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日蓮大聖人・池田大作

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第一回山梨県支部長会 雄々しく地涌の勇者の道を

1986.9.20 「広布と人生を語る」第10巻

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1  本日は遠いところ、ほんとうにご苦労さま、また第一回の支部長会、おめでとうと申し上げる。
 人間の一生の歩み、そして季節の移ろいというものは早いものである。ついこの間、桜花爛漫の春と思っていたら、炎熱の夏になり、暑い暑いと思っていたら、もうスズムシの鳴く静かな秋に入った。紅葉の季節もこれから始まる。
 この数年来、残念ながら”中秋の名月”は曇って見ることができなかった。しかし、御本尊の御前に端座して勤行・唱題するわれわれの胸中の小宇宙には、赫々たる太陽が昇る。また清澄な名月もつねに見られる。それは、御本尊には日天子、月天子の働きもそなわっているからだ。このように生命と宇宙の不可思議な融合を説くのが仏法の壮大さであるといえる。
 ともかく、日夜、広宣流布のために奮闘されている皆さまを、日蓮大聖人がどれほど称嘆し、またお護りくださるか――。これは御書に照らし、法華経に照らして、絶対にまちがいないと確信する。
2  南無妙法蓮華経は精進行なり
 法華経の涌出品に「昼夜に常に精進す 仏道を求むるを為っての故に」の文がある。この経文について日蓮大聖人は、御義口伝に「此の文は一念に億劫の辛労を尽せば本来無作の三身念念に起るなり所謂南無妙法蓮華経は精進行なり」と仰せである。
 この「涌出品」の文の通解をかんたんに申し上げれば、昼となく、夜となく地涌の菩薩が信心修行に精進するのは、仏道を求めんがためである、との意味になる。
 この経文を大聖人は一重深く読んでおられる。というのは、「為求仏道故」の経文はふつう”仏道を求めんが為の故なり”と読むが、「御義口伝」では大聖人はその経文の左側に注を付され”仏道を求めたることもとよりなり”と読まれている。すなわち、仏道精進のその姿のなかに、すでに仏道が成就されているのである、と。ここに大聖人の仏法の深き法理がある。
 昼夜につねに精進していることじたい、因果倶時の法義のうえから、すでに仏道を成就し、最高の幸せに住している姿である、との御教示であると拝する。
 南無妙法蓮華経は精進行である。皆さまは大聖人の仰せどおりに、日々唱題に励み、折伏・弘教を実践し、広宣流布に向かっておられる。そのことじたいが精進行である。この「御義口伝」の御文のごとく実践している私どもこそ、すばらしくも最高の人生を送っていることを確信していただきたい。
3  「涌出品」の大意
 ここで「涌出品」について申し上げておきたい。
 「涌出品」とはすなわち「妙法蓮華経従地涌出品第十五」である。寿量品のすぐ前の品であり、法華経二十八品のうち、この涌出品から法華経の経末までの十四品が「本門」となる。そのなかでも、この涌出品の後半分と寿量品の二品、その後の分別功徳品第十七の前半分とを合わせて「一品二半」といい、仏法の最高の要といわれている重要な法理が説かれている。
 「一品二半」について日蓮大聖人は、大聖人配立の一品二半と、天台大師配立の一品一半の二意があると御教示である。いうまでもなく大聖人の一品二半が末法の正意である。それが大聖人の内証の寿量品であり、文底下種の本因妙であって、その御当体が三大秘法の御本尊になるのである。
4  次に「涌出品」の大意についてふれておきたい。ご存じのように、法華経において「法師品第十」以降、釈尊は自らの滅後の弘敦をくり返し勧めている。
 自らの死後において、仏法が正しく伝えられていくかどうかということは、仏にとって最大の問題であったにちがいない。次元は異なるが、戸田先生においても、ご自身なきあとの広布の伸展は重大な問題であったし、私も同じ思いである。自分一代で終わるなら、それはそれでかんたんであろう。しかし、広宣流布は尽未来際にわたる実践であり、大偉業である。
 皆さまのご一家にあっても自分一代だけに終わらず、わが家は永久に繁栄してほしいと願うものである。だれしも一家、一族という次元においても、自分の死後の問題に無関心ではいられまい。まして仏法を説いた仏においては、なおのこと重大であることは論を待たない。釈尊が滅後の弘教をくり返しくり返し勧めていることに、深い意義があると私は思う。
5  釈尊の滅後の弘教の勧めに対し、八十万億那由佗の迹化の菩薩は、「勧持品第十三」で十方世界の弘通を発誓する。また「涌出品第十五」の冒頭で他方来の八恒河沙の菩薩摩訶薩は、釈尊の滅後の此土婆婆世界の弘教を誓願する。
 ところが釈尊は、その諸の菩薩摩訶薩衆に「止みね善男子、汝等が此の経を護持せんことをもちいじ」と答える。すなわち、止めよ、善男子、あなた方にはたのまない……というのである。その釈尊の声に応じて、無量千万億の「地涌の菩薩」が大地から涌出する。これが有名な従地涌出品の儀式である。上行、無辺行、浄行、安立行の四菩薩が上首唱導の師となって、無数の菩薩を引きつれて現れるのである。
6  話は変わるが、この四菩薩にいずれも「行」の字が含まれている。軽々に論じることはできないのであるが、私なりに深い意味を感じる。思うに「行」とは行動のことである。観念ではない。日蓮大聖人の仏法は「行」、つまり実践こそ肝要なのである。実践、行動の「行」がなければ、大聖人の仏法とはいえないし、未来広布もありえない。
 また、私どもが日々実践する勤行にも「行」の字があてられている。これは勤めて善法を行うとの意味であるが、考えてみれば「勤行」の「行」には”たゆまず行いゆく”という意味もあり、勤行の持続の姿勢を「行」の字に拝せるのではないかとも思う。
7  ところで、地涌の菩薩の出現を見て、一座の大衆は大いに驚く。そこで代表して弥勤菩薩が、自分は何回となく婆婆世界へ来ているし、あるいは他方の国土へ生まれて知らないものはないのだが、この大菩薩だけは知らない、とその因縁などを釈尊に問う。これに対して釈尊は、この地涌の菩薩は、自分が仏になったときに一番先に教化した久遠からの弟子であることを明かすのである。
 この「我久遠よりこのかた是れ等の衆を教化せり」との経文は、ほぼ、始成正覚のごんを開いて、久遠実成のおんを顕している。つまり、釈尊は、仏になってこれだけの大衆を教化したのは、今世ではない。仏になったのはずっと昔であると示唆し、ほぼ久遠を開くのである。このことを「略開近顕遠」=略近を開いて遠を顕す、という。
8  しかし、会座の大衆はいよいよ驚く。そこで弥勤は釈尊に向かって、釈尊は成道して以来、四十数年にしかならない。この短い期間において、どうしてこれほどの多くの立派な弟子を教化することができたのか、と再び質問する。これが「動執生疑」である。すなわち釈尊は伽耶城の菩提樹の下において正覚を得たと信じている会座の大衆に対して、その「始成正覚」への執着を動転させ、疑いを生ぜしめるのである。
 この疑いに答えて、釈尊は、次の「寿量品第十六」を説く。ここでは、釈尊が、久遠塵点劫に成道したのであると、本地を正しく明かす。このことを「広開近顕遠」=広く近を開いて遠を顕す、というのである。
 そして「如来神力品第二十二にいたって結要付嘱がなされる。この結裏付嘱というのは、上行菩薩等の地涌の菩薩に妙法が付嘱されるという儀式である。
 「付嘱」というのは、付与嘱託しょくたくの義であり、師匠が弟子に法を伝授し、令法久住を託すということである。
9  日蓮大聖人の御出現を予言
 日蓮大聖人は上野殿御返事のなかで「又涌出品は日蓮がためには・すこしよしみある品なり、其の故は上行菩薩等の末法に出現して南無妙法蓮華経の五字を弘むべしと見へたり、しかるに先日蓮一人出来す六万恒沙の菩薩より・さだめて忠賞をかほるべしと思へば・たのもしき事なり」と仰せになっている。
 この御文は――従地涌出品第十五は、日蓮にとって少し縁のある品である。それは上行菩薩等が末法に出現して南無妙法蓮華経の五字七字を弘めるであろうということが説かれているからである。しかるに、まず日蓮が一人出現していることは、六万恒河沙の地涌の菩薩から、まちがいなくおほめをいただけることであろうと思えば、頼もしいことである、との意である。
10  ここで「先日蓮一人出来す」と仰せのごとく、この南無妙法蓮華経を初めて唱えられ、弘通を開始されたのが日蓮大聖人であられる。
 南無妙法蓮華経は根源の仏種であり、大聖人御出現以前には、天台大師などが南無妙法蓮華経を唱えたが、ただ自行のためであり、化他にはわたらなかった。
 前の御文のなかで「忠賞をかほるべし」とあるのは、御謙遜の立場での仰せである。日蓮大聖人は、外用の姿においては、地涌の菩薩の上首・上行菩薩の再誕であられるからである。さらに御内証は、久遠元初の自受用報身如来であられ、末法の御本仏であられるのである。
 観心本尊抄には「此の時地涌千界出現して本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊此の国に立つ可し」と仰せである。
 この御文は――この末法の闘諍の時、地涌千界の大菩薩が出現して、本門の釈尊を脇士とする一閻浮堤第一の本尊がこの国に建立されるであろう、との意である。
 すなわち、地涌の菩薩たる日蓮大聖人は、外用の姿として釈尊から妙法弘通の付嘱を受けられたが、その内証は久遠元初の仏であられる。御本仏だからこそ、本門の釈尊を脇士とする御本尊を御図顕されたのである。
11  地涌の菩薩の眷属を自覚
 この地涌の義について、御義口伝に「日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は従地涌出の菩薩なり外に求むること莫かれ」と仰せである。
 すなわち、いま末法において、三大秘法の南無妙法蓮華経を唱える日蓮大聖人およびその一門は、従地涌出の菩薩である。広宣流布の達成に励む私どものほかに、地涌の菩薩の眷属を求めてはならない、と仰せである。
 地涌の菩薩とは、日蓮大聖人の御事であられる。大聖人のお使いとして、末法濁悪の今日、妙法を持ち広布に進む私どもは、地涌の眷属である。したがって、たいへんな意義と立場と使命があることを知らねばならない。
 ゆえに私どもは妙法を根本に、ますます「信」深く「行」強く、襟度をもって、ともどもに守りあい、うるわしい団結で前進していきたい。
12  また、諸法実相抄に「末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり」との有名な御文がある。この御文からも、広布に向かうわれわれの立場がどれほど尊いものかを拝することができる。
 「男女はきらふべからず」と仰せである。妙法の世界に男性、女性の差別はない。女性だからと見下してはならない。尊敬しあっていかなくてはならない。だれ人といえども、大聖人のもとですべて平等なのである。この短い御文にも、大聖人の仏法の重要な意義が含まれている。
 さらに「日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや」と仰せである。
 この御文を胸に刻み、これまで私どもは広布に励んできた。そして、現実に、この御文のとおりの結果になっている。真実の仏法をたもつこれだけの同志が全国の津々浦々、さらには世界の各地で活躍するという時代は、いまだかつてなかったのである。
13  また、御講聞書には「地とは我等衆生の心地なり涌出とは広宣流布の時一閻浮提の一切衆生・法華経の行者となるべきを涌出とは云うなり」と仰せである。
 「心地」とは、心を大地にたとえた表現である。どんな草木も大樹も大地から育つという道理から、この「心地」が妙法の大地となるのである。
 「法華経の行者」とは、別しては日蓮大聖人であり、総じては、大聖人の仰せどおりに広宣流布に向かう人々のことである。この御文のなかで大聖人の仏法が広まり、世界中の人々が法華経の行者として題目を唱え、大聖人の仰せを実践していく時がくる。その時こそ、ほんとうの意味で「従地涌出」になるといわれているわけである。
 今まさに、そのとおりの時代が到来しつつあることを実感するのは、私一人ではないと思う。
14  地涌の菩薩と迩化・他方との相違
 次に「地涌の菩薩の意義」について申し上げたい。まず、「迹化・他方の菩薩」と「地涌の菩薩」との違いはどこにあるか。
 この意義について観心本尊抄に「所詮しょせん迹化他方の大菩薩等に我が内証の寿量品を以て授与すべからず末法の初は謗法の国にして悪機なる故に之を止めて地涌千界の大菩薩を召して寿量品の肝心たる妙法蓮華経の五字を以て閻浮の衆生に授与せしめ給う」と仰せである。
 わかりやすく申し上げると、わが内証の寿量品である文底下種の三大秘法を、迹化の菩薩や他方の菩薩に授与することはできない。なぜかならば、末法の初めは、国は謗法の国土であり、しかも衆生の機根も悪い。迹化や他方の菩薩では、とてもその弘法に耐えられないからというのである。
 それで釈尊は、迹化・他方の菩薩を制止して、地涌千界の大菩薩を召しいだして、寿量品の肝心である妙法蓮牽経の五字の流布を託されたのである。南無妙法蓮華経の大法を信じ、弘めていける地涌の大菩薩を召して、一閻浮堤すなわち全世界の衆生に授与せしめられたのであると仰せになっている。
15  総本山第二十六世日寛上人は、この「迹化・他方の菩薩」と「本化(地涌)の菩薩」の相違について、それぞれ「前三後三」の釈を立て、明快に論じられている。(三重秘伝抄)
 すなわち、他方の菩薩に対し、本化の菩薩は①釈尊の直弟子である②つねにこの婆婆世界に住している③婆婆世界の衆生、なかんずく滅後の衆生と結縁が深い――と。
 第一の釈尊の直弟子とは、文底から拝すれば、久遠元初の御本仏日蓮大聖人の直弟子であると拝されよう。第二につねに婆婆世界に住するとは、他の国土ではなく、この婆婆世界で、つねに生き、修行してきた菩薩であるとの意である。そして第三の衆生に結縁が深いとは、要せ末法の衆生に縁深く、これらの衆生を救うべき使命と力を有している、と拝されよう。
 さらに、迹化の菩薩に対し、本化の菩薩は①釈尊の初発心の弟子である②久遠以来、長く深く功を積んできた③末法の衆生に対し利生得益が盛んである――と日寛上人は示されている。
 つまり、本化の菩薩は文底から拝すれば、久遠の御本仏であられる日蓮大聖人の最初の弟子であり、久遠以来、長く深く修行を積んだのである。そして、末法の衆生に対し利生が盛んであり、五濁に満ちた末法に布教し、人々に利益を与えゆく菩薩である、と。
16  日蓮大聖人は、この地涌の菩薩のカを「此等の大菩薩末法の衆生を利益したもうこと猶魚の水に練れ鳥の天に自在なるが如し」と仰せである。
 すなわち、地涌の菩薩が末法の不幸な民衆を救っていくことは、あたかも魚が水中を白由に泳ぎ、鳥が天空を自在に飛ぶごとくであり、自在無礙のカを発揮していけるのである。これは日蓮大聖人の御境界を表示されたものであるが、総じては末法に妙法を弘める私どももまた、大聖人の仰せのままの信心に生きれば、大きな力、大いなる指導力を発揮していけることはまちがいないのである。皆さまの振る舞いに対し、御本仏、諸天善神の守護は疑いないことを確信されたい。
17  地涌の使命に立って広布に邁進
 戸田先生は、かつて、地涌の使命の自覚に関して、こう述べられた。
 「われわれが、末法に生まれてきたという事実、これは大御本尊に御目にかかったわれわれしか、感知できないことだ」と。
 私どもはすばらしき御本仏の世界につらなっているわけである。しかし、謗法に生命を濁らせた人々には、この無上の世界は見えない。私どもの使命についても、想像すらできず、無認識となるわけである。
 また戸田先生は、こうも言われた。
 「政界で戦う人、慈善事業に命を捧げる人、教育界、文化の世界で戦う人人と、それぞれ、その使命を有して活躍している。だが、それらには永遠性がない」と。
 私どもの広布の使命は、これらの使命とは根本的に違う。すなわち三世永遠にわたり、一切衆生を救いきっていくという、人間として最高の使命なのである。
18  しかし、凡夫である私どもは、なかなかその深き意義を自覚できないのも事実である。戸田先生も「皆さんは、自分の使命については、なにも気がつかないかもしれない。しかし、皆さんの生命は、本来それを知っているはずです。じつは、誰よりも重大な使命と責任とを担って、末法に生まれてきたのです。この使命、この責任を、深く知ったとき、自覚したとき、皆さんの心に、無上の歓喜と光栄とが、こんこんと湧き上がってくるのです」と指導してくださっている。
 末法という濁世に生まれあわせ、現在、ともに広布に進んでいるという厳然たる事実。この事実の意義を「自覚」できるか否か。その一点を戸田先生は強く教えられたのである。
 さらに戸田先生は、こう述べられている。
 「諸君はなにをいっているのかと、思うかもしれない。しかし、この事実に嘘はないのです。われわれは、いかにも凡夫だ。それでいて、仏の仕事をしなければならないわれわれなのだ。なぜであるか。それは、われわれが久遠元初に、ありがたくも、下種された仏であるという自覚に立って、よくよく自分を考えてみるならば、素直にわかってくるはずだ。これは、お伽噺でもなければ、単なる仮説でもない」と。
 そのうえで、「このことを観念でわかるのと、実践でわかるのとは、天地雲泥の差がある。皆さんは信心の実践のなかで、わが生命の使命を自覚してほしいのです」と激励されたのである。
19  たしかに、たんなる観念と実践とでは根本的な違いがある。たとえば、ご飯を炊くのに、米と水の分量、燃料の用意など、たとえ理論上はすべてわかっていたとしても、そのことと、実際においしいご飯を炊いて味わうこととはまったく別のことである。これはだれ人も理解できる道理である。
 それと同じく、たとえ御書や経典を勉強し、理論的にわかったつもりになっても、そのことと仏法を会得することとは根本的に違う。実践もなく、少々の教学をふりまわし慢じるならば、そのことじたい、じつは仏法の真髄を何もわかっていない証左なのである。
 さいわいにして皆さま方は日夜、人のため、法のために広布に奔走されている。その尊き実践のなかに、知ると知らざるとにかかわらず、生命の奥底から、無量の福運と歓喜が、また勇気と知恵がわいてくるのである。
 そうした、生命の最高の充実のなかでこそ、わが人生の偉大な使命を深く自覚できるのである。
20  世間の法に染まらぬ人生を
 地涌の菩薩の徳の一つに”世間の法に染まらない”ということがある。
 当体義抄の送状には「経に云く「世間の法に染まらざること蓮華の水に在るが如し地より而も涌出す」云云、地涌の菩薩の当体蓮華なり」と仰せである。
 この涌出品の文について、御講聞書には、次のように仰せである。
 「世間法とは全く貪欲等に染せられず、たとえば蓮華の水の中より生ずれども淤泥にそまざるが如し、此の蓮華と云うは地涌の菩薩に譬えたり、地とは法性の大地なり所詮しょせん法華経の行者は蓮華の泥水に染まざるが如し、但だ唯一大事の南無妙法蓮華経を弘通するを本とせり、世間の法とは国王大臣より所領を給わり官位を給うとも夫には染せられず」と。
 すなわち地涌の菩薩は、ただ唯一大事の妙法を末法に弘めることを根本の使命とするゆえに、貪欲等の煩悩に染まって、その使命を忘れることは絶対にないのである。
 世間つまり現実の社会には名利、名聞、その他さまざまな誘惑があり、醜い煩悩がうずまいている。しかし、それらのなかにあって、たくましく生きぬきながら、けっしてそれら”世間の法”に染められることはないのが、地涌の勇者の人生なのである。妙法を根底とするとき、現実の大地に根ざしつつ、清浄このうえない生命の大輪の華を咲かせきっていくことができるわけである。まことに不思議にして、すばらしき法理といわざるをえない。
21  戸田先生は次のように言われている。
 「自己の名誉のみを考え、人に良く思われようとして、活動する人物であれば、所詮は行き詰まってしまう。詐欺師に共通してしまう」と。
 信心をしているといっても、それが自分の名誉のためであったり、虚飾のためであったりしてはならない。また、世間に迎合し、信念のない人々によく思われていこうといった姿勢ではいけない。もしそうであれば、自分の名誉や利益のために信心を利用していることになり、詐欺師のごとき存在となってしまうとまで厳しく戒められたのである。
 信心は、どこまでもまっすぐに、潔く、決定した心でなくてはならない。従地涌出品で説かれた地涌の菩薩のごとき深き誓願と自覚で進んでいただきたい。
 さらに、戸田先生は「自分の名聞名利や野心のために仏道修行をすることは断じて相ならぬ。信心はどこまでも純粋でなければ、厳しい魔と戦う強靭な生命は育ちません。ここのところが、もっとも重要かつ大事な要なんだ。これだけは永久に忘れないでくれたまえ」と指導されている。
 生命における仏界の湧現も、また人生の真実の幸福も、純真なる信心にのみあることを自覚すべきである。日蓮正宗創価学会は、この広布の精神、信心の一念で進んできたがゆえに、今日の大発展があった。また、学会とともに広布に尽くしてこられた皆さま方の功徳もはかりしれないことは、ご存じのとおりである。
22  諸法実相抄に「いかにも今度・信心をいたして法華経の行者にてとをり、日蓮が一門となりとをし給うべし、日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか」と仰せである。
 この世で宿縁深く信心をしたのであれば、「日蓮が一門」として生涯、信心を貫き通しなさい。その人こそ誉れある地涌の菩薩につらなる人である、との御教示である。「日蓮と同意ならば」と仰せのごとく、私どもの使命は広宣流布であり、妙法を弘めゆくことである。この尊い実践を生涯の誉れとして、日々、悔いなく生きぬいていただきたい。
23  志念堅固な大指導者たれ
 さらに地涌の菩薩について、涌出品では次のように説かれている。
 「一一の菩薩、皆是れ、大衆の唱導の首なり。各六万恒河沙の眷属を将いたり。況や五万、四万、三万、二万、一万恒河沙等の眷属を将いたる者をや」と。
 一々の地涌の菩薩はみな、大勢の人々の指導者である。六万のガンジス川の砂の数にも等しいほどの眷属を率いている者や、五万、四万、三万、二万、一万の恒河沙の数の眷属を率いている者がいたのである。
 現代的にいえば、地涌の菩薩は、大指導者の存在なのである。多くの人人の”長”として、広布に活躍する支部長、支部婦人部長の皆さま方も、ご自身のすばらしい立場を銘記していただきたいのである。
24  さらに涌出品では「其の志念堅固にして 大忍辱力有り 衆生の見んと楽う所なり」と説かれている。
 地涌の菩薩の志念は堅固であり、偉大な忍耐の力をもち、衆生が見たいと願う人々である、と。
 したがって、その眷属であるわれわれも、そうした徳性の一分をそなえていきたい。また、真剣な信心があればしぜんとそなわってくると確信したい。
 ともあれ、地涌の勇者であるならば、信心の一念を堅固にもたねばならない。難に対する忍辱の鎧も、心に着していくべきである。
 これまで私どもの広布と信心の活動には、多くの迫害、かずかずの大難があった。そのなかをここまで学会は発展し、妙法の大河は、日本のみならず世界の各地へとうとうと流れ通っている。まさに、大いなる忍耐の勝利といえるのである。
 また、多くの人々が信心の指導を求めてくる。多くの後輩たちが心から信頼し、信心の相談をし、楽しく集い来る。そのような、生命と人間の奥深い法理にのっとった、まことに尊き存在に、皆さまはなっているのである。
25  また「是の諸の菩薩等は 志固くして怯弱無し 無量劫より来 而も菩薩の道を行ぜり 難問答に巧みにして 其の心畏るる所無く 忍辱の心決定し 端正にして威徳有り」(涌出品)と。
 すなわち、この多くの地酒の菩薩たちは、その志が強固であり、おじけついたり気おくれすることがない。無量劫というひじょうに長い間、菩薩の道を行じている。むずかしい問答にもたくみであって、その心におそれるところがない。その忍耐の心は、しっかりと決定しており、端正であって、威徳がある、との意である。
 ゆえに、信心にあっては臆病であってはならない。八風におかされて退転をしていくようでは、地涌の勇者とはいえないのである。
 さらに、生命は永遠であり、私たちは、何度も生まれきたっては仏道修行を貫いてきた。立派な人生を、数限りなく生きてきた。そして今また、自らの誓願のもとに、それぞれの地域で、さまざまな苦悩の姿を現じながら、妙法流布のために生まれ、活躍しているわけである。この広布の使命に生きぬく人こそ、地涌の菩薩の眷属である。どうか、その自覚をもって、皆さま方も、地涌の勇者の道を、雄々しく進んでいただきたい。
26  後継の人材育成と慈悲ある指揮を
 万代にわたる妙法流布を考えたとき、広布の人材の絶え間なき輩出こそが大事となり、根本となる。どうか、その意味で支部幹部の皆さまが、主体的に人材育成の先頭に立っていただきたい。
 戸田先生は、支部長会等に出席されると「支部長諸君は、絶えず”人物”を見つけ、育てることに心をくだいてもらいたい」と、口ぐせのように話されていた。
 自分だけ力をつけよう、偉くなろう、というような狭量な考えではいけない。それでは広布の波動は広がらない。何人の人材を見いだし、育て、広宣流布へと向かわしめられるか。ここに、波動が波動を広げゆく、広布の力強い前進をもたらす要諦がある。また、そのための活躍をお願いしたいのである。
27  山梨の地は、日蓮大聖人、また第二祖日興上人に、まことにゆかり深き国土である。また、そこに住む皆さま方も、大聖人、日興上人と深い因縁をもった方々であると思う。
 そうした皆さま方が、万代の広布へいっそう深き自覚をもって、たゆみない弘教と人材育成に励んでいくならば、山梨は、さらに歓喜と功徳の咲きかおる、広布への使命深き国土となることを確信されたい。
 山梨といえば、武田信玄ゆかりの地である。信玄は戦国時代にあって傑出した英雄であり、大武将であった。かの上杉謙信との十二年間にわたる五回の合戦も、最後は信玄が勝利を収めたといわれる。
 また、天下をとった徳川家康や、かの織田信長も、信玄にはかなわなかった。信玄を恐れ、一目も二目もおいていた。徳川家康は、作戦でも、政治面でも、信玄の戦略、政策の影響を多く受けていたといわれる。
 それほどの大武将であったが、残念なことに病に倒れてしまった。跡を継いだ四男の勝頼は、長篠の戦いで功をあせって早く進軍し、大敗してしまった。五月という、農民にとって一番忙しい時節に戦に狩り出したことが、民衆の反感をかったともいわれている。
28  こうした教訓からも、リーダーには「慈悲」が肝要である、と申し上げたい。武田信玄の偉さは、大将の条件の一つとして「慈悲を忘れぬことが肝要である」と教えていたことであろう。もちろん、ここでいう「慈悲」は仏法の「慈悲」とは異なるが、戦略や作戦を論ずるだけでなく、慈悲をあげていることに注目したい。
 「大将に慈悲の心がなければ、ものごとの移り変りの道理がわからず、大身で有力なものだけが万事につけてよく見え、小身の者の奉公を認めようとしないから、貧しい者は忠節忠功を尽くすこともできず、全軍が積極性を失い、罪に問われるのは小身者ばかりと考えて、わが身を大事にし、万事をひかえ目にする。こうしてすぐれた小身者が立身することがなくなる」(『甲陽軍鑑』吉田豊編訳)――というのである。
 たとえ貧しく小身であっても、すべての人が活躍できるように心を配っていくのは、大将の慈悲心である。細かいことであるかもしれないが、この、人間の心を的確につかんだ、信玄の偉大さを学びとらねばならない。
 また信玄は「万事小さいことより、次第次第に組み立てていって、後に大事が成るのである」との信念をもっていたようだ。ものごとの理をきちんとわきまえて、鋭い人間洞察のうえから「小事が大事」ととらえたのである。こうした信玄のいき方は、今日にあっても相通ずる原理を含んでいるように思う。
29  充実した晩年の人生たれ
 今、次代の広布を担う青年が、日本国内でも世界各国でも続々と成長している。こうして青年に光が当てられると、一方で高齢の方々は、少々さびしく感ずることもあるかもしれない。きょうは、年配の方もおいでになるので、最後にひとこと、人生の美しき総仕上げの時である老齢期について申し上げたい。
 作家の鶴見祐輔氏の言葉であるが、人間観、人生観の当を得た表現がある。
 鶴見氏は「人間の一生は、その人格が完成されてゆく道程である。人間の一番貴いのは、老年である。何となればその時が、その人の一生の決算期であるからである」といっている。
 私はよく全国へ出かけるが、秋、満山錦繍のみごとな情景に出あったときなど、眼前の美しい紅葉を見ながら、同志と語りあったものである。人生の老年期もこうでなければならない。一生のなかでいちばん荘厳であり尊く美しい姿になって人生を飾りたいものだ、と。私自身、三十代、四十代からこの思いで歩んできた。
 また、「われわれの一生は、結局、このような貴い老年を作り出すための準備なのである。偉大なる人の晩年ぐらい美事なものはない。丁度、秋の落日のようなものである」とも述べている。
 たしかに人は、人生の年輪を刻むにつれて、人間としての深さ、美しさがにじみ出てくるものである。青年にはなんとなく未熟さからくる”若さ”があるが、年配になると円熟して、我欲も消え、ほんとうにすがすがしく美しい姿だと思わせる人がいる。とくに唱題に励む人はそうである。
 さらに氏がいうには「人生の楽しいのは青年時代ではない。青年の日は実に悩みの日である。あらゆる煩悩と誘惑とが青年男女を蝕み苦しめる。その煩悩と誘惑とに闘うところに青年の意義はある。そして中年を過ぎて老年に至るときに、人間は初めて心中の平和を発見し、泰然として人生と社会とに対決することができるのである。バーナード・ショオが、一九三二年十月、私に語って、人生は六十からだといった深い言葉の意味を、今日漸く私は味読することができた」と。
30  「人生は六十からだ」との言葉は、まさに至言であると思う。
 年配になられた壮年部の皆さまも、みごとなる人生の総仕上げのために、さらに信心を深め、広々とした境涯を開いていただきたい。また、悔いなき人生を飾るためにも、広宣流布という壮大な道に生きぬいていただきたい。
 そして、三世にわたり崩れざる自分自身を築きあげるための、今世における完成は、六十歳から始まるとの若き心意気で、私とともに進んでいただきたいと申し上げ、本日の指導とさせていただく。

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