Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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アメリカ青年特別研修会 諸君の成長に広布の未来

1986.8.1 「広布と人生を語る」第9巻

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1  明るく求道心に富んだアメリカの青年たちが、総本山参詣と研修のために来日されたことを心から歓迎したい。
 青年との語らいには、胸が弾むものである。そこには未来への希望があり、無限の可能性が広がるからだ。
 青年の心はみずみずしく、求道心も強い。すべてをぐいぐいと吸収していくし、成長も早い。しかし、年をとってくると、心に壁ができ、ものごとをつねに自分の狭い先入観でとらえやすい。そのため、信心と広宣流布の流れを濁らせてしまうことを私は危倶することがある。
 その意味からも、私は、未来を開きゆく青年たちに大いなる期待をしている。世界的にとうとうたる広布の潮流が流れはじめた今日、日本はもとより、アジア、オセアニア、アフリカ、ヨーロッパ、そして南北アメリカと、全世界にあって、青年たちが一歩も二歩も成長をしていくべき重大な時がきていると、強く申し上げておきたい。
2  皆さん方の活躍ぶりをさまざまな角度からうかがって、NSAの将来は心配ないと確信している。人数が将来を左右する決定的な要因ではない。要は、中心となる”核”なのである。
 日蓮大聖人の仏法を正しく継承された第二祖日興上人と第三祖日目上人のお二人が、末法万年にわたる正法流布の礎を築かれた。一方、創価学会にあっては、初代会長の牧口先生と第二代会長の戸田先生のお二人によって草創の基盤がつくられた。
 と同じように、信心と広布への深い決意と使命に立った人によって、NSAの発展も大きく開かれていくことを知ってほしい。NSAのメンバーの明るく伸びのびとした良さをそのまま伸ばしながら、広布の偉大な人材に成長していただきたい。
3  先日は、独立記念日(七月四日)を祝して、NSAとして歴史に残る立派な総会を開催され、”自由の女神”像の百年祭も大成功で飾られた。アメリカを愛する一人として、心から祝福申し上げたい。NSA世界平和池田講堂の完成など、広布の大きな基盤もととのった。また、これまで三度、会談してきたアメリカの元国務長官ヘンリー・A・キッシンジャー博士と、近く「平和」と「哲学」 の対談をすることが決まった。
 さらに明年の初頭には、ぜ抄とも訪米させていただき、アメリカの皆さま方の元気なお姿を拝見させていただきたいと思っている。そのとき創立者として創価大学ロサンゼルス分校のオープンをしたい。また、ノーベル賞受賞者をはじめ著名な識者と、平和と文化の対話も進めていきたい。青年部への思いはすべて「我が愛するアメリカの地涌の若人に贈る」の詩に託してあるが、ウィリアムス理事長はじめ若きリーダーである皆さま方とともに世界の広宣流布推進への指揮を執っていきたいと考えている。
4  挑戦、信念、熱意の人に
 きょうのある新聞に、有名企業十社のトップが、期待の新入社員像を語るという、就職ガイドを兼ねた企画が掲載されていた。私はその記事を読んで、創価学会がめざしている人間像とみごとに一致していることに驚いた。
 私たちの信仰の目的の一つは人間革命にある。そして、これまでも、日蓮大聖人の仏法を根本に、学会のなかで一人ひとりを鍛錬、育成し、多くの人材を広く社会に輩出してきた。
 そうした人材を、社会の指導者は嘱望しているのである。私は、それらの人々の、人間を見る目の確かさに感嘆するとともに、私どもがめざしてきた人材像は、広く社会で渇仰されているものであり、正しかったことを実感したしだいである。
5  そのなかの一人は「挑戦恐れぬ行動力を」と語っている。
 挑戦、そして勇気ある実践――それは、私どもの信仰の一貫した生き方であり、基調であり、人間、社会を貫く、創造的な人生のあり方にほかならない。
 すなわち、仏法を信奉する私どものあり方は「信心即生活」「生活即信心」にのっとった生き方であることを知っていただきたい。
 また、ある銀行のトップは「自分で自分を鍛える」ことの大切さを強調している。
 私どもは、つねにいかなる困難にもくじけない自己をつくることをめざし、一人ひとりの自覚のうえに、たがいに錬磨しあっている。広布の活動にあって、それぞれが自己の使命を自覚し、目標、課題を定め、それに日日果敢に挑んでいる姿じたいが自己錬磨の姿であるといえる。さらに、朝夕の勤行の励行は、もっとも根本的な生命錬磨の作業にはかならない。
6  「何にでも感激する心」をあげているトップもいる。
 これは”青春の心”といってよい。新しいものに挑戦し、そのなかから何かを感じとり、感嘆し、感激する。柔軟な、みずみずしい生命の発露といえよう。
 私たちは、日々勤行・唱題に励み、まさに、このみずみずしい生命を培い、感激の心をはぐくんでいる。鋭敏にして豊かな感受性をみがきつつ、歓喜と躍動の”生涯青春”の道を歩もうとする私どもの生き方こそ、時代の要請であるとの感を深くせざるをえない。
7  さらに、またある人は「知識より熱意が大切」と言っている。
 時代は高学歴化している。また新聞等マスコミの発達とともに、知識が氾濫しているともいえる。その知識を大きく開花させ、自身の、また社会のカへと昇華させていくのは、人間の熱意である。
 学会が仏法を基調に、平和・文化・教育の運動を幅広く展開し、また人生の幸の輪を広げ、地域・社会に貢献してきたのも、会員一人ひとりの熱意ある実践によるものであった。
 真実の仏法は、けっして生活、社会と遊離したものではない。唱題に励み、仏道修行に励んだ信心の実証を、熱意をもって社会のなかに示していくところにある。信心のための信心といった行き方であっては絶対にならない。
8  また「体当たりの精神」で仕事に励む人を望んでいる。
 なにごとにおいても、新たなものを生み出し、大きな業績を築いていくには、中途半端であってはならない。「体当たりの精神」が要請される。
 ものごとに徹する決定した一念である。職場などで信頼を勝ちえ、生活を安定させ、社会の力ある指導者となっていくためにも、この精神が不可欠であるといえる。
 信心、広布の活動にあって、私たちがつね日ごろ確認しあっているのも、この「体当たりの精神」で、自身の壁を砕き、前進していくことにはかならない。そして、その源泉の力は唱題にある。
9  そして「多様化に柔軟に対応できる人」も求められている。
 現在のように変転めまぐるしい時代には、柔軟な対応のできる英知と人格が求められているのである。
 また「一芸にひいでた人」、つまり特殊な才能や人とは違う何かをもっている人、さらに「ここ一番の気力をもった人」、すなわち、いざというときに一歩も退かないで会社を守る信念と責任の人、「全力で目標をめざす人」等々、こういう人を、今の指導者たちは求めているのである。
10  「偉大なる変人よ来れ」と語っているトップもいた。
 革新的なもの、新しい時代を開く画期的なものは、なかなか社会には受け入れられないものだ。場合によっては変人扱いをされることもある。しかし、ありきたりな発想に満足するのではなく、独創的なものの見方、考え方をする人材が大切なのである。
 私もまったく同感であり、正しい人材像であると思う。
 皆さま方は、時代を切り拓く”先駆者”として、堂々と誉れある広布の大道を邁進していっていただきたい。
11  深き信心に所願満足の人生
 広宣流布をめざし、真剣に信仰に励み、また人生を正しく生きようとしている人であっても、ときに、自分の希望どおりにいかず、思い悩む場合がある。たとえば、早く結婚したいと思っても、すぐに願いが叶わないこともあろう。また思わぬ病気に苦しむこともあるかもしれない。さらに自分の仕事や生活が思うようにいかないこともあるにちがいない。
 それはどこの国にあっても同じである。しかし、けっして一時的な現象によって悲観する必要はないのである。
 私どもは、少しでも先を、少しでも未来を知りたいと思うが、凡夫であるがゆえに目先のことしかわからない。しかし、仏は三世をすべて見通しておられる。信心強き人の願いが叶わないわけはない。一時期には叶わないようであっても、一生という長い目でみたときに幸せにならないわけがないし、また、そのことにかならず何らかの深い意味があったことがおのずからわかってくるものである。このことをけっして疑ってはならない。
12  たとえば一生のうち五年間が幸せであっても、その後が暗く不幸な人生であっては、哀れである。また、十年間、人々もうらやむような生活を送ったとしても、一生の最後が地獄のような苦しみとなれば、あまりにもはかない人生といわざるをえない。
 これに対し、私どもは、たとえ一時的には不幸に見えるような場合があっても、最後はすべて所願満足の輝く境涯となって、今世を飾っていけるのである。ここに妙法が”不可思議の法”である一つの証左がある。
 その意味において、現在、かりに、御本尊への祈りどおりにならなくても、そのことのみをもって信心がないとか、信心が弱いとかはけっしていうべきではない。いわんや妙法に力がないわけでは絶対にない。
 この一点を確信できるか否か。そこに信心が強盛であるか否かの試金石がある。生涯たゆまぬ ”水の信心”であるか、いっときの”火の信心”であるかの分岐点があるといってよい。
 この大切な信心の要諦を、これから長い人生を生きる、未来の広布の指導者である皆さま方に強く申し上げておきたい。

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