらびやかな人生に、決して粉動されてはいけません。少し長くみれば、また本質をみれば、信心のない人生はみな不幸であり、真に幸福な人はおりません。たとえ幸福そうに見える人がいたとしても、みな一時的で相対的な一往の幸福であり、再往からみるならば、みんな不幸であります。ただその不幸な面が冥伏して、まだ顕在してきていないだけであります。
 皆さん方は、本門の人生であり、真の青春です。妙法を護持しきった人が、なんで不幸になるはずがありましょうか。一年、一年と、必ず福運を積んでいけます。
 どうか、本当に福運を積みきっていける仏道修行を、青春時代に全うして、立派な力ある女性になっていただきたい。ただ、強く、逞しいなかにも、信心については、また御本尊に対しては従順であり、純粋な青年であっていただきたい。その他の人生にあっては知恵を働かせて強く生き、また賢明であっていただきたい。世の中には、悪い人にだまされて不幸になった女性が沢山おりますが、それは、所詮愚かだからです。同じように人にだまされるような幹部は、愚かな指導者であります。
 きょうのこの晴れの姿は、どの顔を見てもさわやかで、清らかな瞳の人ばかれです。本当に清らかな生命が躍動し、水々しい信心をたたえていることも、私にはよくわかります。しかし、せっかく信心したのに、福運を消してしまう場合があります。それは怨嫉であり、退転です。進まざるを退転といいます。したがって、大事なことは、どこまでも、どこまでも人間革命しきっていくため、大福運を積むために、自分は前へ進むのだ、また誰がなんといおうが、御本尊を第一に前へ進むのだという、この求道心を失わないでいただきたい。そして、どんなことがあっても、御本尊第一に、学会につききっていくことを忘れないでいただきたい。
 次に後輩が部隊長になろうが、企画室になろうが、またいい結婚をしようが、常に人の幸福を喜び、そして自分は常に御本尊と直結し、自分の成長を心がけていく人生であっていただきたい。人をすらやんだり、人を讒言することなく、自分はどこまでもどこまでも、雪のように真っ白い、清らかな一念をもって、生涯がんばっていこうと決めていきなさい。その人が最後には、大勝利の人生を獲得できることを私は断言しておきます。
 またとない大事な一生です。軽挙盲動せず、あくまでも良き先輩につき、正しい人について、最後の最後までがんばっていっていただきたいと思います。皆さん方の幸福を心から祈っております。

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