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日蓮大聖人・池田大作

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「8・24」記念各部代表者合同研修会 永遠に異体同心の団結で

1986.8.24 「広布と人生を語る」第10巻

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1  八月二十四日は、学会の「壮年部の日」である。
 本日はまず、日ごろから広布のため陰で黙々と活躍してくだきっている金城会の方々250人に対し、心から感謝を申し上げたい。ただいま御本尊様に、皆さまのご健康とご多幸を心から祈念させていただいた。さらに、次の社会と広宣流布と学会をリードしていくべき各大学会の俊英の方方が256人も参加しておられる。本日はその結成式が行われ、大変にうれしいし、おめでたいかぎりである。というのは、人生の深い師弟の意義からみて、本日の結成式はその契りを結ぶ学会伝統の儀式となったからである。また、組織にあって先輩の壮年、婦人から薫陶を受けながら、後継者である子供たちを立派に育てているヤング・ミセスの方々が200人参加されている。これまた学会にとって重要な人たちである。
 また海外から、東南アジアの青年が25人、アメリカ、アルゼンチン、ベルギー、西ドイツ、イタリア、インド、マレーシア、シンガポール、オーストラリア、ガーナ、ベネズエラの十一か国からもメンバーが出席されている。また、先ほど結成された学術部の東京青年学術者会議の方々が36人、ドクター部の青年医学者の方々が30人、そして表彰を受けられた方々など、合わせて900人近い方々が参加する合同研修会となった。
2  淵源となった戸田先生の指導
 私は日蓮正宗に入信して、きょうで満三十九年となった。この間、日蓮正宗創価学会員として、ただひとすじに広宣流布のために生きぬいてきたが、じつにさまざまなことがあった。さまざまな人とも会い、数多くの人間模様を見てきた。また、さまざまな山々を乗り越えてきたし、さまざまな人生の思い出を刻んでもきた。
 そうした幾多の体験を通して結論できることは、信心は、やはり、生涯にわたって信仰をしぬいていくという姿勢が根本となる、ということである。男性であれ、女性であれ、表面的な格好の良さを求めて、見栄をはり、リーダーぶって動いたり、名優にでもなったかのように振る舞った人もいた。しかし結局、そうした人たちは、まことに残念なことであるが、異性間題や経済的な問題などで行き詰まり、退転している。
3  草創のころ、戸田先生の法華経講義が行われたが、ここでは、最後に一人ひとりが決意を述べ、あいさつをすることになっていた。「広布のため、一生懸命がんばります」と述べる受講生に対し、ときとして戸田先生は「おまえには頼まん」と、その人の本質を見ぬいてたいへんに厳しく指導されることがあった。しかし、そのひとことで広布への決意が深まり、今日まで立派に戦っている人は多い。
 とくに印象深いのは、けっして人目にはつかなくとも、黙々と努力を重ねてきた人が、今も立派に活躍していることである。信心は、どこまでも水の流れるがごとく地道な実践を積み重ねていくことが大切である。
4  私は、昭和二十七年にささやかな結婚式をあげ、三十五年五月三日に第三代会長に就任した。牧口門下生からの強い要請もあったし、戸田先生のご遺志もあって、結局、私が会長を引き受けざるをえなかった。
 会長就任といえば、世間一般で考えるならば、家でもタイやお酒などを出して祝うのがふつうである。しかし、わが家の場合は違った。妻は、葬式を出すような思いで、私のことは亡くなったものと考えている! とのことであった。それが私の会長としての出発であった。
 また、私は、戸田先生のもとに仕えながら”法のため、学会のために死ぬことが本望である”と決めてきた。それによって日蓮大聖人が仰せのように仏法に殉ずることに通じるからである。
 当時の学会を取り巻く状況はきわめて厳しく、社会の学会を見る目は偏見に満ちていた。信心をしているだけで社会から相手にされなくなる時代であった。ゆえに弘教も今日のようには進まなかった。
 そうしたなかで私は会長に就任した。したがって、広布を伸展させ、学会を守るためには、一家にあっては会長就任の日を葬儀の日と思い、広布に挺身する以外になかった。私は命を賭すつもりで走り出したのである。
 当時と今日とをくらべると、学会を取り巻く状況には隔世の感がある。また、それぞれの生活環境なども当時とはくらべものにならないぐらい、あらゆる面で恵まれてきている。それにつれて、ともすれば、ぜいたくに慣れ、そこからわがままが高じ、功徳のみを追い求める方向に傾斜しがちになっていることも、おたがいが反省しなければならない一つの傾向といえよう。
5  牧口先生は「三種の人間がある。――居てもらいたい人。居ても居なくても、どちらでもよい人。居ては困る人」といわれている。
 これは、家庭、社会、また学会においても、どこの団体にも通ずるひとつの人間観といえよう。
 戸田先生は、この指導に即して、ある懇談の折、こう言われた。
 学会にも三種の人間がいる。ひとつは、広宣流布をめざしゆく学会に感謝し、守り支えてくれる人。また、信心はしているが、いわゆる可もなく不可もなく、なんとか学会についてくる人。そして、これだけ自分は広布のために働いたのだからと学会に代償を求めるような心根の腐った人間、これは困る――このようにおっしゃったことを、私は鮮明に覚えている。
 学会から離れ、退転していった人は、不思議なことに、みなこの三番目の人であった。戸田先生の鋭い洞察に、私は敬服せざるをえない。
6  生涯、師弟の大道を
 戸田先生はまた、かつてこうおっしゃっていた。「兵の弟子の価値というものは、師匠が亡くなってからわかるものだ」と。
 このことは、仏法上においても、また人生の師弟においても、さらに他のさまざまな世界の師弟においても、共通する真理である。
 日蓮大聖人御入滅後、五老僧は第二祖日興上人から離れ、大聖人の三回忌の折にも身延の御墓所にだれ一人詣でることがなかった。
 弘安七年十月、大聖人の三回忌直後に日興上人がしたためられた「美作房御返事」の一節に、五老僧らを破折して「師を捨つべからずと申す法門を立てながら、忽ちに本師を捨て奉り候はん事、大方世間の俗難に術なく覚え候」(編年体御書1729㌻)とある。
 師を捨ててはならないという大聖人の法門を奉じながら、大聖人御入滅後は、たちまち本師である末法の御本仏を捨て去るなどということは、世間から見てさえ反論の余地なき、卑劣なる自語相違の所業ではないかと、鋭く五老僧の本質を破折されているわけである。
 人の心はまことに恐ろしいものである。巧言をあやつり、強信の弟子であるかのように表面を飾っても、奥底の一念が自身の利害である場合が少なくないものだ。
 この五老僧につながる反逆の輩には、その根底の動機に自身の私的な感情がある。そのことを鋭く見ぬいていかねばならない。
7  この反逆の図式について、日蓮正宗の大学匠であられた堀日亨上人は、こう述べておられる。
 「(本師の滅後になると)ややもすれば、何かの感情で事を宗義に托して、自分は何某だれの弟子でない信者でない、かたじけなくも宗祖大聖人の御弟子檀徒であると云ふ、反逆児とも云はるべき者が出現する」と。
 すなわち五老僧たちは、”自分は日興上人の弟子などではない。大聖人の弟子である”とし、日興上人に信順できなかった。さらに迫害を恐れ「天台沙門」とさえ名乗った。その根底は、日興上人と対等であるなどという傲りであり、嫉妬であり、保身に堕した卑しい感情であった。日亨上人は、反逆の徒はつねに、こうした感情を言葉たくみに正当化していくものであると御教示されているわけである。
8  広宣流布の推進は、崇高なる使命である。永遠に、分裂や策謀を拝し、麗しい同志愛で進んでいかなければならない。
 かつて戸田先生は、妙法同志の団結の大切さについて、こう話された。
 ――仏法では、団結を破るものを破和合僧といって、五逆罪の一つに数えている。日蓮正宗創価学会は、純正唯一の教団であるがゆえに、御金言どおりの団結が、かならずできる、と。
 しかし、不動の団結がかんたんに構築されるわけではない。永遠に崩れざる団結を築くためには、中心となる幹部と、一人ひとりのメンバーの純粋なる信心こそ肝要なのである。
 戸田先生はつねづね「なんといっても大事なのは、幹部であり、信心だよ」「団結には、車軸が金剛不壊でなければならぬ。純粋にして強い信心だ。幹部の自覚と、使命感だ」と言われていた。
 また「”名聞名利”を願う幹部や会員は、学会の崇高なる大使命についていけなくなり、いつかは行き詰まる」とも話され、不純な動機の幹部や会員の本質を喝破されていたわけである。
9  中心者、指導者が純粋な信心であり、その行動、振る舞いは慈悲深く立派であることが、学会の団結の永遠不滅を決する一つの要諦であることを知らねばならない。
 もしも万が一、日昭など五老僧が法の付嘱を受けたならば、大聖人の御入滅後、いかなる事態となったか。そこにつらなるすべての信徒は結局、破仏法の徒となり、全員が堕地獄の道を歩むことになってしまう。中心者の信心の狂いとはそれほどに恐ろしいものである。次元は異なるが、わが学会においても同じ方程式にあることを銘記されたい。
 戸田先生は「一人ひとりが、自分の力を最大に発揮して、目的のために強く伸びのびと前進してゆけば、おのずから深い団結がなされてゆく」とも指導されていた。広宣流布という確固たる目的観をもった一人ひとりが、自由に伸びのびと個性を発揮していくことが大切である。
 また「異体とは各自の特性、境遇が異っていることであり、自己の個性を最大限にいかしていくのが生活である。それに対し、同心とは信心であり、広宣流布という目的への自覚である」とも指導されていた。この「異体」と「同心」の深き関係性をわきまえながら、私どもは、いつも見事なる団結の姿で前進していきたい。
 その団結の要となるのほ”深き人生の絆”であり、戸田先生は「僕と諸君とのあいだに毛筋一本でもはさまって、よけいな摩擦があれば、学会の車軸は金剛不壊でなくなる」と強調されていた。
 そして「大聖人御在世において、大進房はじめ幾人かの愚かな大謗法のものが出た。しかし、最後ははかなく人生を終えている。二祖日興上人の時も、五老僧等の名聞名利を求める輩がいたが、正法正義の嫡流の団結によって、彼らは衰微している」とも語られた。
10  さらに「学会は、仏意仏勅によって生じた団体なるがゆえに、君たちの想像以上にすばらしき団体なのだ」とも言われていた。
 三世にわたる永遠の生命に立ち、自分自身の成仏もできる、人々も救える、また、先祖への真の回向もできるし、子孫も繁栄させることができる、さらに社会も変革できるというように、何もかも完壁に具現していける団体は、正法を持った私ども以外にありえない。この意味で、世の中に存在する他の種々の団体とは、本質的に異なっているのであり、このことは強盛な信行に励むとわかってくるのである。
11  次代を青年に託して
 戸田先生は昭和二十七年、青年部研究発表会の席上、広布と学会の未来を担いゆく青年部に、次のように話されている。
 「三代会長は、青年部に渡す。牧口門下には渡しません。なぜかといえば、老人だからです。ゆずる会長はひとりでありますが、そのときに分裂があってはなりません。いまの牧口門下がわたくしを支えるように、三代会長を戸田門下が支えていきなさい。わたくしは広宣流布のために、身を捨てます。その屍が、品川の沖に、また、どこにさらされようとも、三代会長を支えていくならば、絶対に広宣流布はできます」と。
 戸田先生は、いっさいを次代の青年に託された。代々の会長を中心としての団結の前進があれば、かならず広宣流布を進めることができると教えられたわけである。当時、だれが、今日の世界的な広布の広がりと学会の発展を、予測することができたであろうか。こう思うとき、恩師の指導、教えの偉大さを、しみじみと痛感せざるをえない。学会にあっては、これからも現秋谷会長をはじめ代々の会長を、鉄の団結で支えていっていただきたい。
 本日は、若き後継の友が多く集っておられるので、戸田先生の指導を通しながら、心にあることを率直に語らせていただいた。どうか、このなかから、若き諸君が、仏法と信心の深さ、学会の使命と意義を感じとってくださればと願ってやまない。

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