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第二回SGI世界教育者会議 平和と幸福へ「知識」と「知恵」の融合(メッセージ)

1986.10.3 「広布と人生を語る」第10巻

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1  春秋に富んだ若い世代の育成につね日ごろ、尊い汗を流しておられる世界各国の教育者の皆さまのご努力に対し、私は最大の敬意をはらうのみならず、心からの期待を託したいと思っております。
 それは昨年、広島で開催された第一回SGI世界教育者会議の折にもメッセージのなかで申し上げましたように、人間教育の興隆があってこそ、生命の光り輝く新しい世紀が築かれていくからであります。世界の教育者が一堂に会して日常の教育実践を交換し、二十一世紀を視野においた人間教育のあり方を語りあうことは、時がたてばたつほど大きな意味合いをもってくるにちがいありません。この意義深き第二回SGI世界教育者会議の開催にあたり、現代教育のかかえる課題について、二つの観点から少々申し上げておきたい。
2  第一に「信頼関係の回復」ということであります。なにごともそうでありますが、とくに教育の世界にあっては、信頼の二字こそ、必要にして不可欠なる要諦であります。
 日本など先進工業諸国に顕著な校内暴力をはじめとする荒廃現象も、教師と生徒との信頗関係の喪失が背景にあることはいなめません。とりわけ私が、教師の皆さまに訴えたいことは、信頼関係というものは、相手のあり方によって決まる受動的なものではなく、より深い次元より発する主体的なものであるということであります。「自信」や「信念」という言葉にみられるように、周囲の環境がどうあれ、嵐に揺るがぬ大樹のように、不動の姿を現じゆくのが、真実の信頼関係であるからであります。
3  恩師・戸田城聖先生は、慈悲の本義について「慈悲は他人に強要すべきものではなく、まず自分自身が、他人にむかって慈悲であるべきである」といっておられました。教育という次元においても、この言葉はまことに示唆的であります。
 教育の場に信頼関係が成り立つか否かは、まず教師の皆さま方自身が、生徒を信ずることができるかどうかにかかっているのであります。生徒たちを愛し、信ずる大海原のように広々とした心は、かならずや、子供を大きくあたたかくつつみこんでいくにちがいありません。人を信ずるということは善であり、善とは人間と人間とを結びゆく最強の絆であります。教育の教育たるゆえんは、そうした麗しい人間関係の織りなす”磁場”である点にあるのであります。
 また、そのような、生徒を愛し、信ずる清浄な生命力、無限のバイタリティーをくみだしてくるものこそ、信仰による自身の日々の鍛えであることを知ってください。
 ゲーテも「人間とは信仰と湧き立つ勇気とがあれば、どんな困難な企てをも征服するものである」と述べております。
 子供たちの気持ちがつかめない、教育の方向がはっきり見えない等々、さまざまな混迷やいらだちがつのっている昨今ではありますが、そうした闇をつき破るものこそ、真実の信仰と勇気であると、私は信じております。その意味からも、妙法をたもった教育者の、慈悲と勇気にあふれた行動が今日ほど待たれる時代はない。皆さま方お一人お一人が人間教育の勇者となって、青少年の生命の大地を耕す労作業に取り組んでいかれるならば、二十一世紀の未来は確たるものとなっていくと確信してやみません。
4  第二に「知識」と「知恵」の融合ということであります。「教育の目指すべき道――私の所感」のなかでも若干ふれましたように、知識と知恵をどう融合、調和させていくかということは、教育の世界のみならず、試練に立つ現代文明そのもののかかえた、最大の課題なのであります。
 かつて、哲学者の三木清は、倫理学の本から肝心の幸福という項目が姿を消している奇妙な現象に論及したことがありますが、人類の幸福とは無関係な、それどころか不幸の方向へ加担しているとしか思えないような知識の独り歩きは、いっこうに速度をゆるめようとしておりません。
 たしかに近代科学の発展が知識の追求をバネとしてもたらされてきたことは歴史の示すところであります。しかし、大人のみならず、中学生を対象とした調査等でも、近代科学の進歩がけっして人間の幸福をもたらさないという見方が圧倒的に多いのであります。核兵器や公害等を目の前にした率直な実感でありましょう。
 そうした現状を知るにつけ、「人間いかに生くべきか」「何のために学ぶのか」等の問いかけを、忘れてはならないと思うのであります。それらの問いは、知識をいやおうなく知恵に結びつけ、人類の平和や幸福すなわち価値創造に貢献しうる、豊かな人格形成を可能ならしめるからであります。教育の場に即していえば、学ぶ意味を問いつづけるところからは、知識のみ豊富でも人間的にはひとりよがりで心の貧しい、いわゆる”受験秀才”などは、けっして育ってこないでありましょう。
 東洋の哲学や宗教の特徴は、知識というものが、つねに知恵に関連づけられて論じられてきた点にあります。言葉をかえれば、いかなる知識体系といえども、「自己」もしくは「自己の生き方」に即して、主体的に問いつづけられてきたのであります。皆さま方が日夜、信行学にいそしんでおられる日蓮大聖人の仏法にあっても、「無量義とは一法より生ず」「八万四千の法蔵は我身一人の日記文書」等と仰せのように、知識と知恵との相即相関関係は明らかなのであります。
5  もとより、宗教を直接的に教育の場へもちこむことは、厳に戒めるべきですが、知識をどう知恵と融合させるかということは、教育の最大の課題として、寸時も忘れてはならないと思うのであります。
 ともあれ、本年は国連の「国際平和年」であります。世界を愛し、平和を愛する英知あふれる青少年の育成に、教育にたずさわる多くの方々が全力をあげて取り組んでいかれるならば、人類の平和は盤石になると信じております。皆さま方のますますのご活躍によって、世界をうるおす人間教育の波がどこまでも広がっていくことを心より期待しまして、一言、ごあいさつといたします。

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