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日蓮大聖人・池田大作

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第十三回伸一会総会 広布と信心の責務を自覚

1986.7.31 「広布と人生を語る」第9巻

前後
1  学会には、この「伸一会」をはじめ白糸会、転輪会、金城会など、何百という人材育成の機関、グループがある。広布をめざしての人材の核としてつくってきたわけである。
 伸一会は、そうした数多くあるグループのなかでも人材育成の最高のグループであり、その決心でつくった。人材のなかの人材を生むための会であり、このなかから将来、会長も副会長も、また広布のさまざまな機関の指導者も輩出していくことはまちがいないと信ずる。伸一会のメンバーは、広布前進を阻もうとする降魔の本質を鋭く見極めていく賢者であっていただきたい。
 私も四十年の信仰になり、その間、たび重なる荒波を受け、生死の峰を越え、多くの人々と接し、さまざまな体験を積んできた。皆さま方のことも信心のうえから、また人生のうえからもよく理解し、十分、わかっているつもりである。
2  かつて戸田第二代会長は、次の学会の中枢を担う人材育成のために「子供会」を結成された。
 創価学会は、妙法を根幹として、何でも話しあい、守りあう、いうならば、生命と生命が通いゆく家族のような麗しい団体である。ゆえに、親が子に一家の将来を期待するように、戸田先生は、全会員を広布の次代を託す子供のように思われていた。そして、草創の青年部の代表を選んで「子供会」をつくられたのである。代表を選んで訓練することは、人材育成の一つの方法であり、本末究竟等の原理で、全員の成長につながっていくからである。
 「子供会」の結成を聞いたとき、私は、戸田先生がこのなかから、代々の会長をはじめ学会の中枢を育てゆくのだとの、なみなみならぬ思いを即座に感じとった。
 事実「子供会」のメンバーが、今の学会の中枢として活躍している。それだけに、当時の訓練は厳しかった。私は戸田先生がつくられた意図を信じぬいた。自分たちの生きている信心の世界で、自分たちの成さんとする広宣流布の世界だけは、たがいに信じあって、気持ちのよい、すがすがしいものにしておきたいとの思いがつねにあった。
 また、中枢の人材育成のため、戸田先生の人選はたいへんに鋭く厳格であった。なかには夫婦でも主人がメンバーに入り、夫人がもれたり、逆に夫人が入り主人がもれる場合もあった。「子供会」にもれた人が、選ばれた人をうらやましがったり、焼きもちをやくようなことがあったのも、私はすべて知っていた。
 「子供会」は、びじょうに重要な意義をもっていた。戸田先生の晩年につくられたものであるが、結果的にはそのなかから厳として多くの広布の人材が活躍している。そういう経緯があって、私の代になって「子供会」を解消し、より多くの人材を育てゆく決心のうえから、各種の人材グループをつくってきたことを知っていただきたい。
3  「信解」こそ仏法の根本
 日蓮大聖人の真正の弟子であられた日興上人は、大聖人の広大無辺の御境界を深き信心で「信解」されていた。それに対し、五老僧は自らの頭脳で「理解」し、わかったつもりになっていたにすぎない。ここに、大聖人の仏法を正しく継承された日興上人と、破仏法の道を歩まざるをえなかった五老僧の、根本的な相違があったといってよい。
 仏法においては「信」の一字こそ肝要であり、妙法の不可思議な功徳力も、また深遠なる哲理も、いっさいが「信」を根底にしなければならないのである。
 広宣流布をめざす信心の教団であるわが創価学会においても、この大原則は寸分もたがわないのはとうぜんである。この点を、よくよく銘記していただきたい。
 世界には、数多くの優れた学説や理論がある。結論からいえば、これらはすべて、人間精神の一部分である”理性”の所産にすぎない。永遠不滅の生命の実相を説ききった仏法にくらべれば、すべてが部分観といわざるをえない。むしろ、仏法の序分、流通分として生かしていくべきものである。この点を誤解してはいけない。
 ともすると、学問や理論に長じ、多くの知識をそなえた人を、偉大な指導者と思う傾向がある。しかし、学問や知識は手段であって、目的ではない。”知識即偉大”なのではない。広布の指導者の根本要件は、「知識」ではなく、あくまで強盛なる「信心」であることを知っていただきたい。
4  人材グループの一つに「白糸会」がある。このメンバーは、かならずしも表立った分野や組織の幹部として華々しく活躍しているわけではない。しかし、一人ひとりが”愚直な信心”をモットーに、まことに純粋な信心を貫いている。
 メンバーの生き方はけっして派手ではないが、”自分は自分の使命の道を、一生涯、歩もう”との、すがすがしい信心の姿勢を堅持している。また、このグループからは、一人の退転者も出ていない。ほんとうにすぼらしいことであると思う。
 ゆえに、私は「白糸会」の方とお会いすると、安心した気持ちになることができる。この汚い心根とあたたかな人椿を養うことが、信心の目的といってよい。いざというとき、私は白糸会のような人々に多くを担ってもらおうと思っている。
 いかに学識ゆたかであろうと、人々にホッとした安心感を与えることができなければ、夷の妙法のリーダーとはいえない。慈悲こそ仏法の根本精神であり、同志をあたたかくつつみ、はぐくむ豊かな心をもつことが、妙法の指導者の最大の要件だからである。
5  退転者の構図を見ぬけ
 しかし、こうした麗しき心と心の正法の世界に対し、自ら離反していった人がいたことはまことに残念である。
 私は、これまで人に裏切られたこともある。しかし、少しも恨むことはないし、いささかも悲嘆にくれたこともない。むしろかわいそうに思い、題目を送ってあげたこともある。とうぜん、謗法者に対しては、峻厳に戒めなければならない。それが仏法の原則である。仏法の世界はどこまでも慈悲の世界であるからだ。
 こうした退転者の多くは、表ではたくみに言葉を飾りながら、その実態は不純な動機によるものであった。そうしたことを、私は十分に察知していたし、いささかも驚くことはない。広大無辺の仏法の世界からみれば、また末法万年という壮大なる妙法広布を志向する創価学会の前進からみれば、豆粒にも足らない、小さな出来事にすぎないからだ。
 戸田先生はつねづねこうおっしゃっていた。
 「もう、これ以上の苦しみはないと思い込み、人間として邪道に入ったり、行き詰まり退転したりして、人生の敗北者となる人がいる。しかし、二十年、三十年、五十年たってふり返ってみれば、そのような苦しみも、まったくたいしたことではないものだ」と。
 ほんとうにそのとおりである。たとえば、太平洋戦争の終戦のときに、日本は大変であった。前途を悲観し、望みを断って自殺した人もいた。しかし四十一年後の現在の繁栄をみるとき、あのころの苦しみは夢の中のことのようにさえ思える。
 学会においても、少々の難や反逆者の存在など、千年先、二千年先を考えるときには何ほどのこともない。劣悪な商業主義に便乗し、野合して、自身の利欲を満たそうなどということじたい、人間としてあまりにも貧しく卑しいといわざるをえない。
 そうした低次元の存在を相手にする必要などまったくない。学会には何百万という純真な、まじめな会員の方々がおられる。さらに世界には正法を渇仰する何倍、何十億の民衆が待っている。その人々のために、私どもは朗らかに前へ前へとまっすぐ進んでいけばよいのである。
6  「華果成就御書」は、大聖人の師であった清澄寺の故道善房の恩を述べられ、真の師弟のあり方について御教示されたものである。大聖人はそのなかで「あしき弟子をたくはひぬれば師弟・地獄にをつといへり」と厳然と仰せになっておられる。ゆえにあしき弟子は、日蓮大聖人のもとを去らざるをえなかったのである。
 次元は違うが、自分自身の名聞名利のために、信仰の世界を撹乱し、純真な学会員を苦しめるような人は、学会から去っていくのはとうぜんの流れなのである。仏法の厳しき因果の理法、また御聖訓に照らし、十年、二十年を経ずして正邪の本質は明らかになるにちがいない。
 経文にも御書にも明らかなように、広宣流布に難があるのは自明の理である。創価学会は広宣流布を推進している団体である。ゆえにこれまでにもさまざまな難があったし、未来にもある。まさに大聖人が此経難持御書で「此の経を持たん人は難に値うべし」と仰せのとおりである。このことを忘れてはならない。
 それをいかにも学会を非難、中傷する者の言い分が正しいかのように錯覚する心が生命の奥底にあれば、まったくの本末転倒である。その心は根本的な迷いであり、一念の無明である。自らの成仏の道を閉ざす地獄の因となってしまうのである。
7  四十代が人生の重大な岐路
 石川達三の小説に『四十八歳の抵抗』というのがあるが、これは、四十代の危うい一面を示した作品ともいえる。皆さま方のなかにはすでに四十代に入った人も大勢いる。また四十代に入ろうとしている人もいる。その意味からも四十代の特質について、きょうは一言しておきたい。
 四十代になると、まず肉体的に衰えが見えはじめ、生命力も落ちてくる。また、子供も大きくなり、進学等の問題も出てくる。経済的にも大変な年代となる。また、職場などでも、自分の人生の先が見えはじめてくるといった状態になる。家庭にあっても、妻も強くなってくる。(笑い)さらに、子供の自己主張も強くなり、そうそう父親の言うことは聞かなくなる。
 つまり、すべての面で、しだいに行き詰まりが生じ、未来への希望が失われるようにみえる年代が四十代といえよう。それにつれて、理想、信念に向かっていちずに突き進もうとしていた青年時代とは異なり、信心も知らずしらずに濁りはじめ、現実をうまく泳いでいこうというずるさに傾斜していさがちである。こうした一番危ない年代が四十代であるといっても過言ではない。
8  青年時代に活躍をしながら、途中で反逆し、退転していった人たちの多くも、四十代、あるいは、それ以上の年代である。
 概して二十代というのは清らかである。三十代になっても、まだ純粋さがある場合が少なくない。しかし、四十代になると、ひとつの岐路にさしかかり、濁りを生じてくることが多いようだ。
 かつて戸田先生は「四十代を第三代会長にすることはないだろう」といわれたことがある。また「四十代では、これからの”広布長征”の指揮をとるには、あまりにも先が短すぎる。青年に任せるしかない」ともいわれていた。それは、四十代の傾向性を見極められ、熟慮されたうえでのことであったと実感している。
 この四十代という厳しい年代を生きるうえで大切なことは、自らの誓いを裏切らず、自己の立場、環境を嘆かず、前へ前へと進んでいく自分自身を、いかに築くかにあるといっても過言ではない。
 文句やグチをいっている人には感激がない。歓喜もない。自らの生命をますます暗くし、閉ざしてしまう。そして自分も複雑にし、人々をも複雑にしていくだけである。
 伸一会の皆さまは、けっしてそうであってはならない。自身のため、同志のために、堂々たる賢者の人生を生きぬいていただきたい。
9  南条時光に与えられた「上野殿御返事」の追伸に「人にあながちにかたらせ給うべからず、若き殿が候へば申すべし」と仰せられている一節がある。
 この御文について日亨上人は「中年老年の者は謗法の毒が髄まで廻わっている。一寸、法華の新義を嗅ぎ附けても顰蹙する。悪口する。迫害する。但では通さぬ。青年は毒気が薄いから仏法の理非が解かる。老人は相手になさるな。少年の殿の腕では、却って危険である。冠者原(若者)には話して御覧なさいと親切な御注意である」と述べられている。
 これは折伏の相手についての御教示であるが、中年・老年と若者との生命状態の違いを示されている。
 年をとってくると、どうしても心が濁り、我見でものごとを自分のつごうのよいようにみてしまいがちである。それに対して、青年の心は清らかであり、みずみずしい生命をもっている。信心の話もぐいぐいと吸い取っていく。ここに、年を経ていくにつれて陥りやすい生命の根本的な傾向性があることを知らねばならない。
 皆さま方は、今やその年齢に入っている。信心にあっても、組織上の立場にあっても、また人生の途上にあっても、曲がり角にきているといえよう。それを、どう確固として乗り切っていけるか、また、いくか。乗り切ることのできた人こそ、広布と信心にあって、後世の歴史に永遠に名を残す人となっていけるのである。
 その信心の栄光は、自分自身のみでなく、子孫末代にまで福運、功徳となって輝いていくのである。ここに仏法の因果があり、勝負がある。それを知らず、目先の利害にとらわれて要領よく生きたり、少々の生活苦などのためにうまく立ち回って信心の世界から離れてしまえば、自分自身はもちろんのこと、子孫末代まで苦しい思いをさせることになってしまう。
 皆さま方の年代、立場は、たいへんに重要な存在でありながら、ある意味でもっとも利害にさとく、慢心になり、ずるく卑しい心が出てくる傾向性があるといってよい。それに負けて、信心の道をふみはずすようなことがあっては絶対にならない。
 六十、七十歳への人生はあっという間である。そのときに、子供に迷惑をかけ、頼むべき友人もなく、退転者の悲しき名を残して寂しく人生を送るような姿となっては、これほどみじめであわれなことはない。そのような敗北者になってほしくないがゆえに、きょうは一つの戒めとして申し上げたのである。
10  最後に「伸一会」として、たとえば春夏秋冬の年四回、信心錬磨と成長の集いを行うなど、みなで十分に協議しつつ、人材グループの先駆としての証明をしていただきたい。皆さま方の責任と使命に立った、ますますの活動と前進をお願いしたい。また一人ひとりが各界における立派な「将」、
 指導者に成長していただきたい。

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